投稿者
| 金堂 日洋 | [16] |
投稿日時
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2005年07月04日(Mon) 22時00分31秒
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白鳥さん
>僕が感情移入してしまうのは、加害者が主です。 まあ、小説として描くなら被害者より加害者となるでしょう。
>けれど、本心であるなら。僕は信じて受け入れたいと思う。 >少なくとも、逃げてしまうよりはずっといい。 「逃げる。」この場合、自分の罪を認めて死刑の宣告を受け、喪に服すという事でしょうか?
犯人も死は怖い。自分が亡くなってしまうことに恐怖を覚えるのでしょう。
>火の鳥は手塚治虫さんの作品ですね。昔の漫画はいい作品が多いので、一度は読んでみたいと思っています。とても興味が沸きました。 > 鳳凰編は小学生の時に読んで感動しました。 青年漫画ですが同じく、手塚さんが書かれたMW(ムウ)という作品があります。 こちらは加害者の側の心理でしょうか、なかなか面白い作品です。 ブラックジャックの中にもこういうテーマがたくさんありました。
>行動の出所を辿り想いに触れたら、ちょっとだけかもしれないけれど、わかってあげられる部分があるんじゃないか、ということを言いたかったのです。 >そして、それを書きたい、と。
>>つまり、そうなるのは本人一人ではないということです。 >すみません、ちょっとわかりかねるのですが、「そうなる」とはどうなることで、「本人一人」とは誰を指すのでしょう? 「そうなる」とは 独裁者になるということをさします。 ヒットラーも、ムッソリーニも、フセインも一国の国家元首だったわけですが、その生い立ちは恵まれない人々でした。 雄弁家という共通点はあったのかもしれませんが、それだけで国家レベルの民衆の支持を受けれることはありません。 必ず、共謀者がいます。 ある意味、民衆も共謀者です。自分が抱く不満を解消してくれる、救世主だと思って支持するのですから・・・・。自分では手を汚さずに。 そういう意味では、独裁者を支持する民衆も罪が深いと思います。 「本人一人」で区切ってはいけません。本人一人の力ではないと付け加えた方がわかりよいですかな。
英語でも、it や they , that や what で、人や文章を代入で受けますよね。 日本語にも当然それはあります。 といいますか、この方法を知らないと、文章が長たらしくなり読みづらくなります。
>迫害‥‥いわゆるいじめでしょうか?本当に迫害といえるものでしたらスミマセン。いじめなら僕も受けました。
同じ意味ですよ。 読んで字のごとく、圧迫して害を与えることです。
私は、身体障害があったので、学校の先生までもが私を追い出そうとしたのです。 まあ、親父がうちの子供は普通の子供だ。普通の学校に行かせるんだといって、特殊学校へ行くことはなかったですがね。 クラスメートも、教師も味方ではなかったのでそれは辛い日々でした。 担任は女性のベテラン教師でしたが、問題を解決することができずにいたのです。
ですが、五年になって頼もしい男性教諭になってから一変しました。 彼は私に自信をもたせてくれたんです。 また、迫害の原因をさぐり、それを増徴させている問題を取り除いてくれました。 なぜ、他の方は取り除けなかったか・・・・迫害の先導者がクラスの人気者だったからです。 私も無抵抗をやめ、戦いました。喧嘩もしました。 それに呼応するかのように、徐々に勇気を示すものが現れ、私は、普通の生活が送れる様になりました。
戦う勇気を持つことこれが重要なんです。 自分の人生ですから、自分で切り開かねば。他人に全部おまかせではだめですよ。
>正直、なくならないものです。まるで本能のように、人はそれを繰り返すのです。 それはご自身の内なる心も含めてという意味ですよね。
>ただ近年においてはいじめる側も知恵をつけてきて、いじめられる側が助けを求められない状況にある。それが一番いけないこと。 > あのー、「それが一番いけないこと。」では、話がしりきれとんぼです。
また、大昔の方がもっと酷いですよ。だって法律すらないのですから・・・ 近年はむしろ、めぐまれてます。 いざとなれば法律に訴えることが可能なんですから。昔はそれすらできなかった。
日本では士農工商の更に下に、低い身分の方が居たことをご存知か? 彼らはかなり近年まで迫害を受けていました。
なくせないなら、自分がそれを受けないように強くなり賢くなることしか道はないと思いますが・・・・ 更に、他のものを助ける余力があるなら、助ければいい。
意見を言われるときは結論をはっきりさせたほうがよいかと思います。 |
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