小説・まんがコミュニティ トップへ
 ようこそゲストさん コミュニティトップへ スレッド一覧へ カテゴリ一覧へ ログイン ユーザー登録

初歩的なことを訊いても良いですか?(汗
投稿者 麟姫(黎桜華)[1]
投稿日時 2004年11月20日(Sat) 16時34分16秒

 初めまして、或いは今日は。
 ファンタジーで執筆をしている、黎 桜華、もとい麟姫といいます。

 純文学について、ものすっごく初歩的なことを訊いても良いですか?(汗

 私は何時か純文学なるものを書いてみたいなーと思っていたのですが。
 いざ書き出そうとして、重大なことに気付いたんです。

 「純文学って一体何だ……?」

 …………。
 御免なさい!馬鹿ですよね。はい、馬鹿です。
 でも、本当によく分からないです。音から「純」な話を書けばいいのかなぁ……と思っていたんですが。
 「じゃあ、純って何なんだ」とか思ってしまって……(汗

 宜しければ是非、純文学について、皆様の定義をお聞かせ願いたいのです。
 「純文学」というものを、無知な私に教えて下さい。
 よろしくお願いします!(深々



 追伸:
 ……「世界の中心で愛をさけぶ」とか、純文学だと思っていたんですが、
 あれは「純愛」であって、「純文学」では無いんでしょうか?





投稿者 御前[2]
投稿日時 2004年11月21日(Sun) 22時34分32秒
 初めまして、御前というものです。文学とは何ぞや、とはっきり定義できるほどに本を読んでいるわけではありませんので、「自分なり」の解釈を述べさせていただきます。
> 「純文学って一体何だ……?」
 とのことですが、かなり難しい質問です。英語で言うところの「a」と「the」ぐらい分かりにくいでしょう。ちなみに、英語に堪能なある方は、この違いを一つの論文に書けるというぐらいに言っております。
 まず、文学には一般文学と純文学があるわけですが(ちなみに恋愛モノは多くの場合前者に含まれるかと……)、一般文学は、オチのあるもの。純文学はないもの、と簡潔に述べるならそんな感じになるのではないかと。まったく違う見方をするなら、純文学は感受性に、一般文学は常識にそれぞれ訴えるものとも。
 手っ取り早く純文学を知りたいのなら、「一応」純文学作品を年二回選出するという芥川賞受賞作品を手に取る、という方法をお薦めします。

 

投稿者 夏川 俊[3]
投稿日時 2004年11月29日(Mon) 11時53分18秒
こんにちは☆
純文学のコンテンツで、何作品か掲載している『 夏川 俊 』と申します。
そうですね・・・ ハッキリした区分けは、実の所、私にも分かりません。
これは、私の観念なのですが、基本的に現実的なストーリーで、訴える主観が
誰にでも受け入れられるものであれば、純文学として認知されるのではないで
しょうか。
内容が恋愛に関するモノであれば、恋愛小説でしょうし、妖精が出て来たり、
『 未知なる力 』などが登場すれば、ファンタジー・SFですし、一切の空想を
排除すれば、ノンフィクション。
わずかな仮想シーンなどが挿入されていても、現在は、それは、表現の一端・
ストーリー上の一部と捉えられているようですね。
私の作品にも、少し、ファンタジー的要素が含まれています。
ただ、『 純文学 』は、小説の基本だと思います。 是非、チャレンジしてみて下さい。

投稿者 殻鎖希[4]
投稿日時 2004年12月17日(Fri) 00時09分27秒
今晩は♪
純文学と、いわゆる大衆文学との違いということですので…例を挙げてお話しましょうか♪

 夜の帳が降りた世界は、文明の発展と共にいつしかその姿を変えてしまっていた。煌々と輝くネオンの光は、時代を経ると共にその数を増やし、漆黒の闇をも蝕む。たとえ寂れた田舎町であったとしても、その事実が変わる事は決してない。

この文は、私が書いたある物語の冒頭です(ちなみにこれは大衆文学です)。
これを純文学に直すとどうなるか。少し手を加えてみましょう。

 夜の帳が降りた世界は、時代、文化、世相の変遷に従いながら滅びの時を刻みつつある。ネオンと名付けられた光輝なる文明の利器達は、この世の真理たる筈の漆黒をも脅かす。田舎町の一角にすらも、最早静寂の闇の住処はない。歴史は確固たる生物である。

二つを見比べてみるとどうでしょう?下の方がどこか真面目な印象がするでしょうか。
純文学とは「芸術的な立場で文学思想を表現しようとするもの」なのです。
今の例は、いわば表現における芸術ですね。
ただ難しい文章を書いたから純文学になるわけではない。
一つの芸術性が要されるものなんです(尤も、この芸術性というのも曖昧なものなんですが…その話はまたにしましょう♪)。

投稿者 kokko[5]
投稿日時 2004年12月24日(Fri) 14時51分31秒
はじめまして、こんにちわ。
いくつか「純文学」というジャンルの小説を書いた事のある、kokkoといいます。

>>純文学って一体何だ……?
確かに、僕も一時期そう考えた事があります。

自分では「純文学」を、「現実世界を、フィクションの世界を通して、言いたい事を言う」と考えています。

でも、純文学と純愛はちょっと違いますね。
それを説明しろと言われると痛いですが・・・・。

投稿者 khiroshi[6]
投稿日時 2004年12月31日(Fri) 16時05分08秒
 私は自分の小説のジャンルを人に説明する際、純文学と表現します。ちなみに純文学を辞書などで調べると、文学(文章)に純粋な芸術性を求めた作品、というような表現をされています。また、大衆文学などのように読者に媚びない作品、とも書き記されていることもあります。ただ、私はそんなつもりで自分の小説のジャンルを純文学と言っているわけではありません。
 他の表現として、発表された当時は大衆小説であったが、後に芸術的な評価を得ることで純文学とされる、というものがありました。例えば、夏目漱石の小説は、発表当時はどちらかと言うと風刺小説や世俗的な小説として、当時の世情を実に斬新に表現されたものとして理解されていたようです。よって、現在辞書などに書かれている純文学のそれとは違い、当時時代の最先端で少し行き過ぎた表現をしている物書きであり、当初とても高尚なイメージといえるものではなかったようです。
 ですから、私はそれにならって、純文学と大衆小説をある種同列に考え、人に説明する際にはわかりやすく、純文学だと口にします。芸術性の云々は別にしても、先人達が当時世の本質を書きたかったのと同じ気持ちで私も書いていることから、純文学あるいは大衆小説と表現します
 先人達も今で言う純文学のつもりでは書いていなかったのだと考えます。文才があり、表現に芸術性が見られるから純文学と呼ばれる。しかし、書いている内容は実に現実に密着していて、また、現実よりもリアルで平凡。その平凡がまさに現実社会においてはアブノーマルだったりする。そんな作者達の感性あふれる人間観察が、いつしか芸術と呼ばれる独特の世界へと解釈されるようになるのではないでしょうか。
 ですから、初めから純文学を書こう、と言う発想はありえないような気が私にはします。
 私もまだまだ未熟な身であり、文学のなんたるかを理解できず、迷うばかりですが、やはりジャンルに拘る必要はないのではないかと、とみに最近は思います。結果なんと呼ばれるか、ジャンルとはそういうものではないでしょうか。特に、純文学や大衆小説の類はなかなかジャンルを特定するのはむずかしいような・・・・・・

投稿者 tea[7]
投稿日時 2005年09月23日(Fri) 00時01分40秒
厳密な定義はわかりませんが、
純文学は芸術性を最優先に求めている気がします。
芸術には真善美を指向し、追及する姿勢があります。
ただし文学では、相対的に偽悪醜を描く場合もあるかもしれません。
結果的に真善美が読者の心に見えてくる可能性があるからです。