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小説を書くコツ
投稿者 khiroshi[1]
投稿日時 2004年12月31日(Fri) 12時15分08秒
 小説に真摯に向かわれている方々には、まことに不躾で、失礼な問い掛けかと存じますが、あまりにシンプルにタイトルのとおり、お考えを伺いたく、スレッドを立ち上げさせていただきました。
 いろいろと迷いがありますもので、純粋に皆様にご意見を伺いたく、よろしくお願いいたします




投稿者 殻鎖希[2]
投稿日時 2004年12月31日(Fri) 20時51分29秒
コツと申しますか…少し大きな話をしますと、小説を書く上で必要なものは二つあります。
それは「心」と「技術」です。

まず書きたいと思うものがなければ、当然ながら小説を書くことはできません。
書き手がその小説に注ぐ信念とでも申しましょうか。
小説家としての確固たる心を持つことが、小説を書くことへの近道を持つことに繋がると思います。
確固たる心…なんて一見難しそうな言葉を使っていますが、そんなに難しいことではありません。
要するに、自分の書きたい事柄をしっかりと見定めておきましょう、ということです。
そして、小説を書くには当然ながら「書く力」が必須となってきます。
発想や想像力に関しては、その人の持つ才能にもある程度左右されてくるでしょう。
しかし、文章表現力や語彙力は国語の力をつけるという意味での勉強が必要になってきます。
これに関しては、コツ云々というよりもとにかく勉強をすることでしょうね。
プロの小説家になるとすれば、それこそきちんと学校で勉強を積み重ねる必要があります。

小説を書くということは実に奥が深いものです。
一線を超えて極めようとすれば壁は存外に高いですが…それだけにやりがいのあるものですよ♪

投稿者 khiroshi[3]
投稿日時 2004年12月31日(Fri) 22時37分58秒
 殻鎖希さん、早速の回答ありがとうございました。
 あまりに大雑把な問い掛けだったため、どのような回答があるものか、不安があったのですが、今の私にとって大変に励みになり、確信させていただける内容に大変喜ぶと同時に、さらに精進する方向性が明らかにさせられました。
 勉強に対する考え方はほんの若干違うような気もしますが、学問という意味の積み重ねが実に大切であるということに関しては、わたしもまさに同感であり、それをコツコツと行うことこそ、明日の力になると考えています。
 そして、「心」「書きたい事柄」の一説に関しましては、わたしがこれまで一番に思考を繰り返し、また、それこそが書くにおいての本懐であることと考えてきました。
 こちらの方から大雑把な質問をしておいて、このようなことをいうのは誠に失礼とは存じますが、わたしの思考するところに非常に近いところにあるあなたの言葉は、わたしの闘志と向上心をかき立てるにこのうえないものでした。
 本当にありがとうございました。
 プロになるための壁は遥かに高いのですが、だからといって、諦められるものではありませんよね。まだまだ迷いもありますが、それでも前に進んでいくことだけはやめるつもりはありません。
 力をいただきありがとうございました。
 

投稿者 レッド[4]
投稿日時 2005年01月04日(Tue) 00時38分47秒
khiroshiさん

私も書きかたについTえはかなり悩みます。
まず、プロの作品を読むことがよいと思います。
自分が思うがままだと、ある限界にきたり、アンバランスな書きかたになってしまうのです。

そこで、これを避けるために、200ページちょっとの文庫本でシリーズものを
読んでみます。
どういう構成になっているかを分析してみるのもいいかと思います。

たとえば10巻近くあったら、書きかたが最初から一定のトーンをもっていあたらそれはおそらく読みやすい文章でしょう。

漫画とかの場合は、絵がかわってしまうつまり表現がうまくなるのですが、小説の場合は、そういう変化はあまり感じないのですが、どうなんでしょうか?


英語などではだいたい過去形でかかれる場合が多いので、それを意識してかくのもいいかと。

やっぱり一番肝心なのは、文法でしょうか。
正しい文法をつかわないと、はっきりいって読みづらいです。

と、いうことでわたしもわからにゃいです。

何度か新作をかいてみたのですが、やはり文体が安定しないので、妙に描写が疎になったりしていけません。

私てきにはもう少し研究したいです。

投稿者 khiroshi[5]
投稿日時 2005年01月09日(Sun) 11時56分31秒
 レッドさん、返信ありがとうございました。また、こちらの返信が遅れまして申し訳ありませんでした。
 貴重なご意見、大変に参考になりました。
 実は以前の私は、プロの作品(一般的な小説)に目を通すことを大変に重要に考え、また、それを楽しみにしておりました。
 しかしながら、ある頃を期にすっかりと読むことをやめてしまいました。それはある小説家の作品に衝撃を受け、執筆に行き詰まってしまったことと、それ以上に自分の作品がその以前に読んで影響されていたある小説家の文体や構成に非常に似かよってしまっていたのが原因でした。
 ものの本で、千冊本を読めば誰でも小説が書けるようになると書かれているものがありました。その真意は定かではありませんが、実際私はある時期に五年間で約千冊程度の本を読みました。当然それが現在においても経験値として役立っていることは確かなのですが、読みすぎたための自分自身の喪失ということを経験するに、文法、文体、構成、ストーリーなどとは一体なんなのだろうと深く思い悩む時期が長く続きました。今でもその悩みは続いているのだろうと思われ、殻鎖希さんのいう「書く力(国語力)」以外の技術がなんなのかはこれまではっきりとは見えてきていませんでした。
 しかし、今回レッドさんの内容であることに改めて気付かされました。やはり読者が読みやすいというのが一番なのだと。正しい文法を確実に表現することはもちろん肝心なことですし、それをわかった上で効果的に独創的な表現をすることもまた大切。依然私が悩んだ、真似(実際は意識していないのですが)、にならなければ、とにかく伝えたいことを読みやすく確実に書くことこそ、小説の真髄ではないかと再認識させられ、これまで「国語力」を意識するがために、細かく文法、文体などに拘り過ぎた自分を、ある種見直すことができるきっかけになったかのしれません。
 お二人に、国語力や文法の正確さを改めて教えていただいたお陰で、それを以前から意識していた自分自身の方向性の正当さが証明され、また逆に、国語力、文法力ありきではなく、それらは「書きたいこと、書くべきこと」を表現するために必要不可欠なひとつの要素であるということを教えていただきました。
 学問の世界に根付いていながら、そればかりの世界に止まらない小説という存在は、どんな角度から見るのが本当に正しいのでしょうか?
 学問でありながら、娯楽であり、あるときには心の支えとなることさえあります。音楽や芸術などに並びその可能性は我々の想像を遥かに越えるものだと思います。よって、何がよくて何が悪いなどの線引きは非常に難しいでしょう。
 ですから、今回教えていただいたように、これからも試行錯誤しながら一歩一歩前に進んでいくしかないのでしょうね。
 プロになれたらそれの試行錯誤が終わる、などということはないと思われますので、生涯一小説家として悩みながら、表現しつづけていくことになるのだと思います。
 今回は明確な方向性を導き出していただき、大変にありがとうございました。
 

投稿者 [6]
投稿日時 2005年01月22日(Sat) 11時22分04秒
私も及ばずながら意見させていただきます。


上のレスにもありましたとおり、まずはプロの書いた小説を徹底的に読んで、自分なりに学ぶことからはじめるといいと思います。
その上で、自分なりのアイデアが思い浮かぶようになれば、そのアイデアを元に話を考えます。
話の世界観や登場人物、などなどです。
一通り構想が終わったら本編に入ります。
そして、半分くらい本編を書き終わったら、矛盾や誤字脱字などが無いかどうか、
文章が読みやすいかなどを見るために、もう一度読み返して修正していきます。
私の場合は、この作業を繰り返して小説を書いています。
文章については、他の書いている方の作品や、プロの作品などを参考にして、技術をつけていくしかありません。
とりあえず、自分なりに書ければそれでいいのです。


ヘタレの私が言うには説得力にかける意見ですが、参考になさってくれれば幸いです。

投稿者 khiroshi[7]
投稿日時 2005年01月23日(Sun) 08時19分40秒
 儚さん、返事ありがとうございます。
 プロの作品を参考に、自分なりに学ぶこと、誠に明確に理解できました。
 ところで、ひとつ質問があります。
 文面のなかに、「自分なりのアイデア」という表現がありましたが、儚さんにとっての、自分なり、とはどういうものですか?
 ひとそれぞれ、ジャンルも作風も思いも違いますので、一概にいえるものではないでしょうが、そういう個人的な感覚にふれる機会を与えていただく意味で、すこしおはなしいただければと思います。
 わたしの、自分なり、はまだまだ迷いはありますが、やはり、湧き出てくる情熱、とか、致し方ない空虚感、とか、漠然として期待、とかいう、時として人が感じる感情や感覚が、偶然ではなく、すべてがなんらかの構造や道すじなどのうえにあるがための、必然、であることの意味を、言葉という媒体にどうのせていくか。ということになりますかね。非常に感覚的なこのテーマ(?)をいかに自分のものにしていくか。それがわたしの、自分なり、です。
 自分なり、の捕らえかたを勘違いしているようでしたら、お詫びいたしますが、どんな思いで、どんなイメージで思考を繰り返しているのか、そんなところをお聞かせいただければ幸いです。