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国語の勉強とは
投稿者 殻鎖希[1]
投稿日時 2005年01月22日(Sat) 11時57分54秒
良い小説を書けるようになるための近道の一つに、国語の勉強をしっかりと行うということがありますね。
さて…ここで少しお訊ねしたいことがあります。
国語の勉強を行うには具体的にどのようなことを行えばいいと思いますか?
漢字の練習をすることでしょうか?難しい問題集を解きこなしていくことでしょうか?

私自身、国語の勉強について皆さんがどのように考えられているのかな…とふと疑問に思ったもので。
よろしければ、お答え下さい♪



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投稿者 殻鎖希[11]
投稿日時 2005年01月26日(Wed) 23時39分05秒
はい、初めまして♪殻鎖希(こくさのぞみ)です。
これからもよろしくお願いします。

そうですね。新聞を読むというのは確かに面白いです。
書き写すことも勉強になるでしょう。
しかし…私は目の前にある物に対して疑いの目を向けてみることも必要であると思います。
そもそも…新聞では、本当に起こった事実を正確に表現する文章が書かれているのでしょうか?
答えは…NOです。
実は、新聞の中にも悪文と呼ばれる文が潜んでいる場合が多々あるんですよ。
文法的に間違っているわけでもないし、日本語を間違っているわけでもない。
別に何かを間違っているわけではいないんです。
では何がまずいのか?
…読み手に対して誤解を招かせる表現というものが結構あったりするんですよね。
文章として間違ってるわけではないんですが、起こった事実を正確に表現することはできていないものがあるです。
語順の並びが悪かったり、細かいところでの句読点の打ち方が少し不適切であったり。
そうしたことが原因で、正確に事実を伝えきれていないものもよく見かけます。
そういったものを探し、一つ訂正を加えてみるというのも良い勉強になると思いますよ♪

投稿者 ミラーマン[12]
投稿日時 2005年01月28日(Fri) 09時18分55秒
 初めまして、ミラーマンと申します、宜しくお願いします。早速ですが国語の勉強という事に関して言えば、私の場合は小説等の文章を書く事だと考えています。頭に思い浮かんだ文章をさらさら書いてお終いなんて事は先ずありません。
 あーでも無い、こーでも無いと考えながら書いている訳で、それが一番の近道の様に思います。今ここでも常に漢字への変換が行われている訳ですが、それが漢字の勉強になります。自分が思い込んでいた漢字と違う変換になって驚いて辞書を開くとその通りだったりしますから。
 それから例えば句読点は何処で打つべきか何て事が、ひっきりなしに起こっている訳で、ここまでの文章でも、かなり迷っています。
 さて話題は変りますが、何処かへ旅行するのも良い、とか。その通りだと思いますが、金も暇も無い私にとっては夢の様なお話で、出来る事と言えばテレビの中の映像で我慢するしかありません。
 しかしそのテレビが馬鹿になりません。旅番組は山の様にありますし、一生行けそうもない所へも連れて行ってくれますから。得られる情報にある種の偏り(高視聴率を目指す以上ある程度止むを得ません)があり、匂い等は全然分かりませんが、それでも処理し切れないほど膨大な量の情報が得られます。
 その他にテレビは様々な情報を提供してくれます。ついこの間も、森と林の違いを言っていました。思い込んでいたのとは全く違っていまして、林は人工的なもの(生やし)、森は自然のもの(盛り)の意味と知ってちょっとビックリ。
 それからラジオも良いですよ。例えば「大地震」は何と読む? 本来は、「おおじしん」しかし大多数の人は「だいじしん」と読む。どう読むべきかアナウンサーは困っているとか。そんな情報が沢山得られます。
 勿論読書は当然、辞書を開くのも当然である事を前提にしていますが。
 それではここいら辺りでさよなら。

投稿者 殻鎖希[13]
投稿日時 2005年01月28日(Fri) 22時59分39秒
はい、初めまして♪これからもよろしくお願いします。

小説も勿論ですが、文章を書くというのは大変な労力ですね。
私も試行錯誤することがよくあります。
文章を書くという、その行為自体が国語の勉強になると言っても、あながち間違いではないと思います。
「書く」力は確実につきますからね♪

テレビを見ることも良いと思います。
「聞く」ことの勉強の一つにもなりましょうか。
尤も、テレビばかり見ているのも少し困りものですね。
ミラーマンさんがおっしゃるように「読む」「書く」の勉強も必要です。
もう一つ、「話す」というのがあればなお良いと思います(聞くことと話すことは本来セットでもありますからね)。

投稿者 土師 英明[14]
投稿日時 2005年01月29日(Sat) 01時28分22秒
はじめまして、土師という者です。

>国語の勉強を行うには具体的にどのようなことを行えばいいと思いますか?

なんでもいいんじゃないかなーと思います。
国語だけに限らず、数学、英語、理科、学べるものは何でも学んで吸収してしまえばいいのです。
手にした知識は決して無駄にはなりますまい。
きっと小説を描いていく上で役に立つと思います。

・・・とはいえこれでは提起された問題に対して答えになってません。
一番効果的なのはやはり読書なんでしょうか。
時間があれば読んだ書物に対して感想文なんかも書いてみたらいいかも知れませんね。
私は今高校生なのですが、現代文の授業でこんなことをやらされました。
『国語辞書の適当な部分を五分読んで、その感想文を書く』。
めっさ難しいです。短い時間の中で自分の関心事をはっきりさせてそれを頭の中で纏め、文章にする。
読書、という行為をしているという実感はあまり湧きませんが、文章を書く、という能力を伸ばすのにはけっこう効果的だったような気がします。
もっとも、長い時間をかけて読んでこそ見えてくるものもあるのでしょうが。

こんなんで参考になるのかなー。
とりあえず、私の意見はこんなところです。

投稿者 殻鎖希[15]
投稿日時 2005年01月29日(Sat) 11時51分12秒
初めまして♪ありがとうございます。

勿論、国語以外の勉強も大切ですね。
小説を書く上でも知識として役に立つこともあるでしょう。

そして国語の勉強を行う上で効果的なのは読書…確かにその通りですね。
ただ…感想文を書くということについては少々引っかかるものを覚えます。
土師さんは『国語辞書の適当な部分を五分読んで、その感想文を書く』という活動を授業で行われたそうですが…
はっきり言っちゃいますと、これは全く国語の勉強になっておりません。
国語科教育の観点から見ても、この活動が国語の学習とまるで繋がっていないことは明白です。
理由は以下の通りです。

@国語辞書とはそもそも読んで感想を抱くといったことを目的とする書物ではないし、普通は抱かない。
A感想文を書かせる…と言っておきながら、五分間という制限時間をつけるのはおかしい。
文章を素早く的確に書く力は必要であるが、この活動からその力が培われるとは思えない。
B辞書を「読む」という行為と感想文を「書く」という行為は全く別個のものである。
二つの活動を一度に行ってしまっては、生徒が戸惑うのも必至。
C本来、感想文とは書かされるものではなく、自ら書くものである。
自分が「何か文章を書きたい」という意志が伴わなければ、本当に良い文章を書くことができない。

もしも私であれば、絶対にこんな活動をさせません。
国語科の先生方の中には、「夏休みの宿題として取り入られている読書感想文を廃止すべきである」とまで主張していらっしゃる方がいます。
そうおっしゃられる理由は、上のBとCなんですね。
読書感想文の完全廃止とまでは主張しませんが、理由につきましては私もほぼ同意見です。

土師さんも、もしまた読書感想文を書く(書かなければならない)機会があれば…
「あぁ、この本面白いな。感想を書いてみたいな」と本当に思えるような本を見つけることから始められてはいかがでしょう?

投稿者 土師 英明[16]
投稿日時 2005年01月29日(Sat) 13時48分58秒
早速のご返信、ありがとうございます。

ざくっと斬ってもらうと気持ちえぇです(Mではありません)。
これをその先生が見たら何て言うかな。

>@国語辞書とはそもそも読んで感想を抱くといったことを目的とする書物ではないし、普通は抱かない。

それは先生も解ってたとは思います。
ただ穀鎖さんの言うところの「普通」というのはちょっと解りかねます。
普通は感想を抱かないような書物を選んだあの先生は異常でしょうか。
「国語辞書をテーマに挙げたその先生はどんな理由からそれを選んだのか」くらいにしておいてやって下さい。先生が泣いちゃうので(笑)

>A感想文を書かせる…と言っておきながら、五分間という制限時間をつけるのはおかしい。

授業だから仕方ないとは思いますが。
まぁそれにしても短すぎだってことは誰もが思ったことです。はい。

Bについてはまったくその通りです。
読ませることと書かせることは別々にした方がいいです。
いっぱいいっぱいになってしまいます。思考回路はショート寸前です。

Cは・・・正論です。正しいことを仰っているとは思います。
でもそれは今の子供たちにはあまり望めないことなんでしょうね。
文章を読むのも書くのも苦手にしている子がけっこういるみたいですし。
違う話になりますが私は図書委員長で、学校誌(生徒や教師の書いた様々な文章を載せる冊子)の編纂作業に携わっているんですが・・・
本当に生徒の文章って拙いものが多いんです。
読書感想文には帯のあらすじをそのままコピペしたような文章が並んでばかり。行事の作文は事実だけをそのまま書いた事務的なものばかり。
これは嘆かわしいです本当に。
しかもそういった文章は、数多くあった候補の中から教師が選抜して提出してきたものだというのですから(まぁその選考基準もよく解らないんですが)。
悲惨だなー・・・と思いながら文章校正をしてたもんです。

>土師さんも、もしまた読書感想文を書く(書かなければならない)機会があれば…
>「あぁ、この本面白いな。感想を書いてみたいな」と本当に思えるような本を見つけることから始められてはいかがでしょう?

えぇ、一応そうするようにはしてます。


投稿者 来夢[17]
投稿日時 2005年01月29日(Sat) 16時45分41秒
私は結構国語が得意な方ですが、どうやって勉強したかと言われるとはっきりと答えることはできません。

第一に基本的な問題をこなしていくことは大切だと思います。
そしてもう一つ、読書もいいんじゃないかと思います。私は読書が大好きで毎日しているんですが読書をすれば漢字も自然に頭に入るし、思考力も上がります。こうやって、私の場合は好きなことに結び付けているので、やっていても楽しいですよ。

投稿者 殻鎖希[18]
投稿日時 2005年01月29日(Sat) 17時17分46秒
土師 英明さんへ

う〜む…後から見直してみると、ホントに思い切りぶった斬っちゃってますね。
いや、申し訳ない。
日ごろから、国語科教育の在り方などについて話をする機会がよくあるんですが…ついついその時のクセが出ちゃいましたね(結構白熱するんですよ、これが)。
しかしながら…おそらく、多くの国語の先生方は私と同じようにぶった斬られるのではないのかなと思ったりもします(笑)。

@について、少し補足しておきましょうか。
辞書とは「言葉を集めて一定の順序に配列し、発音・意味・用法などを説明した書物」のことを言います。
そして、辞書の主な用途とは言葉を調べることにありますね(勿論、調べたい語句がない場合でも辞書を読む場合はありますが)。
新たなる単語を発見したり、意味を調べたりすることで驚きや…時によっては感動を覚える事もあるかも知れません。
しかし、その驚きや感動が果たして辞書を読んでの感想になるのでしょうか?
…なりませんよね。それはあくまでもその語句を知ることで抱いた感想であり、辞書を読むことで得られた感想ではないんです。
元々、辞書とは読んで何かしらの感想を抱くようには作られていない。
ですから、私は「普通は抱かない」という表現をしたんです。
その国語の先生にどのような意図があったのか…気になるところではありますね。

私も学校で授業を行ったことがあるので分かるんですが…授業を作るのは本当に大変です。
50分という限られた時間の中で、授業の導入、展開、そしてまとめを行わなければならないんですよね。
しかも、指導計画については一年間を通して考え、組み立てなければなりませんからね。
授業を行う前に、あらかじめ「学習指導案」という授業の台本のようなものをこしらえておくこともあるのですが…予定通りにいく授業などほとんどありません。
ですので、五分という制限時間を定めたのも分からないでもないんですが…思い切って活動内容を変えるなり、数時間に分けて授業を行うなりした方が良いかな…と私は思います。

現在行われている作文教育は、子どもに作文を書かせてしまっているものがあまりにも多いんです。
子どもが自ら書いていない、あるいは書こうとしていないんですね。
学校の宿題以外で自発的に読書感想文を書こうとする子どもはなかなかいないと思いますよ(私も書いたことがありません)。
これからの教育では、子どもの中に「自ら意志を持つことのできる力」を育てなければならない。
本当に難しいものですがね…

投稿者 殻鎖希[19]
投稿日時 2005年01月29日(Sat) 17時25分39秒
来夢さんへ

どうもありがとうございます。

一つ質問なのですが…「基本的な問題をこなしていく」というのは一体どういった行動を示すのでしょう?
この場合の問題というのは、問題集やテストなどに出てくる問いのことでしょうか?
それとも、他の何かのことでしょうか?
是非、教えて下さい。

読書は良いですね。
他の多くの方もそうおっしゃられています。
「継続は力なり」という言葉もありますし、毎日の読書は確実に力となることでしょう。
ただ…「漢字も自然に頭に入る」というのはどうなのでしょう?
お恥ずかしい話ですが、多分私などは頭に入りません。
確かに「読めるようになる」という意味では頭に入るのでしょうが、「書けるようになる」という意味ではおそらく無理です。
今でこそ「薔薇」「檸檬」「林檎」「醤油」あたりの漢字も読み書きできるようになりましたが…
ただ本を読むだけでは絶対に書けなかったと思います。
漢字の練習…というのも一つ大事なことなのではないかな…と私は思います。

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