■ トップページ  ■ 目次  ■ 一覧 

雪尋の短編小説 作者:雪尋

第38回   停滞した成長記録

「停滞した成長記録」


 居間の壁にはたくさんの横線がついている。それにあわせて、日付と名前。どこの家にも見られる、子供の成長記録ってヤツだ。毎年それを付けるのが楽しみで「背が伸びた!」と素直に喜んでいた記憶がある。

 だけど、ある時から僕は壁に線を入れるのを拒むようになった。それも徹底的に。時に過激に、激烈に。僕は両親が油性ペンを握ることにすら抵抗感を示すようになった。
 もちろん当時の両親は困ったような、泣きそうな顔をして僕をなだめていた。説得やオモチャによる懐柔すら行われた。だけど僕は絶対に線を入れさせなくて、理由を知った両親はやがて納得した。


――――あれから何年経ったのだろう。僕はその壁を改めて眺めていた。刻まれた線と三人分の名前。兄のコウタ、僕の名前リクヤ、妹のリン。妹のだけは黒ペンじゃなくて、赤ペンで書かれている。
 ちょっとだけ「今なら線を書き入れてもいいかな」と思ったけど、僕は結局そうしなかった。ペンを探すのが面倒だったし、独りで書くのは難しく思えたからだ。

「こっちの段ボールはどうします? 不要品って書かれてますけど……処分でいいんですかね?」

 引っ越し業者の方に「構いません」とだけ返事をして、僕は極端にモノが少なくなった我が家を見渡した。両親が離婚して久しく無人だった我が家。とても広く感じる……。ずっと帰ってこなかったけど、無くなると分かると喪失感と寂しさを覚える。涙は出ないけど、僕は下唇を噛んでしまっていた。

 そんなおセンチな感情に浸っていると、薄っぺらい携帯が激しい自己主張を始めた。妹のリンからだ。通話ボタンを押すなり、若者らしいのーてんきな声が聞こえてくる。

『ちょ、コウタお兄ちゃん! ちゃんと前見て! あ、リク兄ぃ? そっちはどんな感じ?』

「狭い我が家が、広い家にリフォームされてる。かなりビビるぜ。どれぐらいで着く?」

『あとちょいかな……じゃなくて! 私の部屋! 私の部屋の本棚あるでしょ? あれの一番下の段に【日本の野草】って分厚い本があると思うんだけど、それには絶対に触らないでね!』

「…………実は中がくりぬかれてて、恥ずかしい手紙が入ってるアレか?」

 僕が苦笑いを浮かべながら告げると、リンは乙女にあるまじき絶叫と「見たな」という呪詛をまき散らした。耳が痛い。なんて元気なヤツだ。僕は電話を切って、苦笑いを微笑みに変えた。

 その表情のまま、壁に視線を投げかける。もう増えない横線が寂しさをかき立てる。
 線を書くか、書かないか……さて、どっちが後悔するだろう? 想像もつかない。

「書かない」という過去の決意と
「書けばよかった」と永続するわだかまり。残すべきはどっちだ?

 しばらくすると兄と妹と、僕が壁に線を付けなくなった理由が到着した。

「わー、本当に広いね。あ、声が反響してる。面白いねー。お! この壁も懐かしい!」

 妹は線を一つずつなぞって、クスクス笑っている。

「そういえば、なんで線書かなくなったの?
 ね、どうせこの家無くなっちゃうし、最後の思い出って事で線入れようよ!」

 僕は思わず叫んだ。叫ばずには、いられなかった。

「どんだけ脳天気だよ! 僕の苦悩を返せ!」

 しまった、と思った時には遅かった。

「苦悩? ……えっ、まさか線を入れなくなったのって……うっそ、まさか、マジで? うーわ、私全然気にしてなかったのに。うわー、愛を感じる。感じてしまう。まさに愛のタイムカプセル的なイベントだコレ。りく兄ぃったら、どんだけ妹ラブなのよ」

「黙れデリカシー・ゼロ・シスター! そして笑うな馬鹿兄貴! お前も僕と同じ理由で……!」

「はいはい。それじゃ、ビックリさせようと思っていて黙っていた私の新必殺技をお見せしましょう」

 妹は元気よく「名付けてアルプスの奇跡!」と叫びながら【車椅子】から
 ――――僕が成長記録を付けなくなった理由から――――立ち上がった。

「ほら、この義足凄くない!? 鬼リハビリの結果、走るのは無理だけど、歩けるようになったよ!」

 脚を失い身長が測れなくなった妹は、満面の笑みと共に僕に成長を見せつけてくれた。僕はあっけにとられ、気づかぬうちに半泣きになってしまい、慌ててそれを誤魔化した。

――――こうして、妹が気にするかもしれないという僕の個人的な理由で停滞した成長記録は、妹の笑顔と共に更新されたのだった。新しく書かれた三本線。


 ソレを見た瞬間に胸のわだかまりは消え、僕たちは文字通り立ち直ったのだった。



← 前の回  次の回 → ■ 目次

Novel Editor by BS CGI Rental
Novel Collections