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| 投稿者 | レッド | [2] |  
| 投稿日時 | 2005年02月18日(Fri) 00時32分47秒 |  
| 里喜さん 
 レッドです。
 取材というわけですね。
 
 心あたたまる・・・
 
 では実話から
 
 これは数々の非行少年たちを更正させ、その子らから実際の父親以上の存在として尊敬された男性と非行少年達のおはなしです。
 
 刑務所とかにはいってながく服役した少年たちのなかで、子供の頃に良心から愛情をもらえずに育ち、暴力沙汰をおこしていたわけなんですが、その男の更正方法はかわってました。ただひたすらに石を磨かせるのです。やがていびつだった石はまるみをおびかがやきさせはなちます。
 そして、寄宿舎(といっても男の家だが)の生活は時間にきびしいのですが、徐々に少年達は、自分達を本気でしかってくっれるやさしい男の存在に気づき、やがて人の本当のやさしさの意味をしるのです。
 やがて更正した少年達は手に職をもち家族をもち、いつまでもその男を自分の父親と思い続けひたすらに尊敬し、2度と足をふみはずさぬよう精進しつづけているとのだそうです。
 
 ようは愛とは人と人とは真剣に向き合うことだということです。
 それにふれたとき、人は人の温かさをしります。
 
 ときには意外性もありでしょう。
 自分になんか無関心だと思っていた彼や彼女が実は、自分の長所をかげながらみとめていて、かげながら応援してくれていた(影から支援して助けていた)ことが分かるような時。
 
 劣等感を持ち続けていた人が、些細なことで人から認められたときは、やればできる自信と、人のためにつくすことで自分にも益になると感じたときとかもありますね。
 
 武士の話では・・・
 辞せの句をよませてくれてから、介錯してもらえるとか・・・
 
 飢えにくるしみ食べ物をこう人に、まわりの目があるからといいながらもせめて水でもといい、つめたい水は体にわるいからと、白湯をあたえてくれるようなほんのちいさな、だけど相手の体をいたわるような心つかいがあたたかいと感じますね。
 
 どうでしょう、参考になったでしょうか?
 いかに相手を尊ぶか・・・・思いやりの心を持ってせっされたとき、人は人を暖かいと感じます。
 対応が厳しくても、自分を鍛えるためだというものがわかったらどんなに厳しくても暖かいと人は感じます。
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