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民主政治の展開BBS
民主主義の原理は、絶対王政に対するブルジョアジーの闘いの成果として確立された。
16〜18世紀の絶対主義の時代には、絶対主義を正当化・合法化するために、国王の権力は神から与えられたもので、絶対不可侵であるとする王権神授説が盛んに唱えられたが、一方では、これを批判する自然法思想があらわれた。
イギリスの思想家ホッブズは、『リバイアサン』において、人間は自然状態では「万人の万人に対する闘争」となるので、契約により国家に全権を委譲して秩序を維持する必要があるとし、国王の絶対主義を擁護した。
コレに対して、イギリスの思想家ロックは、『市民政治二論』において、政治は国民の信託によるものであり、人間が生まれながらもっている自由・生命・財産の自然権を守るため、社会契約を結んで国家を組織するのであると理論づけた。
フランスの思想家ルソーは、ロックの思想の影響をうけて、『社会契約論』を著し、「社会は自然権をもつ各個人の自由意志による相互契約によって成立する。この社会では、各個人の無制限な自由はなくなるが、政治に参加する自由は保障される。政治の担い手は個人の全体としての人民であり、人民に主権がある。政治はその主権を実施するために、人民によって委譲されたものにすぎない」と説いた。ロックが代議政治を正当化したのに対し、ルソーは人民による直接民主制を主張し、ともに民主制を理論付けた。
フランスの思想家モンテスキューは、その著『法の精神』の中で、国家権力を立法権・執行権・裁判権に分類し、三権をそえrぞれ異なる機関で運用させ、権力の抑制と均衡をはかるという三権分立論を主張し、三権を握る絶対王政を批判した。
民主主義の思想が展開されても、それだけで民主政治が確立されるわけではない。まず、その第一歩として、絶大な君主の政治権力に対抗できる力をもった社会勢力が必要であった。その新興勢力の中心となったのは、商工業の発達にともなって形成されたブルジョアジーであった。1789年のフランス革命は、かれらが市民の中心となって遂行したもので、その願いは、人権宣言として具体化された。
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