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作者:浅上陽一郎

第7回   7
―さぁ。早く逃げるんだ。
 (比良野静香の手を引く皆本光)
静香―待って、グーちゃんが
―早くしろ、もう直ぐ奴らが来るぞ。
静香―う、うん
グーちゃんとは比良野静香の飼っている猫の事。しかしそこで不気味な怪人が現れる。顔の無い、灰色のマントを羽織った生き物だ。
劇の中で僕が演じる皆本光はカッコいい。でも、ここにいる僕はカッコ悪い。
 (怪人達の踊るようなパントマイム。不気味な感じを表現できればよい。静香はその怪人達に捕まってしまう)
―しまった!
静香―キャァァァァ
 (やがて霧が立ち込める。光、意識を失い倒れる。)
 霧はドライアイスを使うので窒息しないように注意しなければならない。それから、照明担当の田中君と渡辺君が舞台を脇からセロハンのフィルターを通したライトで舞台を照らす。そうすると、ドライアイスで作ったもやに色がかかる。薄紫色でぽぅっと光り。舞台上の僕はもやに包まれるのだ。
 今回、大会で僕達がやる芝居はドッペルゲンガーに翻弄される少年の話だ。
 僕が演じる―皆本光、そして佐真瀬アイが演じるー比良野静香。比良野静香は二人いるのだが、皆本光はそれに気がつかない。それ故に、彼女達の言動の矛盾に疑問を抱き皆本光は苦悩する。
 舞台中央に立った佐真瀬アイの長セリフがオープニングだ。本番では、照明の無い中、彼女にスポットライトが当たるように設定されている。
―この世界に光が差した時、闇が生まれた。闇は常に光と共にあったのに、光の中の住人達は闇から目を逸らす事しかしなかった。夜が来るとともに人が眠りにつくのはそういう事なのである。そうやって見捨てられた闇はやがて、孤独というレッテルを貼られる。人は闇の中に住まおうとしないからである。…
 長セリフはまだ続く、彼女のセリフの抑揚と間の取り方にどこか危機迫るものがあった。出番のない他の部員達はステージの下、いわゆる体育の時間に使用する空間でステージを見ている。そのステージ上を設備の整った舞台に見立てて、照明係の人は本番の際の自分の担当位置に立つ。僕も舞台上手―客席から見た場合の右側に立つ。舞台横から見える彼女の顔はとても綺麗だ。日常の中の違和感が、舞台に立つと彼女から消えうせる。
 そろそろ僕の出番だ。

―おう、待たせたな
 舞台中央に立つ佐真瀬アイに駆け寄る僕。
「おそーい、私もう三十分以上前から待ってたんだからね」
 電信柱の頭に時計をくくりつけただけのような小さな時計塔の下に立つ佐真瀬アイ。
―わりぃわりぃ、ってか待ち合わせは十時だろ? まだ十時十分過ぎ…
「デートっていうのはね、予定時間の三十分以上前に集まるものなのよ」
―そんな事は、知らん。
「むぅー」
 頬を膨らませる彼女。苦笑いする僕。手をつなぐ僕ら。
―ほら、機嫌直せよ。どうせ映画に行くだけなんだから、三十分早かろうが十分遅かろうが大した差は無いだろうが。
「だけって何よ、だけって」
―まあ、昼飯も食うが…
「そうじゃなくってさぁ!」
 だんだん、舞台の上が日常になっていく。何度もワックスを掛けなおした粗い木目の床がくすんだ敷石になる。舞台奥の幕がビル群になる。蛍光灯が空となり、光を放つ。人々が行き交う、落ち着いた街並。
―いいから行くぞ、予定より十分遅れてるんだ。映画、始まっちまうぞ。
「光君が遅れてくるからでしょ」
 僕はさっさと下手へはける。
「ああ、待ってよー」
 彼女も僕を追いかけるように舞台下手へ消える。

 舞台脇の狭い空間。下手に今いるのは他の登場人物を務め上げる三人の部員と、また次の出番を待つ僕と佐真瀬さん。狭いステージの上は僕達五人で重箱に詰められた料理のようにぎゅう詰めだ。案外、ステージ下から見ると僕達ははみ出ているのかもしれない。日常から漏れ出る胡散臭さ。
 少しかび臭い旧体育館。幕に見立てたステージ奥のカーテンの裏には木材が散乱しており、独特の臭いを醸し出している。かび臭さ、古臭さ、哀愁を誘う清浄な匂いは不快ではない。
 しばらく出番の無い僕はステージの下に降りる。現在、この体育館には僕達演劇部しかいない。他の部は新体育館や外のグラウンドで汗を流している。
 次は、二人いる比良野静香に劇中人物達が疑問を抱く場面だ。

―あれ? 俺、昨日、比良野さんを○×公園で見かけたぜ?
―えー? おかしいよ。だって、あたし、昨日市内で彼女を見たんだもん。
―それ何時ごろだよ。
―二時頃かなぁー
―俺が見たのは三時ごろだったかな。
―んー、まあ一時間で移動できない距離ではないと思うけれども
―お前さぁ、見間違えたんじゃねえの?

 皆本光と比良野静香の四人の友人達が口々に会話している。会話が一段落したところで佐真瀬アイ扮する比良野静香が登場。

「やっほー、どうしたの? 皆集まって」
―おう、ちょうどいいところに
―お前さぁ、昨日… わっとと…
 そう言いかけた男の袖をを別の一人が引っ張る。
―(比良野静香に聞こえないようなひそひそ声で)ねぇ、聞いちゃっていいわけ?
―何を?
―だって、彼女…

 訳ありの登場人物達は話を反らし始める。

―いや、なんでもない。
―うんうん、なんでもない。
「変なの」

 笑いが入る。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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