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借りていたビデオは、北野武の「ドールズ」という映画だった。その映画は池田にとって久しぶりのヒットだった。見ているだけで涙が溢れてきそうになるその色彩の美しさや、作品全体に流れる悲哀感が、池田のなかでたまらなくフェィバリットだった。ぐっとくるね、と池田は思った。
借りていたビテオを返してしまうと、池田は取り敢えずという感じで店内をぶらついた。せっかくここまで来たのに、そのままとんぼ返りしてしまうというのも何だかもったいないような気がした。しばらく店内に置かれている様々なビテオを見て回ったけれど、あまり池田の感心を惹くようなビデオは見当たらなかった。
さて帰ろかな、と思ったところ、池田の視線はふとアダルトビデオのコーナーに止まった。そういえばここ最近はアダルトビデオなんて全然見ていないような気がした。久しぶりに借りてみるのも悪くないよな、と池田は思った。
何しろ就職試験に失敗して、彼女にまで振られてしまったのだ。アダルトビテオを一本ぐらい借りたからといって、べつにバチは当たらないだろうと思った。というか、それくらいのことが許しもらえないようじゃ、世の中あまりにも救いがないじゃないか、と池田は弁解するように思った。
アダルトビデオのコーナーに入って行こうとしたところで、背中から、「池田くん?」と、呼び止められた。
ふと振り返ってみると、そこには藤崎さんが立っていた。池田はかなり驚いてしまった。
彼女は、池田がまだ高校生だった頃に、密かに憧れていたひとだった。彼女に告白しようかどうしようか思い悩んだあげく、結局告白できなかったことを、池田は彼女の顔を見つめながらぼんやりと思い出していた。心のなかにそのときの感情が鮮やかに蘇って、池田はあれからもう何年も経っているというのに、ドキドキしてしまった。
「やっぱり池田くんや」と、藤崎さんはいくらか頬を輝かせて言った。「久しぶりやな」と、彼女は続けて言った。「おお、久しぶりやな」と、池田は答えたけれど、その声は緊張のせいか、ちょっとぎこちない感じに震えてしまった。
「池田くんに会うのは同窓会のとき以来よな?」と、藤崎さんは言った。池田は少し考える振りをしてから、「そういえばそうやな」と、答えた。
池田は、実は最後に藤崎さんに会ったときのことを明確に覚えていた。大学三年のときに高校の同窓会があって、そこで藤崎さんとは一度顔を会わせていた。
でも、そのときは他の友達に囲まれて、ろくに話すこともできなかった。二言三言交わすだけで精一杯だったような気がした。実はあのときから自分は藤崎さんのことがまた気になりだしていたのかもしれない、と、いま池田はそう直感するように思った。
…池田は他の誰かとつき合っていても、藤崎さんのことをたまに思い出してしまうことがあった。そんなふうに思ったりすることは、そのときつき合っていた恋人に対して失礼じゃないかも思ったけれど、でもそれは池田本人の意思ではどうすることもできないことだった。
藤崎さんはそんな池田の思いを知ってか知らずか、ふっと視線を斜め上に上げると、可笑しそうにその口元を綻ばせた。 「もしかして池田くん、あれ?エロビ借りにいくところやったん?」 そう訊かれると、池田としてはもう笑うことしかできなかった。池田は開き直って、「そうやで」と、答えた。
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