それは、突然で、僕が予想もしていなかったことだった。 僕はいつもどおり、キャバクラのバイトから帰ってきて、家の中に入ろうとした。 マンションのエレベーターを降りて、廊下を歩いていたとき、悲鳴が聞こえた。
「離して!やだ、やだ!離してよっ!」
雛の声だった。 僕は、なんで雛が離してなんて言ってるのかと思い、自分の家まで走った。
「だから、あなたは、間違いなくお嬢様です!12年間、あなたのお世話をしてきた私をお忘れですか!?」
雛の腕を掴んでいるのは、数人のスーツ姿の男。
ドクン、ドクン。
頭が、真っ白になった。
「あなたたちは…誰ですか?」
僕は、ふるえる声で言った。男たちは、一斉に振り向いた。
「お兄ちゃん!」
雛が、僕を見て叫んだ。
「あなたが、お嬢様と暮らしてらっしゃる方ですか?」 「そうです。けども、あなたたちは誰ですか」
雛の腕を掴んでいた男は、僕に向かって話した。
「私どもは、如月財閥のものです。一年前誘拐され、行方不明になっていたお嬢様を見た、という人がいたのです。そして確認しに来たところ・・・やはりこの方は、如月愛香様です」
かしこまった、事務的な口調。
「僕はそんなこと、知りませんでした。さっさと、かえってください」
怖かった、なんと言い返されるか。
「そういうわけにはいきません。社長の命令です。愛香様は、連れ帰らせていただきます。約一年、愛香様の面倒を見てくださってありがとうございました」
静寂を破ったのは、愛香こと、雛だった。
「なにそれ・・・・私、愛香なんて人じゃありません!!いやだ、お兄ちゃんのところを、離れたくなんかない!」 「あなたは間違いなく愛香様です。はやく、この方を連れて行きなさい」
まわりのスーツ男たちに命令する。
「いや!いや!離して!お兄ちゃんっ」
「雛を、連れて行かないで下さい」
僕は男の腕を掴んだ。
「やめてください。一年も一緒に暮らしてきたんです!今さら、身勝手なことを言わないで下さい!」 「本当にありがとうございました。それにはそれ相応の御礼をします」
そう言って、男は大きなトランクケースを出した。中に何が入っているかくらい、僕にもわかる。 僕はなおも懇願した。
「お願いですから!だから…!」 「黙らせろ」
僕は、腹のあたりを誰かに殴られた。 ふらつき、かすむ視界の中で、雛が泣き叫ぶのが見えた。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん!!お兄ちゃ…彩人!!あやとぉ!!」
彩人。僕の名前。 雛が僕の名前を呼んだのは、これが最初で最後だった。 あとにも、先にも。
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