そんなことないよ、と僕はできるだけ優しい口調で言った。
僕で良かったら話しをきくよ、と僕は言った。
すると、彼女はちょっとの間戸惑ったように僕の顔を見つめていて、それからふっと口元をやわらげて微笑すると、「ありがとう。佐藤くんって優しいのね。」と、言った。
それから、「でも、こっちに引っ越してきて良かったわ。」と、彼女はその声にいくぶん本来の明るさを取り戻しながら、改まった調子で言った。「こっちのひとはみんないい人ばっかりだし、自然も綺麗だし、・・おかげで、だいぶ前よりもよくなった気がする。お母さんの死も、まだ完全にというわけじゃないけど、きちんと受け止められるようになった気がするし・・それに、こうして佐藤くんとも友達になれたしね。」 と、彼女は続けてそう言うと、軽く微笑んでみせた。
僕は曖昧に微笑むと、何となく、ピアノの上に飾られている花に視線を向けてみた。
その花は雨の色素を体内に取り込んで、より鮮やかな水色に染まって見えた。
「・・その花、佐藤くんにあげるわ。」と、ふいに、横から彼女の声が聞こえてきた。
彼女の方へ視線を戻すと、彼女は少し気まずそうな表情を浮かべていた。そして、彼女は伏し目がちに視線を逸らすと、「・・実はね、わたし、また今度引っ越しすることになったの。」と、いくらか唐突に告げた。 僕は驚いて彼女の顔を見つめた。
「なかなか言う機会がなくて、佐藤くんにはまだ話してなかったんだけど・・実は、わたし、東京に戻ることになったの。・・お父さん、そろそろ仕事をはじめていくつもりみたいで・・最近少しずつピアノが弾けるようになってきたみたいなの、お父さん。・・だから、その関係で・・。」 僕は何か言おうとしたけれど、でもそれは形になる前に、口のなかで力無く萎れてしまった。もう、彼女に会えなくなってしまうのだと思うと、極端な喪失感があった。
「佐藤くんに会えなくなるのは残念だけど・・。」と、彼女は小さな声で言った。
僕はしばらくの間黙っていたけれど、寂しくなるね、とやがて言った。彼女は僕の言葉に頷くと、でもまた遊びにくるから、と口元で弱く微笑しながら言った。
雨音が優しいピアノ曲のように響いていた。
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