次の日から、俺の禁欲生活が始まった。教室にいると、綾瀬の顔がちらちらと見える。
「性欲、食欲、睡眠欲、人間の三大欲のふたつをいつまで我慢できますかな」
ふふ、と隣の席の穂高が笑う。
「それくらい、我慢してやるよ」
綾瀬の体調が悪くならない程度に。俺は自分の欲望にブレーキをかける。
「睡眠でもとってバランス保てば?」
畜生。おまえのことばが、頭から離れねえんだよ。知ってて、にやにや笑うな。 休み時間のたび、俺の口にするトマトジュースの本数は増えて苦ばかりだった。
「く…苦し…」
あたりまえ、か。今まで毎日のように飲んでいた女の血を、一滴も今日は飲んでいないのだから。ようやく終わった一日に、俺はダルさを感じずに入られなかった。
「ふじくん」 「あ?綾瀬」
教室を出て行くとき綾瀬に呼び止められ、俺は振り向いた。
「ねえ、今日は、血飲まなくて大丈夫なの…?」 「や、綾瀬が体調悪くなったらやばいじゃん。俺は大丈夫だし」 「私こそもう治ったよっ」
まだ少し青白い顔してるくせに。無理して強がってるくせに。 俺のことなんか考えなくて良いから。そのことばだけで、嬉しいから…
「ありがとう。でも、本当に大丈夫だから、な?」 「…うん」
他の生徒たちがまだ出入りしている扉をくぐり、俺は思う。綾瀬の、心遣いが嬉しいと。ただの餌じゃない、俺はアイツに、ちゃんとした感情を持ってる。 愛してない。好きじゃない。この感情は何だ?
「…教えてくれよ」
アイツの顔が、可愛くてたまらない。家へ帰る道も、血のことで頭がいっぱいだった。 俺が家に着くと、中からは声が聞こえた。
「…っ ぁ ゃ・…んんっ…さひ…さ ぁ」
って、母さんの声じゃんか。ぼそぼそと囁くように、父さんの声も聞こえる。息子がいるのに、昼間ッからやめてほしい。 俺は声がやむのを待った。
しばらくして、どうやら父さんの吸血が終わったらしい。父さんの夏目朝日(アサヒ)と、母さんの夏目恵那(エナ)が、そろって寝室から出てきた。
「ゲッ藤…のぞきの趣味か…っ?」 「ちげーよ」
思いっきり語尾に怒りマークをつけて俺は吠えた。母さんの肌はつやつや、父さんは…精力満ち溢れたスーツ姿と言って良い。
「帰ってきたら盛ってたのはそっちだろうが」 「う」
反論は出来ない。こうして今も、俺の両親はたまに親父が血をもらっている。二人とも36歳の割には随分と若く見えるのもそのせいだ。 現代において、吸血鬼は年を取るし鏡にもうつるし、日光も平気になった。子孫も残すことができる。けど、見た目の若々しさは変わらず、年老いても20歳ほど若く見えたりする。 一生吸血されることとなった妻の女は、特別な快感を与えられるので自然と若々しいまま。
「その童顔でヤリまくりってのはね…」
親父が童顔なのは事実、信じられないことに俺と兄弟に見られることが多い。
「かまわん。元気な証拠だ!というか藤も、早くそんな子をつくりなさい」 「……つくりたいけど向こうが体調壊すんだったら仕方ないだろ…」 「気づかってるなんて優しいな。とっかえひっかえはやめたのか」 「あいつ以上の極上の血なんていないから」
目の前の、父さんと母さん。父さんは母さんを見て、禁欲生活を送ったことが無いのだろう。 少なくとも、学校帰りの息子に見せつけるほどなのだから。
◆吸血鬼メモ◆
・吸血鬼はにんにく・十字架が苦手とされています。 ・日光を浴びるのが苦手。 ・トマトジュースが好き。 ・鏡に姿が映らない。 ・生殖能力が無い。(子供を作れない) ・年を取らないので、何百歳と生きる。 ・棺桶で寝る。
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