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neseという人物の本質と紹介
投稿者 nese[1]
投稿日時 2005年01月26日(Wed) 00時35分47秒
こんにちは。色々な人の共感なり、反感なりを買っているのではないかと勝手に思っているneseです。
さて何故、今更そんな事をするのか?それは私が意見を言う上で私がある程度どういう人なのか?どういう思考の持ち主なのかというのを少しでも知ってもらいたいからです。全く知らないより良いと思いまして。


【nese自身の紹介】
年齢:20(大学生)
住居:愛知(地元)→大阪(一人暮らし中)
動物占い:レッド狼
趣味:バスケ・ビリヤード・ボーリング
書き上げた作品:love of angel(恋愛)・andante(ファンタジー)・風さんと(童話)・兎と亀(童話)・雨さんと(童話)・その笑顔の向こうに〜君がくれたもの〜(恋愛) 注意・love of angel以外の作品は小説&まんが投稿屋でご覧になれます。Love of angelはネット公開は致しておりませんのでご了承ください。
好きなもの:スポーツ(特に球技)・音楽(特にスピッツ・DEEN)
苦手なもの:レーズン・プルーン
長所:寝相が悪くない
短所:欲しいものにはお金を出し惜しみしない
好きな色:青色・赤色
嫌いな色:緑色と黄色が微妙な感じで混ざった色
好きな言葉:自己中心的 ※1
嫌いな言葉:善・悪   ※2   ※に関しては下のスレッドに説明があります。


【小説を書こうと思った動機】
小説を書こうと思ったのは、自分の書いた話が後世にずっと残るものだからです。それは所謂「血」を残す事と似ています。
もっと詳しく言うと、私達は何かを残し、伝える事が生きている中で行う一つの行動に挙げられるのではないかと思います。まあ、簡単で代表的な例が子供でしょう。しかし、私は子供だけではなく他の…それも「自分」というものをなるべくそのままの形で残したいと思いました。本というのはそのまま形として残ります。なので、小説を選びました。しかも、小説は自分が思うこと、言いたいこと、感じた事が自由に書けるし表現できるので発言が好きな私にはピッタリでした。(これは初めの作品を書いた後で気が付いたことでした)
そして、そうした私の一人よがりだったとしても、その意見にちょっとでも耳を傾けた時に、何かを感じてくれたり、考えて頂けるような作品を作りたいと思い、今も書き続けています。


【小説というものについて】
・「共感」というよりも「感銘」できるものが小説だと思います。「共感」というのは一時の慰め的なものよりももっと大きな何かに向かっていくものだと思います。小説というのはそんな一時的なものではなく、いつまでも人の心に残せるような「もの」を持っていると思うからです。そして、その一例が「感銘」です。感銘とは自分のより大きいものに出会ったとき、心から湧き上がってくるような感動です。そういう感動はいつまでも心に残るのではないでしょうか?また、小説にはそれを行えるだけの「もの」があると思うし、それを生かすのが小説だと思います。
・言葉を使って言葉では伝わらないものを書くのが小説だと思います
・作品を書いて自分も成長したと思えるのが小説だと思います。それはもちろん技術面よりも内面的なものです。・


【気をつけていること】
・他人の言葉は鵜呑みにせず、自分の感じることを大事にすること
・人という存在を肯定すること
・社会化されたものを見る視点に立つのではなくて、社会化されている人間の中にある社会化されていない部分を書くこと
・楽しいから楽しい、辛いから辛いというのを伝えるように書くこと
・一気に読める面白さにしないこと。
・書くときは頭を小説モードにしないこと
・小説をちゃんと完結させること

【メッセージ】
私の自己紹介を見て「もっとここが知りたい。」「聞きたい。」「他のスレッドでのこの意見を詳しく!」という物好きがいましたらなんなりと聞いてください。
また、「この紹介の部分でこう書いてあるけど、私はこう思う。」「ここが違う!」「私もそう思う。」「他のスレッドでこんな事言ってるけど…どうなの?」などがありましたらどしどし提案してください。その点もしっかりと考え、答えさせていただきます。そして、そういうのは嬉しいです。提示版というは本来そういうのを言い合い、考えを広げ深くする場であると私は思いますので。(ストレス解消に使う荒らしは別ですが)


それではまた。(是非下のスレッドの自己中・善悪についても目を通していただきたく思います。)




投稿者 nese[2]
投稿日時 2005年01月26日(Wed) 00時36分53秒
【※1、※2について】
ここで誤解して頂きたくないのは、よく自己中心的はいけないって言いますが、結局基本は自分で想うから判断するから行動するという事です。
誰かが辛い思いをしているから助けよう…これは他人が苦労しているから助けたいのではなくて、「自分」がそれを見ていて耐えられないから助けたい、自分もそういう目にあった時、助けてもらいたいから助けたい、自分がそういう目にあった事があるから助けたいと思うのではないでしょうか?そういう風に動く自己中心って大切だと想うんです。
よく色んな事で何が善で何が悪が叫ばれますが、自分がされたくない事をしない、自分が幸せだと想う事を相手に分けてあげたいし、不幸ならそれを助けてあげたいという気持ちがまず大事なのではないでしょうか?そして、それを訴えるのが本当であって、善悪を訴えるのは違う気がします。また、そういう気持ちから出た行動に善悪の意味をつけて「偽善だ!」なんて言ってる事がおかしいし、本末転倒ではないでしょうか?そりゃ、困っている人達等により困らないようにする事、それに見合った行動をするのは大切ですが、例えそれが出来なかったとして、それは嫌がらせで出た行動ではないので責める必要性はないと思います。むしろ、そういう事ばかりに囚われて行動できない事により感じなくなる事が怖いと思います。行動なんて反省すればやり直しができますが、心がなければまず行動しようなんて思いませんから。逆は真ならずです。
と、話がずれてしまいましたが、結局善悪なんてものは(誰が作ったのかも分からない)社会が決めた一つの価値観であって時代が変われば、世の中が変われば簡単に変わってしまいます(現に価値が変わったことなんて山ほどあります)し、法や定義なんて気にしなければ簡単に破る事もできます。それよりも、自分自身が何が大切で、どうしたくて、されたくなくて、相手にどうして欲しいか、どうして欲しくないかという自己中心的な…自分の中から溢れてくる精神を大事にして行動しなくてはいけないと思います。だから、自己中心と言う言葉が好きなのです。相手の事を考えるのは大事で、要らないわけではありません。しかし、残念ながら完璧に分かるなんてないです。そこを忘れてはいけないと思います。その上で自分はどうするのか?これだと思います。
そして、行動なんてそういうもので、善悪という定義があるからやるとかやらないではないと思いますし、それでは自分ではない誰かに動かされている気がして、私の気持ちが偽者のような気がして私は嫌ですね。また、定義というのは教えるものなのです。人のそういう部分は教えるよりも感じることが大事だと思います。なので、善悪という言葉が嫌いなんです。また正誤もちょっと違いますが、大体同じ様な理由で嫌いです。ちなみにこれは次回の新作に繁栄されている部分です。)


長々と書いてしまいましたが、以上がneseの紹介ですが、これはほんの一部分でありますし、変化することも御座いますのでその点はご了承ください。
しかし、この中から感じるあなた様のneseの基本的構造は変わらないと思います。少しでもなんとなくでも私の事が分かって頂けたなら幸いです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。

投稿者 馬駆 春[3]
投稿日時 2005年01月26日(Wed) 22時11分40秒
neseさん、どうもですv

>ここで誤解して頂きたくないのは、よく自己中心的はいけないって言いますが、結局基本は自分で想うから判断するから行動するという事です。

自分もいつもそう思います。
常に世の中は一個人としての独断と偏見の上に成り立っているのだとv

>よく色んな事で何が善で何が悪が叫ばれますが、自分がされたくない事をしない、自分が幸せだと想う事を相手に分けてあげたいし、不幸ならそれを助けてあげたいという気持ちがまず大事なのではないでしょうか?

>結局善悪なんてものは(誰が作ったのかも分からない)社会が決めた一つの価値観であって時代が変われば、世の中が変われば簡単に変わってしまいます(現に価値が変わったことなんて山ほどあります)し、法や定義なんて気にしなければ簡単に破る事もできます。

そうですよね。
ある犯罪者が言った「すべての行為は善である」この言葉の通りかもしれません。
世の中に悪という行為はないのかもしれません。
お互いの善というものに対しての行動がすべての上に成り立つのかも。
世の中の対立は常に善と善で成り立っている、そう取るのもあまりおかしくないかも。

>そして、行動なんてそういうもので、善悪という定義があるからやるとかやらないではないと思いますし、それでは自分ではない誰かに動かされている気がして、私の気持ちが偽者のような気がして私は嫌ですね。また、定義というのは教えるものなのです。人のそういう部分は教えるよりも感じることが大事だと思います。なので、善悪という言葉が嫌いなんです。また正誤もちょっと違いますが、大体同じ様な理由で嫌いです。ちなみにこれは次回の新作に繁栄されている部分です。)

何やらものすごく意見の同じ人と会うとうれしいですね!
実はいつも自分が小説にこめていたテーマって『善悪』だったんです。
話の流れなどでいつもこの否定ばっかりに気を使ってましたv


となんだかちょっぴり興奮してしまってる馬駆でした(苦笑
それでぁ、執筆がんばりましょう!

投稿者 殻鎖希[4]
投稿日時 2005年01月26日(Wed) 23時10分54秒
フムフム…読ませていただきましたよ♪

neseさんのおっしゃる通り、善悪とは時代によって立場を変えます。
例えば…私は新撰組が大好きなんですが、彼らにしても時代の変遷によって善悪を左右されていますよね。
本来ならば正義であったはずの新撰組…しかし彼らは倒幕という時代の流れの中において次第にその立場を変えていくわけです。
彼らの本質は何も変わっていないであろうのに…時代の流れによって善悪とはあっさり変わっちゃうものなんですよね。

そもそも正義とは…人の持つ強い信念であると私は思います。
ですから一概に、「こういう行いが正義なんだ!」と定義づけることはできないでしょう。
そういう意味では、新撰組の隊士達もまた最後まで正義の武士であったと私は思います。
何度も例に出してしまってスミマセン…しかし本当に好きなんですよね、新撰組(特に副長の土方歳三あたりがもう…一度新撰組の小説も書いてみたいものです♪)。
あえて正義を主張するならば…自らの持つ正義を信じれば良い。
あまりに極端な思想を持たれたりしている方であればそれも困りものかも知れませんが…基本的に私はそう思いますよ。

小説家としてもお互い頑張りましょう♪