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あなた考える【平和】の方法は?
投稿者 nese[1]
投稿日時 2005年09月19日(Mon) 15時23分54秒
今をあなたは「平和」だと思っていますか?
それとも、「平和じゃない」と思っていますか?

その「平和」と「平和じゃない」基準はどこで分けていますか?

そして、「平和」なら、あなたはどう維持していくとお考えですか?
もし、「平和」じゃないなら、あなたはどうして変えていくべきだとお考えですか?

その反対に位置するとされている「戦争」はどうお考えですか?
そもそも「平和」とは何ですか?

皆さんがどういった気持ちでこういった事を考えているのか知りたくなりスレを立ち上げさせていただきました。
この問題に正解なんて無いでしょう。なので、どんな意見でもいいですし、こう想っているだけでもいいので、ぜひ何か書き残していただきたいです。
学校の教育で絶対に通り、誰しもが考えることなので。

私なりに最近想った考えがあるので気になった人はスレ番2、3に書いておこうと思っています。よろしけばそちらも覗いていただき、何か意見をいただければと思っています。
つたない長い文になっていることは、ここで先にお詫びさせて下さい。
それでは。





投稿者 nese[2]
投稿日時 2005年09月19日(Mon) 15時25分32秒
neseの考える平和というものの考えを5つ紹介します。

1、「和」をどのように築いていくか?
 私は戦争がいけないというのでは戦争はなくならないと思っています。何故か?それはいじめもそうだからです。
いけないと分かっていてもやるのが人です。第一、もしいけないと分かっていているなら、同じ問題を繰り返していないからです。
 だから、私たちは同じ問題を繰り返すのなら、その解決方法をいくつも考えていけばいいと思います。
授業などでも戦争の悲惨さを私たち大人が偏見を入れて、誇示して伝えることなんて必要ありません。そんなの映像とかで見れば語らずとも感じることでしょう。それは私たちがいちいち言って分からせる事ではなく、感じ取ってもらうことが大事だと思います。
 そして、その後はどうして戦争が起こったのか?とかではなく、何故平和に至らなかったのか?をみんなで考えることが大事だと思います。
 その中で、みんなで「和」を築いていけるのかを考えていくべきです。そうしていくことで、戦争という言葉も自然に無くなっていくと思います。現にセルビア・ボスニアなどではこういった教育をしているみたいです。
 逆に怖いのが戦争を経験していない私たちが過剰に反応して、勝手に憎みを生み出すことです。そういう事がないようにしたいです。憎しみで憎しみが消えることはないのですから。

2、「個」という存在とそれに対するそれぞれの感謝と礼儀。
 音楽でもさまざまな異なる音が合わさって「和」が生まれます。人も同じようにしていかなくてはいけません。さまざまな能力、事情、背景、考え方があって、それが合わさって「和」を形成しないといけません。
 それにはまずその「個」というのをお互いに認め合わなくてはいけないと思います。
 これは私たちにだって普段の生活からできることです。
 私たちの生活だって、嫌な人とだって出会うかもしれません。でも、悪いところばかり見たって面白くないじゃないですか。大体、そうして「敵」が出来上がっていくのです。
 そんな「敵」をわざわざ自分から作らなくてもいいじゃないですか。そもそも、人との繋がりが沢山あればあるほど色々学べ、面白いんです。だから、そういう時は良い所を見つけようと努力したり、時には一歩譲ったりしたらいいと思います。自分と違うことに出会うとき、新たなる発見が見つかり、それに感謝が生まれるはずです。
 もちろん、これは誰かがしてくれるものではありませんし、声を大にして相手にこうしろと言う事でありません、自分がしていく行動です。
 しかし、努力しても嫌いという事があるかもしれません。でも、本当に努力したその時は相手への理解は考える前より深いはずだし、それまでに培った相手との絆もあります。絆があれば、相手にそのいけない点を言って気づかせる事だってできるはずです。
 そして、それも一つの「和」ではないでしょうか?なぜなら、これは相手にこうあって欲しいから言う、反対からでは自分のために言ってくれているということでしょう?ここで多少のいざこざは起こるかもしれませんが、絆があるので大丈夫!私は思っています。だって、根本はお互いを想ってなのですから。むしろ、それを怖がり、逃げて、形だけの付き合いでいる方がいざとなった時にどうなってしまうのだろうと思います。
 自分が家族や仲間たちのおかげでいる感謝、それに対する礼儀、また相手にとっても自分がいる感謝と礼儀がある。それを知り、行動していけば変わっていくと思います。それを見失い、自分ひとりだけで生きているから好きな事をしていい!周りなんて関係ない!なんて言い出したらどうなってしまうのでしょう?しかし、本当にその人は一人で生きているんでしょうか?

3、私たちは連鎖している生き物
 私たちは本当に人、一人一人が全員繋がっています。極端な例ですが、誰かが悪いと思われる事をしたとします。多くはそれに怒り、罵声を浴びせるでしょう。しかし、その人と友達や家族で、近くに居たならば止めること、それが悪いことかもしれないというのを気づかせてあげることは出来たかもしれない。そう考えていけば、私たちにできることって、たくさんあるのではないでしょうか?
 だからこそ、一つ一つの人との絆を大事にしていく。そして、その為には2で言った礼儀と感謝を一人一人が忘れないというのが大切だと思います。

投稿者 nese[3]
投稿日時 2005年09月19日(Mon) 15時27分23秒
neseの考える平和の5つの続き。

4、権利ばかりの主張ではいけない。
 これは2,3をふまえてことのなりますが、憲法があるから平和を維持するとか平和でいるのが当たり前なんだ。ではいけないと思います。それは形に囚われて中身がついてきていません。
 最近、平和とかではありませんが、こういった光景を良く見かけます。自分の嫌な事、不都合なことがあると、すぐ権利ばかり主張するくせに、ぜんぜんそれを言うだけの義務を果たせていなければ考えていない、単なる我侭を言っている人を。
それではいけないのです。みんなができることをやり、遂行しながら主張することが大切です。権利など言うものではなく、自ら行動し手に入れるもの、守り続けていくものだと思います。
2,3で述べたとおり私の考えであれば身近なことから始められると思います。
難しい理論や理屈で討論するだけして何もしないより、よっぽど良いと私は思います。

5、役割とか正義を捨てる。そして、自分自身の行動の責任と覚悟の認識。
 人を助けることに、そのための行動に役割とか正義と言ったことが必要なのでしょうか?
私は必要ないと思います。
 こういう行動というのは何も役割とか周りが見ているからではなく、自分だったらとか、友達だったらと身近から考えて動くことだと思います。
 それにこちらが正義だと思っていてもそれは相手にとったら逆かもしれません。例えばナポレオンなどは英雄と称えられていますが、逆の立場からすれば英雄じゃありません。ただの憎むべき人です。だから、正義なんていっていても解決にもならないわけです。そんなことを言ったらきりがないかもしれません。しかし、だからこそ良い悪いではなく、自分だったらどうして欲しいというのを考え、責任を持って動くことが大事だと思います。
 結局、善悪なんてものは(誰が作ったのかも分からない)社会が決めた一つの価値観であって時代が変われば、世の中が変われば簡単に変わってしまいます(現に価値が変わったことなんて山ほどあります)し、法や定義なんて気にしなければ簡単に破る事もできます。
それよりも、自分自身が何が大切で、どうしたくて、されたくなくて、相手にどうして欲しいか、どうして欲しくないかという自己中心的な…自分の中から溢れてくる精神を大事にして行動しなくてはいけないと思います。それは生きている間はほぼ不変のものであるはずですし。(もちろん、それを行う上では責任と覚悟が必要です。だって、その行動で下手をすれば相手の人生だって変わってしまうのかもしれないですから。それを私たちはもっと気がつき、一つ一つの行動や発言に気をつけるべきでもあると思います。)
 また、正義とか役割とかを振りかざすから分からなくなって、こんがらがってくるのだと思います。もっと一人一人がもっとシンプルに「自分がされて嫌なことをしない!されてうれしいことを相手にする。」、そして「自分がうれしいことをされたら、感謝をし、相手に礼をする」と考え、きちんとそれに対し責任をもって行動するだけでいいと私は思います。

長々と書きましたが私が平和ということに対する考え、思っていることは以上の5点です。
長い文を読んでいただきありがとうございます。

投稿者 御前[4]
投稿日時 2005年11月18日(Fri) 16時11分14秒
 平和、平和。
 面白そうな話をしていますな。ふざけた文章書いてやがる、と思われるかもしれませんが、僕は別に茶化すつもりで来たわけではありません。次の文を読んでいただいて判断してください。
 まず平和の定義についてですが、今僕の手元に辞書の類がないために、判然とした答えを記すことは出来ないのですが、恐らくは「戦争のない状態」を指すのではないでしょうか。
 戦争とはすなわち大規模の争いだと認識しておりますので、以降の文に登場する戦争という言語は、こういった意味合いにおいて書いているのだ、とお考え下さい。
 平和の方法ですが、僕ははっきり「ない」と思います。むしろ「ない」と信じます。
 以下理由
 人は何かしらの争いがあるからこそ現在のように大きくなれたのではないと僕は考えます。商売敵がいあるからこそ自らの商いを頑張れるし、ライバル国が人工衛星を打ち上げたからこそ、自国の技術に磨きをかけようとする。軍事的敵国が存在するからこそ、自国の軍事技術を強化し、滅ぼそうとする。技術だけで競っていても、人はどこかで軍事的に問題を解決しようとするのです。過去の歴史を見れば分かるでしょう。もし方法があるのなら、絶対的指導者の存在、といったところでしょうか。何かガ○ダムみたいですけどね。ライバルがいるからこそ大きくなれる、とは正に真理ではないでしょうか。以上。それでも争いはともかく、戦争をなくす方法がまったくない、とは言い切れないのかもしれないですけどね。僕には思い浮かびませんが。
 ああ、反論があったら怖いなあ。でもどこかでそれを待っているのかも。
 つけたしですが、現代における平和の意味とは、どこか本来のそれとは違ってきているような気がします。政治家の方便というか、何というか。平和の旗を掲げるだけで世論を見方につけ、対象国に向ける軍事的制裁を容易くする。同時多発テロが起きたときには、報復を期待していた市民たち。それが今は早く兵士を帰還させてほしい。勘弁してくれよ。
 注:僕は某国が好きってわいけじゃないけど、少し政治家の気持ちも分からんでもない。
 長文、さらに余計な意見申し訳ありませんでした。