彼女が喫茶店にやってきたのは、それから一時間程が過ぎてからのことだった。
喫茶店のドアの開く音がして、僕がそちらの方に視線を向けてみると、彼女が少し慌てた様子で店内に入ってくる様子が見えた。その彼女の姿は一瞬、高校のときに隣りに住んでいた女の子の姿と重なって見えた。
彼女は約束の時間に遅れてしまったことを謝った。仕事でトラブルがあったのだ、と、彼女は説明した。そのことを電話で伝えようとしたのだけれど、あいにく朝家に携帯を忘れてきてしまっていて、あなたの携帯の番号もわからなくて、だから、どうしようもなかったのだ、と彼女は話した。
そのことなら全然気にしなくていい、と、僕は言った。ひとりでゆっくり考えたいこともあったし、だからかえってちょうど良かったかもしれない、と僕は言った。
それから、僕は色々と遠回りをしながら、どうにか彼女に自分の気持ちを伝えることができた。こんなことを突然言い出して申し訳ないけれど、僕はきみのことが好きなのだ、と。だからもし良かったら交際してもらえないだろうか、と。
その僕の言葉に対して、彼女は少し考えさせてほしい言った。あなたのことは全然嫌いじゃないし、とてもいいひとだと思っているけれど、でも今までそういう対象としてあなたのことをみたことがなくて、すぐには結論が出せないのだ、と。
彼女の言うことは最もなことだった。僕はいくらでも待つよと答えた。急にこんなことを言いだして申し訳ない、と僕は謝った。
僕の言葉に彼女は小さく首を振ると、あなたの気持ちは嬉しかったわ、と微笑んで言った。
喫茶店を出ると、僕は彼女を駅まで送っていった。
そのあと、僕ひとりで家まで歩いて帰った。その頃にはだいぶ雨も小降りになってきていて、この調子で行けば、明日にはもう雨は止んでいるのかもしれないな、と、なんとなく思った。
彼女は約束通り、あの水色の花を僕にくれた。
僕は家の前で彼女が引っ越していくのを見送った。彼女が引っ越してしまってからも、しばらくの間その水色の花は僕の部屋に飾られていて、僕はその花を見つめながら、彼女と話した色々なことや、彼女が最後に聞かせてくれたピアノの演奏のことを思い出したりした。
耳元で雨音は優しく響いていた。
僕はその聞こえてくる雨音に耳を澄ませながら、今頃彼女はどうしているのだろうと思った。ひょっとすると、彼女はどこかでプロのピアニストとして活躍しているのかもしれないな、と、僕は想像した。
ふと雨音に混じって、どこからともなく彼女の透き通ったピアノの演奏が聞こえてくるような気がした。
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