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| 投稿者 | 殻鎖希 | [3] |  
| 投稿日時 | 2005年04月04日(Mon) 18時41分39秒 |  
| 今日は。殻鎖希(こくさのぞみ)と申します。 早速本題に移りましょうか。
 
 地の文がある一人の人物の視点から書かれている小説は「私小説」などと呼ばれることがありますね。
 夏目漱石の『我が輩は猫である』や葛西善蔵の『哀しき父』なども私小説の類にあたるものです。
 手法としてはキチンと存在していますし、決して怠けではありませんよ♪
 
 ただ…この私小説を書く際には語り手の立場というものが中々面倒な存在になることもあります。
 物語の登場人物と物語の語り手たる人物は、同一人物のようでありながら別個の存在でもあるんです。
 難しい話はここでは端折りますが…登場人物と語り手という二つの存在の境を見極め、場合によって書き分けていくことも問われるんですよね。
 作品を書かれる際には、この語り手の存在位置というものにも注意して一つ取り組まれてみてはいかがでしょう?
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