小説・まんがコミュニティ トップへ
 ようこそゲストさん コミュニティトップへ スレッド一覧へ カテゴリ一覧へ ログイン ユーザー登録

シュールレアリスムについて
投稿者 ノサー[1]
投稿日時 2007年09月12日(Wed) 13時11分48秒

「何を」ではなくて「どう」書くのかを突きつめていくと、たいていシュールな話ができあがります。こういう書きかたをしてできた話の多くは、ばかげていたり、下品だったりして、自己満足な幼稚な作品と呼ばれてしまいます。
シュールレアリスムの素となるのは「微妙な均衡」と「文体の美しさ」だとわたしは思います。これを欠くとさっき述べたような印象に、逆に、メッセージ性らしきものが混じってくると「童話」もしくは「大人のための童話」と呼ばれるのではないでしょうか? しかしシュールは(わたしもそうですが)たのしく書くこと、たのしく読むことを目的としているのであって、つかみどころのない物語のなかに勝手に何かのしるし、心理学でよく扱われるようなしるしを見つけ出して、「これには深い意味がかくされている!」とか何とかいって無闇に研究されるのもつまらないものです。
シュールレアリスムには、ばかげた話といって疎まれる、寓話といって片付けられる、この二パターンがあるようです。もともと理解するのではくて、雰囲気を味わうために作っているのですから、どちらも見当違いな見方だ、と言いたいところですが、そうならないのがシュールレアリスムのいいところなのかも、とわたしは思います。つまり、シュールのよさは何一つないところにあるので。
「微妙な均衡」「文体の美しさ」この二つは神秘さを求めています。しかものんびりと。他の文学とは別のところにいる、というか文学とはいえないような、それがシュールレアリスムなのでしょうか? メッセージをのこさなければナンセンスになってしまうし、固有名詞ばかりだとSF、テンポが急だとギャグになってしまうという点で。
「シュールレアリスム」とさっきから使い放題ですが、じつは言葉の意味がよく分かっていません。なので、これが結局言いたかったことなのですが、「シュール」=「〇〇〇」という形で、シュールレアリスムの意味をだれかおしえてください。というのもわたしは、その手の話ばかり書いているので。おねがいします。




投稿者 二藍[2]
投稿日時 2007年09月16日(Sun) 16時34分44秒
ちょっと興味深い内容だと思いましたが、いまだどなたもの返信を見ず、いっちょ書いてみようかと、登録してみました。
掲示板に書くのはコレが最初で最後にします。何か恥ずかしい…。
めんどうなのでめんどうな改行なしで。

さて、シュルレアリスムのお話ですが、正直なところ今の日本で人口に膾炙されている「シュール」と本来的な「シュルレアリスム」とはまったく意味の違ったモノになると思います。
前者のシュールは飽く迄も「前衛的」に過ぎて「意味不明」とかいった意味で使われているような気がします。超絶アバンギャルド。一億年先の未来人にしか理解されない、みたいな。
最たるところで、シュールな芸風、とか云ったりして。
で、後者のシュルレアリスムですが、よく「超現実的」という表し方をするのはご存知かと思います。
この超現実的とは、人の理性の及ばぬ、例えて云うなら自然の理とでも申しましょうか、絶対的で自然的な普遍のモノの現出を意図したものであると私自身は思っています。
言葉にするとややこしいですが、要するに、人間はどうしても主観から離れられぬもので、絵画などで表現されている俗に云うシュルレアリスムの作品群を見ればわかるのですが、一見乱雑に見えるような表現の奥底に偶発的に出てきた「真理」のようなモノを見出そうとしている、と。これでもややこしいですな。
まぁ早いハナシが、焼き物の世界で云う「窯変」といった感じです。
焼き物は窯の温度や空気の条件で作陶家の意図せぬ奇跡が起こったりします。そんなところです。

で、貴殿の仰られる「文」においてのシュルレアリスムですが、慥かに文章のスジ、要するに筆致。あるいは作風といったところで判断されるところもあるかと思います。
が、私の本音を申しますと、文においてはいわゆるシュルレアリスム的なモノはあんまし関係ないんじゃないか、とも思うわけです。
そもそも、視覚から訴える絵画などと文章の情報量はまったく違うわけで、一つの小説をとっても百人いれば百通りの世界が各人の中で作り上げられており、作者もまたその百分の一に過ぎません。上でも仰られていますが、一つの文章を取り上げて何か暗号のようなモノを感じるヒトがいる一方で、ただのレトリックだと思う人もいる、と。
私は常々思うのですが、言葉ほど信用にならないモノはありません。これほど受容者に委任される道具はないからです。
「可愛い犬、チンチン」
この文からみなさんが連想するモノは何か……。ある人はポメラニアンがチンチンの芸をしている姿を想像したかもしれません。
しかし私は「年老いた秋田犬のおチンチン」を思って書きました。
つまりはそういうことです。
これほど絵画と比べて情報量の少ない文章で書いたものは、常に偶発的な産物に覆われているわけで、だからこそ普段の生活でも齟齬があったり、口論になったりする。
果たして、そういった受け手の主観にそのほとんどを委ねる「文章」に、シュルレアリスムもクソもあったものか、と思うわけです。
逆に云うなら、すべてがシュルレアリスム。何もない、というのはある意味で至言かもしれません。
感覚の幅をどこまで広げるか――それもあると思います。
私には、お涙頂戴の感動映画でみんなが泣いている姿――映画本編も含めてまるッと「シュール」に感じます。
感覚は無限大です。そもそも主義主張は飽く迄も「似通っている」だけにすぎず、明確な区分けはありません。
要するに、そんなものは大したことじゃない――という。

以上です。回答になってませんね。こんな難しいこと考えたの、初めてです。
強いて回答を挙げるとすれば「シュール=何だそれ、ウマいのか? オラわくわくすっぞ」といった感じ。この感覚。

読まれるかわかりませんが、ありがとうございました。