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一人称、なのか?!
投稿者 PO.RO.RI[1]
投稿日時 2005年04月02日(Sat) 22時11分33秒
 ども。こちらで小説を書いている者で、名前は・・・・・、上見りゃ分かりますね。・・・・・本題に入ります。
 現在戦争文学的な物語を書いているのですが、語り手(一人称で地の文を担当してるキャラクター)を変えつつ、多視点で戦争を考えてみる・・・・・、といった手法を取り入れてみたいのです。・・・・・これって、三人称が書けない私の怠けでしょうか。それとも、こういった手法、使われているのでしょうか。ご意見お願いします。




投稿者 アサキ[2]
投稿日時 2005年04月04日(Mon) 14時18分50秒
初めまして、PO.RO.RIさん。一応、私も文章書きで本も読みますので…未熟者ですけど、お答えさせていただきますね。
別に怠けなんかじゃないと思いますよ。そういう手法はあります。ちょっとPO.RO.RIさんが考えているものとは違うかもしれませんが、「ブギーポップは笑わない」という本はご存知でしょうか?それで似たような手法を使っていたと思います。
私的にもそういう方法は全然あり…むしろ面白そうだと思いますし、ぜひその手法でできあがった作品を読んでみたいです。

投稿者 殻鎖希[3]
投稿日時 2005年04月04日(Mon) 18時41分39秒
今日は。殻鎖希(こくさのぞみ)と申します。
早速本題に移りましょうか。

地の文がある一人の人物の視点から書かれている小説は「私小説」などと呼ばれることがありますね。
夏目漱石の『我が輩は猫である』や葛西善蔵の『哀しき父』なども私小説の類にあたるものです。
手法としてはキチンと存在していますし、決して怠けではありませんよ♪

ただ…この私小説を書く際には語り手の立場というものが中々面倒な存在になることもあります。
物語の登場人物と物語の語り手たる人物は、同一人物のようでありながら別個の存在でもあるんです。
難しい話はここでは端折りますが…登場人物と語り手という二つの存在の境を見極め、場合によって書き分けていくことも問われるんですよね。
作品を書かれる際には、この語り手の存在位置というものにも注意して一つ取り組まれてみてはいかがでしょう?