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此処に兆一・始動章 作者:七木ゆづる千鉄

第1回   小山兆一・茂野川高校応援団一年
 小山兆一は、まだ眠っている。
夜明け前の風の冷たさには、まだ冬の感じが残っているが、この街・茂野河市を流れる川である茂野河の川岸に並んでいる並木のつぼみの膨らみには、確かに春の兆しが感じられる。そんな季節の変わり目のこの朝、兆一は眠りの中にいる。
やがて、日が昇り当たり一面が明るくなって来た。しかし兆一は眠ったままである。
「おい、兆一。朝だぞもう起きろ」
誰の声なのか、男の「声」が兆一に語りかけて来た。しかし兆一は一向に起きる気配を見せない。時刻はもう八時を過ぎた。いつも通っている高校の始業時刻は八時半。いくらすぐ近くといっても起きてからすぐに出かけられないのだ。もう起きないとやばい。
「兆一、お前は朝飯を抜けないんだろう?だったらすぐ起きろよ」
「声」はしきりに兆一を起こそうとしているが、兆一には一向に起きる気配がない。
「兆一、早く起きろよ!・・・早く起きて私の事に気付いてちょうだいよ!何時まであなたはそう寝ているの?お願い、早く起きて!」
「声」が突然女の、それも少女の声に変わった。
「ん、何だ?今の『声』は。いつも聞こえている『声』なら解るけど・・・あ!」
時計の時刻はもう八時十分、急いで服を着替え朝食をかっくらい始める兆一
「いけねえいけねえ、又親父に怒られちまう。まいったなあ・・・」
と、独り言を言いながら。それを、
「やっと起きたか、何時も万和(よしかず)に言われてるだろうが・・・。全く、お前もしょうがない奴だなあ・・・」
と、「声」。男の声に戻っている。
小山兆一、現在、元山県立茂野河高校の一年生である。もっとも四月になればすぐに二年生になるのだが。父親の名は小山万和、世界中にその名を轟かせている大天才である。現在茂野河高校に教員として在籍しているが、大天才故に、あちこちに用事があり、家を留守にすることが良くあるが、起こしてくれる母親も無く、その度に兆一は寝坊をする。今回も、
「兆一、又出かけるけど寝坊はもうするな!もし又したらいつもの『罰』をするからな。解ったな!」
戸、万和は兆一に言って出かけたが、その言葉も虚し、又兆一は寝坊をしたのである。
家から学校までの短い道を猛スピードで走る兆一、目の前に黒山の人だかりを見つけて急停止した。
其処には、背の高い黒人の周りに色々な言葉でなんとかコミュニケーションを計ろうとしている人々が居た。兆一は、
「はい、皆さんちょっと失礼。この人には僕が相手をしてみます。××××」
と、黒人に向かって何かをつぶやいた。そうすると、黒人の方も、
「××××」
と、何かをつぶやき始め、やがて安心した顔をして人の輪から出て行った。
これを見て訳が解らなくなったのは今まで集まっていた人の群れ、一体彼は誰だったのか?何でこんな所にいたのか?そんな顔をしていた皆に兆一は、
「いやあ、あの人はうちの親父に用があったみたいなんですよ。もう一人言葉が解る相方がいたみたいなんですけどはぐれてしまったようで困ってたんですね。だからその人は多分学校にいるって言ったら安心して・・・あ!いけねえ、俺も学校へ急がなきゃ!そんじゃ皆さん、失礼します」
と、説明している内に自分の事を思い出して再びもうダッシュをしてその場を去った。
黒人との「会話」で大分道草をしてしまった兆一、残っている時間はもうわずか、学校に間に合うかどうか、これは兆一と「時間」との闘いである。
走りながら兆一は顔の前で一回手を叩いた。相撲で言えば「猫騙し」の形である。
すると、何か辺りが光り、兆一の腕時計の針が少し戻っていた。
「使うのは一回だけにしろ。もう一回やると全身クタクタになっちまうからな。」
と、「声」が兆一にそう語りかける。兆一もそれは解っている。一体これは何の技か?それはともかく、兆一はやっと校門に辿り着いた。しかし其処には身の丈2メートルはありそうな大男が、
「おぉ、兆一ぃ、待っていたぞぉ。これから俺と勝ぉー負だぁ」
と、兆一の前に立ちはだかっていた。
「あれえ?鶴田中純さん。一体どうしたんですか?とある高校出身のプロレスラーの名前から、『ジュンボー鶴田中』とまで呼ばれているこの学校で一番強いあなたが、一体僕に何の用なんですか?」
「兆一ぃ、その言葉は聞きたくないぃ!」
と、男・鶴田中は鬼のような形相である。
「その一番強いって事が問題なんだぁ。確かに俺はこの学校で一番強かったぁ。しかしそれはお前が入学する前までの事だぁ。お前が来てから俺はお前に百戦百敗、百一回目の今度こそ俺はお前に勝つぅ。さあ兆一ぃ、勝ぉー負だぁ」
兆一はこの言葉に迷ってしまった。今「勝負」をしてしまうともう体力がなくなってしまう。遅刻しない為にはそれだけは避けないと・・・。そこで思い付いた案が一つ、「土下座」をしてみたらどうだ?早速鶴田中に向かって土下座をした。
「鶴田中さん、今日は僕の負けです。もうこの通り、勘弁して下さい」
「何ぃ?今日はだとぉ!貴様ぁ、なら明日からは又自分が勝つって事かぁ?人をなめるのもたいがいにしろぉ!」
鶴田中は兆一の言い方が気に入らなかったらしい。兆一は内心「しまった!」と思ったが、こうなれば何をされようと絶対もう土下座を続けるしかないとこう言った。
「鶴田中さん。どうか、どうか勘弁して下さい。この通りです」
こうなると鶴田中はもう自分がやりたい放題の事が出来ると言うことで、
「よぉしぃ、それならお前のその頭、気が済むまで何回でも蹴ってやるぅ、いいなぁ!」
と、兆一の頭を蹴りに来た。
「これはさすがに少し使わない訳にはいかないな」
と、「声」。兆一は土下座をして地面に付いている両手を握りしめた。
すると、頭を蹴った鶴田中がもんどりうって倒れた。どうやら足を骨折したようだ。
しまった!使い過ぎた。早く治さなきゃと兆一は折れた鶴田中の足に手を当て、ふう、と息を吐いた。痛みの余りか真っ青になっていた鶴田中の顔が普通になった。
「それじゃ鶴田中さん、失礼します」
と、校舎の昇降口に向かおうとした途端、兆一は目の前が真っ白になるのを覚え、飲み水を求めて辺りをさまよった。この状況も水を一口飲めば済む。水は・・・水は何処だ?そしてやっと見えた水道の蛇口、ひねって水を飲もうとしたその瞬間、始業のチャイムが聞こえて、今日も兆一は「時間」との闘いに敗れた。その時兆一がいった一言、
「ああ又か。本当に『運』が悪かったなあ」
自分の行く手を遮った鶴田中、「人」の所為では無く、何時も「運」の所為にする兆一である。
学校の昼休みの時間は、何処の部も三年生・二年生・一年生が同じ部室で昼食をとるのがこの学校茂野河高校のならいである。
そして兆一が所属しているところは応援団、何故か「部」ではなくて「団」なのだが、それはともかくとして此処には卒業した三年生を後にして、二年生五人・一年生五人がいる・・・筈だったのだが・・・。
「おい、寛と清次郎の奴遅いな。一体何やってんだ?あいつら」
「考太郎、まあ心配すんなって。清次郎だけならともかく、寛も来ないんだから心配は要らないんじゃないか?」
「そうだよな、兆一。♪心配は、あ、要らないぞ、心配は、あ、要らないぞ」
応援団の二年生は最初に口を開いた前山考太郎、そして兆一、それに三番目に調子に乗った門河善三郎の三人、そして今いない栗山寛と荻原清次郎である。
「清次郎の奴、なんて言うか臆病な所があるからなぁ。今度のオリエンテーション、『自分には無理だ』なんて思っているんじゃねえかなぁ、ひょっとすると・・・」
兆一がそう言いかけたとき、部室に向かって走って来る足音が聞こえてきた。
「ん?こりゃ寛の足音か?ん!間違い無い」
しかし足音は一つ、一体清次郎はどうしたのか?それは部室に現れた寛の表情で解った。その寛の顔を見るなり、考太郎がこう言った。
「な・・・まさかお前、清次郎を、させちまったのか!」
清次郎は応援団を辞めると言ってきたのである。
「すまん、あいつのあんな所見ちまったら、俺ももう『残れ』とは言えなかったんだ」
と、寛が言ったが、考太郎は、
「寛、お前も寛大すぎるぞ!そう甘い事ばかり言ってるからあいつがつけ上がるんだ!今すぐ連れて来い!俺がビシバシ鍛えてやる!」
全く、「強引」を絵に描いたような口調である。此処で兆一が口を開いた。
「まあ待てよ考太郎、此処で無理矢理戻したってもう清次郎は無理だ。お前だって解ってるだろう?この一年の間あいつがどれだけだったか・・・寛はそういう所も汲んで辞める事を許したんだ」
「ああ兆一、お前の言いたい事はよく解る。だがな」
考太郎は少し落ち着いた様子で、さらに続けた。
「今あいつに辞められたら、俺達一年の団員が4人になっちまうんだぞ。今までずっと『一学年5人』の伝統はどうなっちまうんだ?」
その後少し一同が静まりかえった。それを破ったのは、兆一のこの一言だった。
「あ、そうだ!四月からあいつが此処に来るんだ!」
それを聞いた他の3人は驚いた。「あいつ」って一体誰なんだ?
「みんなも知ってるだろう?この応援団を作ったのは俺の親父ともう一人・・・」
「ああ、万和さんと大河億太郎さんだよな。この茂野河の源流の『丸打峠』に住んでいる伝説のあの人。確か今子供が二人いて、上の兄貴が元山高校通信制にいる・・・ってまさか!」
考太郎の言葉に兆一は頷いて、
「そう、その兄貴の大河億次郎が四月から此処に転入して来るんだ。だからそいつに応援団に入って貰えば全く問題ないじゃないか?」
と、一同を納得させた。あの大河億太郎さんの息子なら、大変な戦力になるだろう。
「でもよ兆一、そいつは使えるのか?万和さんやお前が教えてくれたあの技・・・確か『空間拳』って言ったっけ」
「寛、それは俺にも解らない。億太郎さんが『空間拳』を使っていたって話は聞いた事が無いからな。でも・・・」
「でも何だ?」
三人が口を揃えて聞いてきた。それに兆一はこう答えた。
「億太郎さんが使っていた技は使えるんだ。それは『ガンダ』。丸打峠の地名の元になった技だ。どんな技かって事はみんな見れば解るからその時のお楽しみって事にしておこう」
兆一の言葉が終わると同時に、二年生五人が部室に入って来た。
「押忍!テンさん、タクさん、チュンさん、ハンさん、ミンさん」
一年四人の気合いの入った挨拶である。
「ん?清次郎の姿がない所を見ると、奴はやっぱり辞めたか」
「テンさんさすが、その通りなんです。でも・・・」
と兆一が言いかけたとき、「テン」こと団長の天河俊彦は、
「解ってる。代わりに入って来るんだろう?凄い奴が」
と、全てを見越したような言葉を返してきた。
「さすがテンさん。何でもお見通しぃ!」
「こら!善三郎。そう調子に乗るんじゃない。そんな事ばっか言ってると、俺がこの鉄拳食らわしてやるぞ!」
「タクさん、そう強引な事ばかり言わないで下さいよ」
「タク」こと河上卓の強引さは、考太郎に勝るとも劣らない。しかし、
「タクよ、早々いきがるなって。善三郎が調子に乗ってるのは今に始まった事じゃない。俺と同じだ。なあ!」
「そうですよね、チュンさん。せえの」
「♪あ、新人が、やって来る、新人が、やって来る」
「チュン」こと河上中が善三郎と一緒にお囃子をたて始めた。この「タク」と「チュン」、双子でありながら性格が全く違う。卓の強引さに対して、中は善三郎に勝るとも劣らない調子者なのである。
やがて二人のお囃子に、兆一も加わった。
「♪新人は、どんな奴?あそれ、新人は、どんな奴?」」
と二人が囃しかけてくると、兆一は、
「♪そいつの名前は、億次郎。強がってるけど、『臆』次郎。結構怖がり野郎なり〜」
そう囃しながら、兆一は「ハン」こと飯山春夫の顔色を伺っている。そして頃合いを見計らって、
「ハンさん、この音頭止まらないんですけど、一体どうしましょう?」
と、目で春夫に合図を送った。すると、
「おい!」
非常に大きな声である。春夫は更に、
「三人とも黙れ!此処はお前等のような調子者達だけが占めてる所じゃねえぞ!」
と、三人に向かって張り手をした。まずは兆一に軽く、次に中に普通の強さ、そして善三郎に強く、である。
「ちょ、ちょっとハンさん、何で兆一だけ軽くはたいたんですか?チュンさんは解るけど・・・」
この善三郎の言葉に春夫は、
「兆一は『止めて下さい』と目で俺に言ってきた。だから軽くにしたんだ。そしてチュンは俺と同学年、本当は善三郎、お前と同じぐらいにしたかったんだ!解ったか!」
ともかくこの「ハン」・飯山春夫、普段は物静かだが、一度怒ると誰も止められないくらいに激するのである。もしかしたら止められるのは兆一だけかもしれない。それを思ったのか「ミン」こと栗山明が、
「兆一、お前って思慮深いのか、調子者なのか、この一年間見てても全く解らないんだよな。まあ、それがお前の良い所なのかもしれないけども」
と、何とも明朗な表情を浮かべながら言ってきた。
「それにしても遅いな、マネージャーの二人は。一体何やってんだ?」
天河がみんなにそう漏らしたと同時に、部室に向かって走ってくる足音が聞こえた。
「テンさん、この音は『コーちゃん』と『ジュン』です。間違い有りません!」
そして来たのは兆一の言ったとおり、「コーちゃん」こと越山広美と、「ジュン」こと福河順子だった。
「さすが兆一、相変わらずの地獄耳だな・・・」
と、一同が兆一を誉めようとした所、広美が兆一に向かって、
「兆ちゃん、又今日も遅刻したんだって?」
と、こんなことを言ってきた。兆一の「遅刻癖」はもう団内では当たり前の事なのである。
「いやコーちゃん、今日は『運』が悪かったんだよ。後もうちょっとの所で時間切れになっちゃったんだ」
「鶴田中さん言ってたわよ。『あいつの頭は鉄より固い』って。やっぱり使ったの?『空間拳』を」
「うん、ちょっと使い過ぎちゃってフラフラになっちゃってね・・・ほんと、『運』が悪かったなあ」
兆一はあくまでも「運」にこだわっている。
「なんか此処の型には入ってるんだってな。『空間拳』が」
と、寛が一言喋った。」
此処で「空間拳」とは何かと言っておこう。普通の拳法は相手の体を叩く。しかし「空間拳」は自分自身の体を叩く。普通だったら自分の体を壊すところだが、ある特別な「気」を全身に満たせば、その衝撃が空間を越えて、相手の体はおろか精神にまで届く。その「気」とは何かというと、「ヨロズの気」というものである。ヨロズ・・・朝兆一に話しかけていた「声」の正体である。但し男の声の。少女の「声」の正体は一体何なのか?それはまだ解らない。
「だけど俺達が習っていたのは、相手を元気にする、いわば『活法』のものばっかりだったな。相手にダメージを与える、要するに『殺法』のものはどうしたら使えるんだ?」
この天河の問いかけに兆一はこう答えた。
「・・・テンさん、それはこれからです。『活法』で十分心身を鍛えないと、『殺法』へは入れないんです」
「そうか、それじゃ今まで俺達が学んだ事は、まだ『序の口』っていう訳なんだな」
「はい、そうです。これから来る『オリエンテーション』に向けた春合宿で『活法』の会得は終わるでしょう」
この兆一の言葉に、一年の3人は驚いてしまった。夏合宿よりもつらい春合宿が、ただの「会得」だって?・・・
そして一同はしばらくの間少し静まりかえったが、
「兆ちゃん、今日善三郎と羽目を外した事、みんなに言った?」
と、広美が言ってきた。その羽目を外した事というのは・・・。
朝の1時限の前、善三郎が突然こう言った。
「紀藤って名字の奴がいるけど、『きとう』って変だよなあ」
それを聞いた広美は、
「え?何で『紀藤』が変なの?普通の名字じゃない」
と答えた。
「だって金・・・」
と言いかけた善三郎を、兆一がこう止めた。
「金、要するに『ゴールデンハンマー』だ」
「何よ?それ。何かのヒント?」
「そう、これから出す問題に答えられたら何かあげるから期待して」
そして兆一は教室中のみんなにドドンパのリズムで手拍子をするように言って、
「♪もしもし亀よ亀さんよ〜頭の下には何がある」
と、童謡「兎と亀」の替え歌を歌い始めた。
この節を聞いて、にやりとする男子・顔が赤くなる女子が出始めた。やはり解る人には解るらしい。兆一は「もう止めろ!」と目で合図を送ったが、さらに善三郎は続けた。
「♪亀頭の真下にあるものは〜」
善三郎はみなまで言ってしまった。もう解っていないのはごく僅か、果たして純情なのか、それともカマトトなのか・・・。すると兆一は善三郎が「♪〜金の玉だよ金玉だ」と歌おうとしたその時、
「ゴールデン・ハンマー!」
と叫んだかと思うと、善三郎の頭上に巨大な黄金色のハンマーが現れて、そのまま善三郎に降り落ちてきた。
「痛!何だこりゃ?ううむむむむむ・・・」
そのまま善三郎は気を失ってしまった。
「全く、善三郎も余計な事ばっか言って、兆ちゃん、どうも有り難うとね」
と言ったのは「ジュン」こと福河順子だった。
「ジュン、どうして兆一に礼なんか言ったんだよ!従兄の俺が気を失うような真似をしたのに!」
善三郎は怒っているが、順子の方は、
「だって『きとう』の話を始めたのはあんたでしょ。兆ちゃんはそれを止めようとしたんだよ!何か文句ある?」
と、きっぱりとした口調で突っ込みを入れる。本当に、順子の突っ込みの鋭さと言ったら茂野河高校、いや茂野河市一番かもしれない。
やがて昼休み終了のチャイムが鳴る。応援団一同は一斉に「猫だまし」の手を叩いた。全員の姿が忽然と消え、それぞれが自分の教室に移った。兆一が朝使った技である。これは「空間拳」の技の一つで、その名前は「天通拍手」。どういう技なのかはこれからだんだん解ってくる。

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