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雪尋の短編小説 作者:雪尋

第34回   未来の僕へ遺すもの

「未来の僕へ遺すもの」


「君の記憶は三日後に全て消えます」

 医者は真剣な表情でそう言った。難しい話しはよく分からなかったが、僕は脳に異常があって、それを治すためには手術が必要で。

「手術をしなければもって一ヶ月。手術の成功率は六割。副作用として記憶の欠落が現れると予想されます。もしかしたら言語にも少し障害が残るかもしれませんが……」

 僕が先生に「分かり易く説明してください」と言うと、彼は大きくうなずいた。

「マンガやドラマに出てくる記憶喪失とほぼ同じ状態になるでしょうな。そしてその記憶は絶対に戻らない。普通に生活を送る分には問題無いと予想されます。ただ、思い出が無くなってしまうんです」

「……なるほど。分かり易い。今まで積み重ねてきた思い出が無くなる、と。だったら手術後の僕は別人ってことですよね。つまり今の僕は――――死んじゃうんですね」

「違う。君は未来を生きるために全ての過去を捨てないといけないが、それはまた得られるものです。それに君が積み重ねてきたものは消えたりしません。両親や友人、思い出の写真がそうだ」

 時間が経つにつれて成功率が下がる。
 僕は早急な決断を強いられ、眠れない夜を過ごした。
 だけど……記憶と命。どちらが大切かなんて、考えるまでもない。
 答えは最初から決まっていた。

 だから、僕は生きるために死ぬことにした。
 ゲームでは「強くてニューゲーム」というものがあるけど、
 僕の場合は「ハンデを背負って新人生」。未来の僕は中々に苦労しそうだ。

「ああ、でも今の僕には関係無いのか……あははは」

 笑っていたはずなのに、気がつけば僕は泣いていた。手術を受けると決めた瞬間に即入院。誰もいない病室で一人ぼっち。遺された時間はあと二日。ある意味での余生。心境は最悪だ。

 感情が落ち着くまで泣いていたが、涙が枯れたころに先生が僕の病室に現れた。


「朗報だ。手術の成功率が八割に上がったよ。優秀なスタッフが確保出来たからね」

「……そうですか。そりゃ何より。今の僕にはあんまり関係ないですけど」


「そんなことは言わないでほしいな。わたし達は君を助けるために努力するのだから」

 それを言われては何も返せない。僕が苦笑いを浮かべると先生は遠くを見つめた。

「変わらないものなんて無い。どんな思い出だっていつかは忘れる。永遠に残る思い出なんて微々たるものさ。君の場合はその変化が極端に大きいから、苦痛に感じるだろうが……大丈夫だ。乗り越えられない試練は、他の人に助けてもらうといい。君ならそれが出来るし、私も協力しよう」

 先生は「それよりも、手術の前にしたいことはあるかい?」と尋ねてきた。
 僕が「最後の思い出作りですか?」と笑うと先生は「冥土の土産、みたいな言い方はよしなさい」と笑ってくれた。

「明日の朝から夕方まで、君は自由だ。犯罪以外なら何でもするといい。ただし激しい運動や無茶はしないように。何かする場合はかならず事前に相談すること。いいね?」

 こうして僕は、僕が僕である最期の時間とチャンスを与えられた。

 何をしよう? どんな思い出を作っても失われるのなら、何を遺せばいいんだろう?
 未来の自分への手紙でも書くか? 家族や友達にメッセージを遺すか? 妥当だ。でもなんだかしっくりこない。

 今の僕が未来の僕に遺せる……渡せるものは、一体何だろう?

 眠れなかったので、夜の内に手紙を書いた。朝までかかったけど、時間は足りない。そして僕は最期の自由時間を使って――――未来の僕に、何も遺さないことを決めた。



『未来の僕へ。僕は君に、何も遺さないことにした。何も渡さないことにした。友達から借りてたものとか、ちょっとした借金とか、借りを作ってたヤツに恩返しもしておいた。全てのツケは精算済み。だから安心して新しい未来を生きてほしい。大丈夫。


 君の人生は、強くてニューゲームだ』


 記憶を失った僕はその手紙を読んで、彼から大切な物を――――

――――――――人生を遺されたのだと知り、泣いた。



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Novel Editor by BS CGI Rental
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