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この日本語って誤り?それとも…
投稿者 殻鎖希[1]
投稿日時 2005年02月21日(Mon) 21時27分27秒
語彙。それは小説を書く上で非常に重要なものです。
幅広い語彙力を身に付けておくことが大切であるのは、言うまでもありません。
しかし…そうした一方で、私たちの身の回りには実に多くの「誤った日本語」が氾濫しているように思うのです。
皆さんも、「この日本語っておかしいんじゃないの?」と感じられたことがあるのではないでしょうか?

私がこの話題に興味を抱いたきっかけは、「拳を握りこんだ」という表現を目にしたことにあります。
この場合の「こむ」とは「込む、籠む(こめると同義)」であると考えられます(その他の意では繋がるものがありません)。
しかしそもそも…「握る」と「こむ」を合わせることはできるでしょうか?
できたとして…拳を「握りこんだ」あるいは「拳を握りこめた」という表現はしても良いものでしょうか?
確かに拳を握ることで力を込めることはできます。
そうした場合は、拳を握り、力を込める…とでも言うべきでしょうか。
が…「拳を握りこんだ」と一続きにしてしまうと、どうにも意味がおかしくなります。
「握りしむ」「握りしめる」という言葉がありますが、それであれば表現上の間違いはないでしょう。
「拳を握り、拳を締める」ことができるのですから。
けれども、「拳を握りこんだ」というのは…どうにも奇妙です。

このような「怪しい日本語」は他にも沢山あると思います。
「この日本語って変じゃない?」と思うものがあれば、是非教えていただきたいですね♪
宜しくお願いします。



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投稿者 緑川潤[9]
投稿日時 2005年02月23日(Wed) 04時25分47秒
>しかし…もしもその新芽が毒を持っていたとしたら?
>見守ることにより、新芽も成長することでしょう。
>もしも…その毒が広がり、いつしかその毒が平然と受け入れられるようになったならば?
>そう考えてみると、なかなか怖いことのように思えるんですよ。

怖いことというの、分かる気もします。が、もしかしたら勝手に分かった気になっているだけかもしれない。ということで、ひとつ質問させてください。

「毒」とは一体どういったものなのでしょうか。

言葉の意味を伝える機能が失われてくるということでしょうか。それとも、もっと別な意味なのでしょうか。
自分が新芽とかそういう変な喩えを出しておいたのに、すみません。以前こんな喩えを出したばかりに話がそれて光合成の話になったことがあるのに、懲りてないですね、私も。

そういえば、日常の会話におけるおかしい表現についてはかなり寛容な私ですが、新聞やニュース、及び初等教育の現場ではあらゆる意味で正しい日本語を使ってほしいと思っているのです。アナウンサーが「日焼け止め対策」。有り得ないですね。この手の表現は、サブカルチャーの特権ではないかと思うのです。新聞などで使っていいのはそれが社会全体に十二分に行き渡って、国語の権威といわれる人たち(どんな人なのかいまいち不明ですが、なんかエラいヒトです)が認めてからの話ですね。そして理想としてはサブカルチャーで使いながらも、「これは、正式には変な表現」と皆が認識していればいいのになぁと思います。

ところで、謎だった表現を二つほど。
「幸せます」
「ありがとうございませんでした」(イヤミではなく)
いずれもかなり年配の方が使われた表現です。おいおい、何をいっているんだ? と、一度は思ったのですが、調べてみたらどちらも誤りではないようなのです。
前者は、方言でした。意味的には「幸せです」とほぼ同じのようです。そんなに一般的ではありませんが、年配の方は時折使われるそうです。
そして後者は、「ありがとうございました」+「すみませんでした」だとか。
間違いだと指摘して恥をかかずに済んで良かったです。
それにしても言葉って、奥が深いですね。

>また意見等ありましたら宜しくお願い致します♪
興味のある話題なので↑の言葉に甘えて色々と語ってしまっています。殻鎖さんや読んでいらっしゃる他の方々にとっても何か得るもののあるやり取りになっていると嬉しいのですが。

投稿者 殻鎖希[10]
投稿日時 2005年02月23日(Wed) 22時04分31秒
毒というのは「どこからどう見ても明らかに誤っている表現」です。
文法的に間違っていることは勿論、それを用いることにより相手に不快感を与えてしまうことすらある…そういう言葉もあります。
しかし、そうした言葉がいつしか常識になってしまったとしたら…なかなか怖いものですよ。
日本の歴史をたどってみれば、言葉(文法)が大きく変わった時代はあります。
平安文学と江戸文学で古典文法が大きく異なるのもその証拠ですね。
特に江戸時代の言葉は、それまでのものに比べて大きく乱れていると言えます。
そうした乱れもまた現在では文学として認められている…それは事実です。
しかし…だからと言って、今という時を生きている私達が「言葉の誤り」を許容してしまって良いものでしょうか?
そうした許容というのは、どうにもいい加減に感じてしまうのです。
今使われている言葉も、きっとそう遠くない将来に形を変えることでしょう。
けれども、だからと言って言葉の誤りを許容しても良い…ということにはなりません。
今使われている言葉も、また一つの文化なのですから。

とは言っても。
日常会話をする際には、言葉の使い方などについて私もあまり気にすることはありません(度が過ぎる場合は論外ですが)。
しかし、緑川さんがおっしゃられるように公の場での言葉については、やはり正しい言葉が使われるべきであると思います。
無論ながら…小説家と呼ばれる者にも当てはまることですね。

国語の権威と言えば…国文学や国語学、国語科教育の研究者になりますか…
しかしそうした方々がたとえ認めていなくとも、誤った言葉が世間で認められてしまっている例は実に多くあります。
「どうも私も、この言葉は何回聞いてもおかしいと思うんですがね…」と苦笑される教授もいらっしゃいますね。

「幸せます」と「ありがとうございませんでした」について…この二つはどちらも聞いたことがありません。
前者は方言ということですが…どちらの方言なのかご存じですか?
…答えを伺う前に、私も一つ予想をしてみましょう♪
言葉の性質から察するに、おそらくは東京のイントネーションに近い地域で用いられていると考えられますね。
そう言えば、山口では「幸せな」という言葉が動詞化した表現があったような…
山口であれば東京のイントネーションとも近いですし、一応の辻褄が合いますね。
ということで、私の予想は山口です。
後者ですが…こちらも方言なのでしょうか?
「ありがとうございました」+「すみませんでした」という表現を用いて良いものなのかどうか疑問でもありますね…
宜しければ、こちらについてももう少し詳しい説明をお願いします♪

投稿者 殻鎖希[11]
投稿日時 2005年02月23日(Wed) 22時29分27秒
少々興味が興味が湧いてきたので他の話題も出してみましょう。
勿論、前に出していた話題のことについての意見もお待ちしていますよ♪

新しく生まれた言葉の中には、「おお、成程。面白いな」と思わず納得させられるものも数多くありますね。
この場合の面白いというのは、「愉快だ、楽しい」というものでも構いませんし、「興味をひかれる」といったものでも構いません。
一瞬「え?」と感じてしまうかも知れないけれど、意外に面白い言葉…きっとあると思いますよ。

例を挙げましょう。
「さぼる」という言葉がありますね。
現在ではすっかり定着していますが、この言葉は結構新しい言葉です。
「サボ」という言葉を動詞化したものですね。
他にも似たような言葉であれば「だぶる」とか「事故る」とか色々あります。
名詞の後に「〜る」を付けて動詞化するという法則?でしょうかね。
度が過ぎると問題でしょうが、話し言葉で使う分には面白いと思います(くだけた表現ですので、書き言葉で使ってしまうといささか問題があるでしょうがね)。
「さぼる」も良いな…と思うのですが、特に面白いと思ったのは「だぶる」。
英語のダブルと日本語の「〜る」の二つを掛け合わせた言葉なんですが…こうして見ると掛詞のようです。

皆さんの周りにもそうした「ちょっと面白い言葉」ってありませんか?
ありましたら、また是非教えて下さい♪

投稿者 HANA(花檻)[12]
投稿日時 2005年02月23日(Wed) 23時18分04秒
殻鎖希さんありがとうございます。やっとすっきりしました。
どこで目にしたのか覚えていないのですがつい最近目にした言葉だったので気になってました。

なんだか話はとてつもなくハイレベルになってて私が割り込むのも気がひけますが、少しだけ。

よく聞く面白い言葉といえば「へこむ」です。
私は関西方面に住んではいないので関西弁のこの言葉が全国区で使われているのは面白いな〜と感じます。最近では日常生活の中で普通に使ってます。

あと日本人なら誰でも使う「どうも」ですね。ありがとう、すみません、こんにちは、いろんな場面で使われるある意味万能な言葉だと思います。

「サボる」これは日本語だと信じて疑っていなかった言葉の代表です。
私は「サボタージュする」の略だと聞いた覚えがあります。それを聞いたときはかなり驚きました。死語と呼ばれる「ナウい」もその類だったような…。

日本語好きですがあまり詳しく語れないのでこの辺で失礼します。






投稿者 殻鎖希[13]
投稿日時 2005年02月24日(Thu) 00時51分28秒
すっきりしていただけたようで良かったです、HANAさん。
遠慮なさらず、気が付いた点や「これなんか面白いんじゃないかな」という話題があればドンドン書き込んで下さい♪
HANAさんのお話も面白くて、参考になりますよ。

「へこむ」も随分と定着してきましたね〜。
私も財布の中身を見てよくへこんでおります(笑)。
へこむという言葉の元々の意味は「物の表面をくぼむ」ことですよね。
…ん?でもちょっと待てよ。
元々の意味において「へこむ」も「くぼむ」もほぼ同義。
ならば…先程書いたあの文も「私も財布の中身を見てよくくぼんでおります」と書き直せるのではないか?
…いやいや、やはり「くぼむ」よりも「へこむ」の方が言葉の響きがいいし、「落ち込んでいる」という状態をイメージしやすいかな。
……とまぁ「へこむ」一つを取っても色々と考えてしまいますね♪
イメージ的にも語呂的にも分かりやすくて、私も好きですよ。

「どうも」…確かに万能ですよね。
しかし…その一方、この言葉は使いどころが難しいように私は思います。
私は目上の人に対しては、あまり「どうも」という言葉は使いません。
「どうもありがとうございます」という風に併用することは多々ありますが…「どうも」のみでは使いにくい場面も多いです。
目上の人に対してのみならず…時としては友人等の身近な存在の人に対しても使いにくい時がありますね。
HANAさんはいかがでしょう?

先にも話題になりました敬語表現のことについてまた一つ。
私がよくやってしまう間違いをここで挙げておきます。
それは「おっしゃられる」という敬語。
この間違い、知らず知らずの内によくやってしまいます。
ここへの書き込みの中にも案外多く書いてしまっているかも知れません。
例えば…「○○さんがおっしゃられた××ということについでですが…」なんていう感じに。
「おっしゃる」という尊敬語に、さらに尊敬の意を表す「れる」を付ける…
これでは二重敬語(過剰敬語)になってしまいますね。
私自身、気を付けるように心がけているつもりですが…癖というものはなかなか直らないものです。
日本語…奥が深く、難しいものですね。時々…ふとした機会に、つくづく実感させられることがあります。

投稿者 緑川潤[14]
投稿日時 2005年02月25日(Fri) 04時47分37秒
>毒というのは「どこからどう見ても明らかに誤っている表現」です。
早速の返信ありがとうございます。

唐突ですが、極論を言います。
私は「言葉というものは伝えたい事を伝えることができれば他のことはどうでもいい」と考えています。そしてその根底には、私がただの道具として言葉を捉えているという事実があります。ただの道具として捉える以上、意味が伝わるのであればそれ以上の議論は必要ないということです。

>今使われている言葉も、また一つの文化なのですから。

これを読んで、改めて殻鎖さんと私の言葉に対する態度の違いを感じました。
重ねていいますが私は言葉を単に道具として見ています。伝えたいことが伝わればいいと思っています。ですが、言葉を文化の一部として捉えるという対し方も、できるのですよね。精神的なものと言葉の繋がりが強いほど、変化に対して敏感になったりですとか。例えば、言葉による神への祈りを重要視する民族が、数百年前からほとんど変わらない言葉を使っているという話も聞きます。
だから何だという感じですが、つまり私は、ここに言葉への対し方の違いがあったのではないかと、思い至ったのです。つまり私は言葉の道具としての側面ばかり見ていて、文化とかそういったものとしての側面を視野に入れないようにして発言して来たのだなぁということです。今更ながら多少視界が広くなりました。文法的な誤りを放置しておけないという考えについても私なりにですが、理解できました。

それでは、前言撤回して無闇な変化を否定するのかといえば、それはできません。
私はこの変化が好きなのです。「なにげなく」を「なにげに」と略し、「普通においしい」をかなり上位の褒め言葉としてしまう大胆さを、そしてそれらの言葉で不自由なくコミュニケーションを取ってしまう柔軟さを羨望をも含んだ目で見てしまい、それらに含まれる毒すらも、愛すべきものと考えてしまうのです。(そもそも言葉を道具としてのみ捉えると、文法的な誤りも必ずしも毒とはいえませんが)
ですから私は敢えて、言葉に対して道具としての役割を果たす事のみを求め、変化を受け入れたいと思うのです。

だからといって変化(というか、文法上などの乱れ)に対して危惧することを否定するわけではありません。むやみやたらに言葉が変化することに対して不安に感じる人もいるでしょうし、そういうものだと思っています。
そういったわけで、言葉に対する姿勢は違っても、お互いに否定しあうことなく意見を交換しあえたらいいと思っているのです。このようなことは、少なくとも殻鎖さんに対しては敢えていうまでもなかったようだと今は判断していますが。

>しかし、緑川さんがおっしゃられるように公の場での言葉については、やはり正しい言葉が使われるべきであると思います。
>無論ながら…小説家と呼ばれる者にも当てはまることですね。
私は、小説は(ジャンルにも社会的な扱われ方にもよりますが)サブカルチャーと思っていますので、あくまでも正しい表現にこだわる必要はないと思っています。まあ、その小説の性質にもよりますが。「児童文学」ということで書かれた文章に多くの文法上の誤りが含まれていてはどうにもこうにもですからね。

>「幸せます」と「ありがとうございませんでした」について…この二つはどちらも聞いたことがありません。

>前者は方言ということですが…どちらの方言なのかご存じですか?

ええ、勿論。私が親しんだ地域のうちのひとつです。
どこかをはっきりと述べることはできません。申し訳ないのですが、誰にでも見ることができるというこの場の性質上、これ以上の追究はご容赦ください。ただ「おっしゃられる」という妙な表現を避けて「言(ゆ)うちょっちゃた」といえる地域であるとだけ言っておきましょう。中途半端な説明ですみません。

>後者ですが…こちらも方言なのでしょうか?
>宜しければ、こちらについてももう少し詳しい説明をお願いします♪
これは、この言葉で問題なくコミュニケーションが成立しているのを目の前で見、更に知人に聞いたところ「こういう意味で使われてるらしいよ」と言われ、その上で「ありがとうございませんでした」でググってみたところ同じような説明が出てきたため、ある程度一般化していると私が勝手に判断したものです。こっちに関しては、聞いた回数も圧倒的に少ないですし、決定的ではないです。

>皆さんの周りにもそうした「ちょっと面白い言葉」ってありませんか?

上の文中でも使った「ググる」。「Google検索をする」の意味で、ネット上でよく見ます。好きな表現のうちのひとつです。「グーグル」ののばし棒を取っただけで動詞になってしまうのが何となくおもしろいと、無理にでも使ってみたくなる表現です。

投稿者 殻鎖希[15]
投稿日時 2005年02月26日(Sat) 17時29分55秒
そうですね…「言葉とは一つの文化である」ということはできます。
しかし、「言葉」もまた時代の変遷と共に変化するもの。
不易ではなく、流行なんです。
今の時代に古語を話す人はいませんしね。
言葉の変化を受け入れていくことも大切だと思いますよ♪

「幸せます」と「ありがとうございませんでした」について。
「幸せます」のことについては、分かりました。
どうもありがとうございました♪
「ありがとうございませんでした」についてはググると出てきた…フム、私も一つググってみましょうか♪
ああ、確かにありますね(インターネットに載っている情報の中には信憑性の低いものも多くありますが…)。
しかし、この表現…あまり使わない方が宜しいでしょうね。
「ありがとうございませんでした」と言えば、どこか嫌味にも聞こえますし
(まだ「すみません」の一言で済ませる方が良いかも…)。
誤解を生むきっかけにもなり得るように思いますね。

「ググる」…先に出した「サボる」「ダブる」あたりと似た性質がありますね。
「double」という英語から派生した「ダブる」に近いものがあるように思います。
そう言えば…近年、インターネット用語がよく用いられるようになってきましたね。
「ググる」もその一つでしょうが…なかなかに面白い現象だと思います。

投稿者 緑川潤[16]
投稿日時 2005年02月26日(Sat) 23時09分16秒
>「ありがとうございませんでした」と言えば、どこか嫌味にも聞こえますし
>(まだ「すみません」の一言で済ませる方が良いかも…)。
>誤解を生むきっかけにもなり得るように思いますね。
そうですねえ。私自身この言葉を聞いた時、嫌味かと思いましたし。あぁ、迷惑だったのかな……、と。
異なった意味に取ることができ、更に認知度の低い表現は注意して使わないといけませんね。

>そう言えば…近年、インターネット用語がよく用いられるようになってきましたね。
>「ググる」もその一つでしょうが…なかなかに面白い現象だと思います。

インターネット用語というには多少問題があるかもしれませんが、2○ゃんねる用語と呼ばれるものには面白いものがいくつもありますよね。ただ、人を不愉快にさせるためにできたような言葉も多くありますが。

色々な言葉に「る」を付けて動詞にするというのは、最近かなりよく見ますね。「拒否する→拒否る」という表現を耳にしたときには流石に、「す」くらい入れろよと思いましたが……。ただこの場合活用形が変わったりとかして多少楽になった感じがします。(サ変→五段ですか? 日本語文法は中学校位の知識までしかないので勘弁です)

「なにげに」などはよく耳にしますが、最近、還暦を迎えたくらいの御婦人が使っているのをみて多少の驚愕は禁じ得ませんでした。あぁ、こんなにも浸透したのか、と。

まとまりのない書き込みですが、このあたりで失礼します。

投稿者 殻鎖希[17]
投稿日時 2005年02月28日(Mon) 01時30分22秒
2○ゃんねる用語ですか…私はあまり好きではありませんね。
もしかすると、「人を不愉快にさせるためにできたような言葉」しか見ることができていないのかも知れませんが…

インターネットの普及により用いられるようになったものとして、顔文字もありますね。
顔文字は日本語ではないのでしょうが(日本特有の顔文字は数多くありますが、それを日本語と呼ぶことはできないでしょう)、これもなかなか面白いのではないのかなと思います。

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