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冬の花 作者:上原直也

第3回   3
ヨドバシカメラを出ると、そのあと僕たちはたまたま近くにあったコムサのカフェに入った。どこかにご飯を食べに行っても良かったのだけれど、和華ちゃんがまだお腹は空いていないと言って、僕もついさっきファーストフードを食べてきたばかりだったので、じゃあという話になってカフェに入ることにした。

 入ったコムサのカフェはまだお昼時の時間じゃないせいなのか、それとも午前中だからなのか、妙に空いていた。僕たちのほかに客は中年の男のひとがひとりいるくらいのもので、あとはほとんど借し切りといってもいい状態だった。

 僕たちは窓際の席を選んで座った。そのカフェは七階にあって、窓からは梅田駅周辺の景色を見渡すことができた。一台の大型トラックが交差点をなかなか左折できずにいた。歩道を歩く人たちは圧倒的にサラリーマンのひとが多くて、だいたいのひとがポケットに両手を突っ込んで寒そうに顔をしかめながら歩いていた。

やがて、僕たちと同い年くらいのウェイトレスがオーダーを取りに来て、僕はコーヒーを注文し、和華ちゃんは紅茶とリンゴのケーキを注文した。

店内には押さえたボリュームで雅楽をオシャレな感じに編曲したような音楽が流れていた。店内は陶器の白色を思わせる色調で統一されていて、壁には歌舞伎役者の絵をちょっとモダンな感じにしたような絵が描かれていた。

間もなくすると注文した飲み物とケーキが運ばれてきた。僕たちはおのおのに飲み物やケーキを食べながら話をした。でも、どちらかというとあまり会話は弾まなかった。沈黙の間にポツンポツンと言葉を置いていく感じだった。

 気のせいか、向かい合わせに座った和華ちゃんの表情は少し沈んで見えた。親しかった友人が結婚してしまったことで、その友人を失ってしまったような気持ちになっているのだろうか、と、僕は考えてみたけれど、口に出しては何も訊かなかった。

「昨日、かよちゃん、きれいやったよな。」
 と、何回目かの沈黙のあと、和華ちゃんは口を開いて言った。
「そうだね。」
 と、僕は曖昧に微笑して頷いた。かよちゃんというのは、昨日結婚式をあげたばかりの女友達のことだ。かよちゃんとも大学時代に知り合って仲良くなった。

「まさかかよちゃんが一番最初に結婚するとは思わなかったけどね。」
 と、僕は少し笑って言った。すると、つられるようにして和華ちゃんも口元を綻ばせると、「そうやな。」と、同意した。
「でも、あのかよちゃんがお母さんになるなんて信じられへんよな。」
 と、和華ちゃんはしみじみとした口調で言った。
「そうだね。」と、僕は頷いた。
 僕は彼女が自分の子供を抱いているところを想像しようとしてみたのだけれど、上手くいかなかった。

 ふと、飛行機が通り過ぎてく音が聞こえてきて、僕は窓の方に視線を向けてみた。和華ちゃんもつられるようにして窓の外に目を向けた。飛行機は空のかなり低い場所を飛んでいて、その姿をくっきりと見て取ることができた。天気は良く晴れていて、色素の薄い優しい水色をした空には、小さな雲がポツンポツンと間隔をあけて浮かんでいた。

「・・・なんかどんどん変わっていってしまうな。」
 と、和華ちゃんは飛行機が見えなくなってしまってから静かな声で言った。僕は彼女の方に注意を戻して、コーヒーを一口飲んだ。
「まだまだ子供の気分やったけど、でも、それぞれ就職して社会人になって、結婚とかしたりして・・これからもどんどん変わっていってしまうんやね。」

 そう言った彼女の声は、少し哀しげに響いた。それはパチパチと小さく静かに燃えて夜に闇のなかに吸い込まれるようにして散ってしまった夏の線香花火を僕に連想させた。

「でも、変わっていくことのなかにもいいことはあるしね。たとえば昨日のかよちゃんの結婚式だってそうだし・」
 と、僕は少し考えてから答えた。

 すると、彼女は僕の言葉に何秒間の間黙っていたけれど、やがて、
「・・そうやけど。でも、ときどき寂しくなってしまうな。」と、独り言を言うように小さな声で言った。「なんて言ったらいいのかわからへんけど、すごく遠くまできてしまったような気持ちになる。」

「遠くまで?」と、僕は手にしていたコーヒーカップをソーサーの上に戻してから和華ちゃんの顔を見つめた。

「なんかわたしのなかではな、みんなと大学の頃過ごした時間とか場所が原点みたいなになっててな・・だからな、どんどんその場所から遠のいていってしまってると思うとな、ちょっと寂しくなるねん。もう二度とあのときには戻れないんやなって思って。」

「・・そっか。」と、僕はどう言ったらいいのかわからなくて曖昧に頷いた。

「でも、確かにときどき寂しくなることはあるよね。」と、僕はコーヒーカップのなかに視線を落としてから和華ちゃんの科白に同意するでもなく言った。「みんなそれぞれ環境とか立場が違ってきちゃうし、みんなに会える日もどんどん少なくなってきてる気がするし・・でも、それはしょうがないことなんだろうけど、だけど、とぎとき懐かしくなるよね。」
 と、僕は言った。

「吉田くんにこの前あったのもだいぶ前やよなぁ。」
 と、和華ちゃんはふと思い出したように小さく微笑して言った。
「そういえばそうだよね。」と、僕もつられるようにして微笑して言った。
「確か去年の冬やったよな。」と、和華ちゃんは言った。「わたしが東京まで遊びにいってんよな。」
「そうだね。」と、僕は言った。
「あれからもう一年が経つなんて信じられへんよな。」
 と、和華ちゃんは言った。

「あれからどう?」と、僕は顔をあけで和華ちゃんの顔を見つめると、ちょっと躊躇ってから尋ねてみた。「藤井くんのことはもう忘れられた?」

 そう言った僕の言葉に、和華ちゃんの表情は一瞬動きを停止してしまったような気がした。まるでビデオの静止画面みたいに。そして少ししてから再びまた和華ちゃんの表情は動きだした。

「うん。もう大丈夫やで。」
 と、和華ちゃんはいくらかぎこちなく微笑して答えた。でも、その口元に浮かぶ微笑みには悲しみが淡く透けて見えるような気がした。

 一年前の冬、和華ちゃんが東京まで遊びに来たとき、彼女は約四年半付き合った恋人と別れたばかりだった。そしてその事実は彼女を傷つけ、ひどく消耗させていた。だけど、それもそのはずだった。本来であれば彼女はその恋人と結婚していたはずだったのだから。

「・・あのときはだいぶ感情が不安定になってしまってたけど、もう今は大丈夫。あんまり思い出したりしんくなってきた。」
「・・そっか。だったらいいんだけど。」
 と、僕はちょっと余計なことを訊いてしまったかなと後悔しながら頷いた。

「吉田くんはどうなん?」
 と、僅かな沈黙のあと、和華ちゃんはからかうような口調で尋ねてきた。
 僕は苦笑して首を振った。
「一回片思いみたいなのはあったけどね・・でも、だめだった。」
「・・そっか。」
 和華ちゃんはどこかいたわるような眼差しを僕の顔に向けた。
「お互いなかなか上手くいかへんな。」
 と、和華ちゃんは言って、小さく笑った。
「そうだね。」
 と、僕は同意して軽く笑った。
 窓から差し込む透き通った冬の日の光が、和華ちゃんの顔を遠慮がちに輝かせていた。

「小説は書いているの?」
 と、和華ちゃんは少し間を置いてから言った。
「うん。ぼちぼち書いてるよ。」
 と、僕は答えてから、ちょっと照れ臭くなって笑った。
「前、賞取ったって言ってたよな。あれからどうなったん?執筆の依頼とかは来るようになったの?」
 僕は和華ちゃんの問いに苦笑するように微笑んで首を振った。
「賞を取ったって言っても地方の小さな賞だしね。だから・・そういうのはないかな。」
「・・そっか。なかなか難しいんやね。」
 と、和華ちゃんはどう答えたらいいのかわからないように小さな声で言った。

「でも、まだ書いてるんやろ?」
 と、五秒間程間隔をあけてから、和華ちゃんは言った。それは僕を励ますためというよりは、何かを繋ぎとめようとするような響きがあった。

「うん。一応書いてることは書いてるよ。」と、僕は答えた。
「今はどんな話を書いてるの?」
「今は花の話を書いてるよ。」と、僕は答えた。
「花の話?」
「そう。一応、和華ちゃんがモデルなんだけどね。」
 と、僕は曖昧に微笑んで言った。
「そうなんや。」と、和華ちゃんは笑って頷くと、
「なんか自分がモデルなんてちょっと恥ずかしいな。」
 と、和華ちゃんは笑いながら言った。
 僕は彼女に誘われるようにして微笑すると、
「でも悪いようには書かないから。なんか自分で言うのもあれだけど、今回の小説はいい小説になりそうな予感がしてる。」
「そっか。頑張ってな。」
 と、和華ちゃんは優しく微笑んで言った。



 

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Novel Editor by BS CGI Rental
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