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ブラウザの中 作者:浅上陽一郎

最終回   ブラウザの中
 たとえば皆さんは、こんなことを感じた経験はないだろうか。遊園地のアトラクション。たとえば、お化け屋敷でも迷路でも何でもいい。とにかく面白おかしいもの。迫力で人を興奮させたり、複雑さで人を惑わせたりとかいったような類のもの。ふと気がつくと、先ほどまで隣を歩いていた家族が消えていて、おまけに機械仕掛けの人形を動かす物音もしない。
 世界に一人取り残されている。一秒前までの楽しさの余韻は残っているが、それが逆に言い知れぬ寂しさをもって迫ってくる。
 そんな感覚。
 今、私が皆さんにお目にかけるのはそんな物語だ。
 この話を私が知ったのはインターネット上でだ。確か、オススメの怖い話を紹介しあう内容の掲示板だったと思う。それぞれがどう怖いのか、どういった内容なのかを書き込んでいるのに対し、例のそれはただアドレスのみがあるばかりで、書き込みをした人間の名前もなかった。
 リンク先のページには小説の本文があるばかりで、それ以外の、たとえば著者の自己紹介とか感想を書き込むための掲示板などはまったくなかった。ページの下部に次ページへのリンクと前ページへのリンク、それから一ページ目へのリンクがあるだけである。アドレスも適当な文字列とページを表すであろう数字だけで特に意味をなすようなものでもなかった。背景は黒、字は白。模様などの装飾は一切ない。しかも、物語は途中で更新されなくなってしまっているのである。
 作者が飽きてしまったのか。ページを更新するためのパスワードを忘れてしまったのか、パソコンを起動したまま、席を離れそのまま帰らなかったのかは定かではない。
 ただ、私が保存していたページだけが残された。更新が止まってから三ヵ月後にはそのページはすべて削除されていた。『お気に入り』からもうっかり削除してしまったらしく、アドレスも分からない。

 日々が特に変化もなく過ぎていく現代にとって、その日がいつのことかなんていうのはあまり意味をなさない。切江宗次は仕事帰り、新宿歌舞伎町の居酒屋で同僚の愚痴を一通り聞いた後、インターネット喫茶に寄っていた。終電を逃したのである。
 タクシー代とはかりにかけた結果である。宗次は二十代後半のサラリーマンで、毎日ブログを更新している。そういった習慣があったからでもある。
 入室してから三十分で自分のページにその日起きた他愛のないことと、終電を逃してしまったことの失敗談をなるべく面白おかしく読めるように若干事実と違うことを織り込みつつアップした。
 ほかには何もすることがない。ドリンクバーから野菜ジュースを取って戻ってくると早くも書き込みがあった。名前は未記入で、コメントも特になくただアドレスだけが書き込まれている。
 よくあるスパムの類だ。そう思った。
 たぶん、自分のパソコンではないということも手伝ったのだろう。宗次は普段ならただ削除するだけのそれのリンク先のページを開いた。特に何の変哲もない風景写真だった。架空請求か残酷な写真だかを想像していたためにそれはいささか拍子抜けであった。
 いや、風景写真ではない。深夜の町のネオンの端に移っている人々は動いている。動画の類か。
 そう思ってぼんやり眺めた。
 よく見ると新宿の西口だ。アルタ前の風景が映し出されている。
 このまま平坦な動画が流れている途中に、突然不気味な動画に切り替わったり、大音量が流れたりするようなコンテンツも見かけたことがある。それらのいずれのものであってもたいしたことはないだろう。結局は、退屈なものだな。
 ジュースを持ってくるときについでに手に取った漫画本を繰りながら、時折モニタに目をやりつつそれからまた一時間ほど時間をつぶしていた。少しずつカメラの視点が移動していることに気づいた。繁華街を抜け、それはゆっくりとガードレール下を抜けコンビニを左に曲がった。
 あれ。これは…。
 漫画本は脇にのけていた。これは自分が先ほど歩いてきた道筋である。カメラに写る人々は撮影者を気にも留めない。まるでそんな人間などいないかのように脇をすり抜けていく。路上でげろを吐くもの、羽目をはずすもの。漫画絵で描かれた女性の看板。全国チェーンのカラオケ店。その下でたむろす人々。なぜだろう、これは先ほど自分が見ていた景色と同じもののような気がする。天気。人々の賑わい。寸分たがわぬ形で思い出すことができる。二時間前に自分がいた場所。よく目を凝らすと、広告塔に今日の日付があった。
 ただの動画じゃない。ウェブカメラだ。ライブ映像なのだろう。それはそれで珍しくもない。が、このカメラの移動先が気になる。それは心なしか今自分がいるネット喫茶に向かっているような気がした。
 テナントビルの一角に差し掛かり、エレベーターの前に立つ。そして、そのドアが開いた。そこで宗次は息を呑むことになる。
 鏡に撮影者が映っていない。エレベーターの中、その狭い密室に鏡があった。しかしそこには、写るべきものが写っていないのである。
 なんだろう。カメラがエレベーターに乗り込む。わざとらしく出入り口とは向かい側の姿見をゆっくりと移した後に正面に向き直り、階数表示を映し出した。いつボタンを押したのか、このネット喫茶がある五階を目指しているようだった。
 狭い店内だ。エレベーターが到着したらその音がここにも聞こえるだろう。ブースから顔を出して受付近くにあるエレベーターを見た。当然のように二階から三階へ、三階から四階へと上ってきている。宗次は思わずブラウザを閉じた。すると、エレベーターは四回で止まりそのまま動かない。
 大きく息を吐き。椅子にもたれかかる。大丈夫。すべては偶然だ。ウェブ上の動画などいくらでも編集はできる。金曜の夜だ。人の往来も多く、エレベーターを利用するものも多いだろう。
 しかし、何だろう。宗次は先ほどまでカメラを持って歩いてここまでやってこようとしていた一人の人間を、ブラウザを閉じることでこの世から強制的に削除してしまったかのような奇妙な空虚感と罪悪感を感じていた。

 気を紛らわせたかったのだろう。漫画に再び没頭しようと本を手に取る。もう先ほど読み終えたのだが、続きを取りにここから外に出る気はなかった。朝になったら牛丼でも食べよう。久しぶりの休みなのだ。楽しいことだけを考えよう。
 と、ブース内に設けられた電話に着信があった。店内の静寂を保つために音はならず、ただ赤いライトがちかちかと光る。通常これは、お客が店におにぎりやその他ファーストフードなんかを註文する時に使うものであって、店側からこちらにかけてくることはない。
 かけてくることがあるとすればそれは例えば、いびきがうるさいだとか言ったときに店員が注意を促すときくらいのものである。
 それはなんだか異界からの着信のような気がした。そのまま放っておいてもよかった。しかし、赤いランプがいつまでも光り続けているのも不気味だった。受話器を取り、それがなんでもないかけ間違いのときもある。なんでもないことを明らかにするのだ。そのつもりで受話器を取った。すると、向こうからこういったものである。
「すみません、お客様。お客様の知り合いとおっしゃる方から、連絡がありまして、なんでも親戚に不幸があったそうでして…」
 すぐに受話器は置いた。間違いに決まっている。そもそもなぜ熊本にいる親戚は今自分がここにいることを知っているのだ。もう何も考えずに寝てしまおう。
 店員は今度は直接話しにくるだろうが、おそらく別のブースに行くだろう。番号を押し間違えたのだそうに決まっている。
 が、彼の期待を裏切ってブース外のドアをたたく音がする。そして、返事も待たずに扉を開けてきたのである。
 その男は顔の半分が、まるでできの悪いコンピューターグラフィックのように顔の上半分がかけていた。目がないのである。
「まさか、私のことを知らないとは言わないですよね。危うくあなたに消されてしまうところでした。今はカメラを削除されてしまいましたが。なぁに、すぐにデータを復旧すれば私はすぐに元通りになります。その折には、あなた、無事でいられるとは思わないですよね」
 宗次は自分の正気を疑った。と同時に、どうすればいいのかも直感的に悟っていた。
―リンク先を削除してしまおう。
 ブログに書き込まれた、もはや疑うべくもない目の前の男の書き込みを削除するのである。そうすればおそらく、この男は消えてなくなるだろう。宗次は手当たりしだい目の前の男に物を投げつけた。そしてその隙にとマウスを操作した。自分のホームページを表示したままのブラウザを表示し、管理ページにパスワードを打ち込み・・・

 そしてこの物語は三ヶ月以上更新されていない。ログも消去されてしまっている。
 これでこの話はおしまいである。私もインターネットを趣味とするものであるから、なんとかこの続きを考えたりもしてみた。しかし、そのいずれもあの掲示板の人たちを満足させえる内容では内容に思う。
 おそらくウェブカメラに憑かれた男が、自分のブログごとコメントを削除した後どうなったかは読者の想像に任せたほうがいいように思うのである。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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