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| 投稿者 | レッド | [1] |  
| 投稿日時 | 2005年02月05日(Sat) 13時36分44秒 |  
| 私は実は、会社の後輩を何度かにわたって、一ヶ月教育したことがあります。 学校の授業とは違うものの、最後はお偉いさんを前にして発表させていたので、失敗したら責任重大だと冷や汗ものでした。
 
 何を教えていたかといえば、ソフトウェアの開発です。ソフトを企画し、開発計画をたて、仕様設計し、製造し、評価して、不具合をすべて0にして、その成果を発表させてました。後輩のみなさんは私より学歴の高い人ばっかでしたが、大学では教えていないことを学ばせるので大変でした。
 
 で、国語力は当然いります。企画書、仕様書、プレゼン資料は全部言葉を書きますので・・・・。みなさんプログラムコード書くのは得意なようなのですが、企画書、仕様書、プレゼン資料の初稿は見れたものではなかったですね。
 「おまえら、自分で読んでわかるか?」と聞いてやったら、しばらく考えて、「わかりません」と返ってまいります。
 書き終わって自分で読んだときは完璧だと思ったそうですが、いざ指摘をうけはじめたら、自分達でも間違いがわかり、とんでもない文章になっていると気づいたといいました。
 
 でも経験つむとなおってくるのです。
 なぜかといえば、参考にする文書がいたるところにあり、すべての文書はレビューされるのですから、よくなって当然でしょう。
 
 でも、小説はそうはいかないので、なかなか書いても上達しないと思います。
 
 こういうところで公開して、指摘を受けてへこんでしまうと立ち直れなくなるような人も少なくないのではないかと思います。
 多くの方は、まず、「褒められたい。」や「共感をうけたい。」と思っておられるでしょう。ところが、ここでの反応は私もふくめ「つじつまの合わないところの指摘」や「文章表現のまずさの指摘」が先に参ります。
 肝心の「褒め」や「共感」はわずかしか書かれていない。
 
 学校の授業で、文章の書き方のレビューなどは一切ありません。大学の卒業論文にすらないのです。
 
 レビューをすれば確実に文章創作能力があがるのに、なぜ学校教育では全くおこなわないのか?
 
 スポーツでは、フォームが悪ければ直したりしますのに・・・・
 勉学に関してこれがないのは、テストというものがあるからだと私は思います。
 
 高校や大学を出てからレビューされるとなるとちょっと遅い気がいたします。もっと早くにやっていればよいと思うのですが・・・・
 言葉つかいの乱れも、正す者が家庭にすらいないので乱れて当然でしょう。
 
 学生の方、先生をされた方、社会人の方、それぞれの立場でどう思われますか?
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