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雪尋の短編小説 作者:雪尋

第22回   「復讐代行」
「復讐代行」


「あのハゲ……むちゃくちゃな仕事回しやがって……」

 トイレの個室で頭をかかえていると、離れた個室から声が聞こえてきた。

「あのデブ……少しは状況を考えろってんだ……」


 どうやらお互い、上司に思うことがあるらしい。そりゃそうだ。現在午後九時。ハイパー残業タイムを満喫する者としては、愚痴の一つもいいたくなる。

「おたくも残業ですか」―――そう声をかけると、返事があった。

「え、ええ……いやはや、お恥ずかしい。何か聞こえましたかな?」

戸惑ってはいるが、穏やかな声。私は彼に無条件の好感を抱き、声をかけ続けた。


「状況が分かっていない、無能な人がいる……ということが聞こえました」
「ははは。つまり私が抱えた問題の九割方を理解していただけたんですね」

 トイレの個室。声は反響し、遠近感が曖昧だ。それでも会話は続けられた。


「本当にたまりませんよね。最近じゃ『どうやって辞めさせよう』とか『マジで雑巾の絞り汁飲ませてやろうか』とか、そういうことばかり考えている自分がいるんですよ」

「私も似たようなものです。でも結局は色々と理由をつけて実行出来ないんですよね」

「そうそう。でもあれは良心じゃなくて、自らの保身のためだったりするんですよね」

 バレたらヤバイ、職場が殺伐とする、結局八つ当たりされる等々。そんな理由だ。
 自分のデメリットを見越している、という点で我々はまだ正常なのかもしれない。

「私も同じですよ。良心とはかけ離れた理由で、犯行は未だに行われていません」


(……ああ、彼と私はどこか似ているなぁ)

 どうでもいい会話をしながら凄い勢いで心が繋がっていく、ような気がした。少なくとも私はそれを実感し、ついには吉田さん(仮)などという呼び名まで作ってしまった。

 やがて静かながらも、笑いながら愚痴を言い合うようになった我々。

 全ての段階をふっとばして心を共有した私と吉田さん(仮)は、そのまま会話を続けた。どうせ仕事場に戻っても誰もいないし、することもくだらない仕事しかない。

 そして、(ああ、いい息抜きをしているなぁ)などと独りごちていると。
 吉田さんが思いもよらない提案をもちかけてきた。

「どうやらあなたと私はお仲間のようだ。どうです? 一緒に復讐してみません?」
「え? どういうことですか?」

「つまりですね、お互いがお互いの復讐を代行するんですよ。私があなたの上司にイタズラをしかけるから、貴方は私の上司にイタズラをしかける。どうです?」
「……い、いやぁ。どうですかねぇ」

 私が少し、いや、かなりドン引きしながら答えると吉田さんは笑った。

「気弱になるのは分かります。でもきっと楽しいですよ。見ず知らずの人にイタズラするわけだから、きっと良心が邪魔をしてイタズラはささやかなものになるだろうし。……私がどんなイタズラを仕掛けるのか気になりませんか? そしてそれに対する上司のリアクションが見たくはないですか?」

―――気になる。見たい。素直にそう思った。そしてそれを口に出してしまった。

「よろしい。では契約しましょう。我々は、互いの復讐を代行するのです」

 互いの上司の名前だけを告げて、吉田さんは「一週間以内に」と言い残してトイレから去った。


 三日後。出社すると私の部署は大変な騒ぎになっていた。

 上司の机が放火されていたのだ。  

 同僚の誰かがつぶやいた。

「夜中に火災報知器がなったらしいが……こりゃ酷いな。イタズラじゃすまねぇぞ」


 確かに、これはイタズラじゃない。これは……。

(これで満足ですか?)―――なぜか、そんな幻聴が聞こえてきた。


 それに対する返事はこう―――

(やりすぎだ! なぜ私のように「自宅の鍵穴に接着剤を入れる」程度のささいなイタズラに抑えなかった!)

 吉田は復讐代行者ではなく、ただのバカだった。何故デスクを、いや、上司のパソコンまでもを燃やしやがった。上司のパソコンには何が入っていると思う? 全体の作業データだ!! それが消え去ったということは、また確認と作業の繰り返しをするはめになる!! お前のせいで全体の仕事が遅れてしまうじゃないか! もう一度言うぞ、仕事が遅れるんだ!! それが一番重要なことだ! 良心? 知るかそんなもん! また残業だ、くそったれ!  

 復讐は何も生まない、というのは嘘だ。
 こうして、私の胸の中は絶望でいっぱいになったのである。




 

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Novel Editor by BS CGI Rental
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