いつもと同じ朝は友人の下に支えられている。僕はいつもそう思う。一体、いつごろから僕は彼らと知り合いになったのだろうかと、頭を巡らせるのだがいまいち釈然としない。いつ知り合ったのか、という事は覚えている。しかし、互いが互いの存在を認め気軽に話をするようになり友達になったのがいつからなのかを思い出せないのだ。 「よっ、おはよう」 机に鞄を置いたばかりの僕に声をかけてくる芥川澄志。茶髪にピアスの微妙な人。でも、こういった風貌の人間にはよくある事なのだが、見た目に反して実はいい人である。見た目のギャップで、インパクトを与えてくる不敵な奴だ。 「おう、おはよう」 と僕は彼を一瞥。 「お前さ、寝癖ぐらいなおしてきたら?」 芥川の髪はボサボサだった。彼にとってはよくある事なのではある。 「あー、いや、今朝ちょいと忙しくてさ」 「何? また寝坊したの?」 「おうよ」 「バイト、大変なんだ?」 「あー…、それもあるが…」 と芥川。 「今朝、ちょいと親から電話があってさ、揉めた」 「…大変だね、一人暮らしも」 「まあ、それもそうだが」 「やっぱり、バンドの事?」 「よく分かったな」 「うん、なんとなく」 そう言い、ギターを弾く真似をする芥川。しばらくそうやって、音の聞こえない演奏を続けている芥川だったが、ふと何かを思いついたかのように身を乗り出してきた。その間中、僕は鞄の中身を机の中に押し込んでいた。 「如月の事、聞いたか?」 「何のこと?」 と僕はクラスの前のほうに目をやる。一番前の廊下側の席で背中を丸めている如月君を僕は視認する。 「あいつよ、夢売りから夢を買ったらしい」 「へぇ」 「でな、あいつが買った夢の内容ってのが…」 その時、芥川の口を遮る様に学校の鐘が鳴る。まあ、どの学校のご多分には漏れず電子音の定時鐘だ。 「じゃ、この話はまたな…」 と芥川は僕に背を向け 「あ、いやでもすぐに分かることか…」 と芥川は笑って、自分の席に戻っていった。 僕はふうとため息を吐いて、空になった鞄を後ろのロッカーに仕舞う。 そしてその後で、僕は一番前の右隅に座る、やや背と座高が高いメガネを掛けたボサボサ髪の如月君に目をやる。 如月京は大人しいというよりも、暗いといった方がいいのかもしれない。はっきり言ってクラスの連中からは浮いている。それもそうだろう、休み時間にマンガなんか読んでいたら、誰だって気味悪がる。そんな彼が夢売りから夢を買うのも当然のような気がした。 鐘が鳴った後だというのにまだ二、三人の生徒が教室の中をウロチョロしている。それからしばらくして先生が教室の前の戸を勢いよくガラガラと開けて入ってきた。鈴木史郎という当たり障りのない名前。体格はがっしりとし、髪の毛もこざっぱりと短く刈り込んであるのだが、髭を生やしている。そのため、彼の顔の輪郭をなぞるように黒い毛が生えているように見える。毛の短いライオンを想像してみるといいかもしれない。顔つきはりりしくしっかりしているのでそのイメージで間違いないと思う。 ノッシノッシと歩く先生はやがて教壇の後ろに立ち、バタンと出席簿などの書類の束を机の上に置いた。そして、にこやかな顔でこう言った。 「えー、今日から転校生が入る事になった」 その一言でクラスは少し沸いた。でも、ある程度大人としての落ち着きを持った僕達のこと、それほどはしゃぐというほどでもない。せいぜい、隣の席同士で「カッコいい人かな?」とか「かわいい子かな?」という話題が上る程度の事である。 僕もそれほど関心があるわけでもなく、頬杖を着いたままぼうっとクラスの様子を眺めながら今朝の小林さんの言葉を思い出していた。僕の席は後ろ側にある。クラスの皆の様子が一望できるので、こういうとき後ろの席は楽しい。先生の目から逃れたいという俗っぽい考えで、後ろの席に甘んじているわけではない。基本的に僕は勉強が好きなのだ。 「えー、それでは入ってきてくれ」 その言葉を合図に、先生が入ってきた戸と同じ、前の戸から一人の女子生徒が入ってきた。長い髪の毛、凛とした瞳、すらっとした体躯。彼女はロボットのような規則的な足取りで歩き、それでいてどこかきょどった感じがあった。恐る恐る教壇の隣に立つ彼女。 クラスは沸いていた。特に男子が盛り上がっていた。しかし、女子もそんなに悪い気はしていないらしく口々に「可愛いね」などと言っている。僕も悪い気はしていなかった。 「えー、でだ早速自己紹介をしてもらおうか」 と先生は言った。 彼女はゆっくりと穏やかに喋りだす。 「親の仕事の都合上、しばらくこちらに住むことになりました佐真瀬アイといいます。皆さんよろしくお願いします」 クラスの皆は拍手した。彼女を歓迎する意思が見て取れた。僕もおざなり程度に拍手しておいた。 「で、クラスの席の事なんだが…」 と鈴木先生は毛の短い頭をかきながら、何故か照れている感じでこう言った。 「折角だし、席替えをしようと思うんだがどうだ? ちょうど次の時間、俺の担当だしな。疎真瀬クンと色々話をしたいだろう」 クラスは一気にお祭りムードだ。確かに、転校生が来たことに対する喜びもあるだろうが、これはどちらかと言えば授業が一時間潰れる事に対する俗な喜びのほうが大きい。鈴木先生の担当教科である古文の予習をしていた生徒が「助かったー」とか言いながら笑っている。 「じゃ、大まかな事はクラス委員に任せるからな。隣のクラスでは普通に授業やっているんだから静かにしてろよ」 「せんせー、隣のクラスは次の時間体育だそうです」 「お前らはいつも煩さ過ぎるんだよ。下の職員室までたまにお前達の声が聞こえてくるんだ」 クラスの皆は苦笑した。僕も苦笑い。 鈴木先生はクラスから出て行った。職員室に戻ったようだった。やがて、クラス委員の近藤愛美が教壇上に立ち、てきぱきと席替えの段取りを決めた。近藤さんが教壇上で指示を出している間も、転校生―佐真瀬さんには質問の嵐が待っていた。彼女は一旦、近藤さんの席に座らされており、近藤さんの席の周りの女子が彼女を取り巻いている。 そして、その様子をよだれをたらしながら見ている男子。しかし僕はやはりぼうっと眺めているだけだった。 「おう」 と元気よく僕に声を掛けたのは芥川だ。芥川は席を立ち、僕の席の前で腕を組んで構えていた。 「あいつが、ソレだよ」 芥川はヒヒヒとまた悪戯っぽく笑った。そして、僕の机に寄りかかるようにし、腕を机にあてがう。 「ソレって、なんだよ」 「だから、あいつが如月のソレだよ」 僕はいまいち芥川の言いたい事が飲み込めなかった。 「分かんねーかな。だから、アイツが如月の“夢”だよ」 芥川は右手の親指で自分の後ろを指し示す。その先にはクラスの女子の質問攻めにあう一人の女子生徒がいた。 僕はようやく飲み込めた。僕がいまいち疎真瀬アイの事を歓迎できなかった理由が。 「作り物の人間って訳?」 「さあな、ひょっとしたら実際にいる人間を連れてきたのかもしれないし、ひょっとしたら物ですらなくて幻とかそういった類かもしれないしな」 改めて芥川の背の向こう側にいる佐真瀬アイを見る。にこやかに笑い、クラスの皆ともうまく溶け込んでいるようだった。 「最近多いよね、そういうの」 僕が言った言葉に、芥川は苦笑した。何かを諦めたような、そういう表情だ。 やがて席替えが行われ、僕達は新しい席でこれからの授業を受ける事になったのだった。 「なあ、夢売りって本当にいると思うか?」 ふと芥川が口をする。二つの机をくっつけ、向かい合う形で僕達は昼食を取っていた。 僕達の学校は一年毎にクラス替えを行う。一年から二年に移る際のクラス替えとは、なかなか微妙な所がある。何せ、基本的な友人関係は既に一年生の最初の二三ヶ月で出来上がってしまっているものなのだ。あとはその基本から、人脈をどこまで発展させられるかが僕達に試される。最初の二三ヶ月で出来上がった友人関係はそうそう崩れない。友人を作るのに、そんな事が必要だなんてとても嫌な話なのだけれど。あとは、友人の友人を友人にするか、もしくは部活に入ってみるなりして新規を開拓してみるだけしか新しい友人を作るための道が無い。そこに人がいるだけで話しかける事が許されるのは入学してから一週間程度だ。 そしてその微妙な、二年生になってからのクラス替え。これは生徒側から見れば殆ど無意味というものなのだ。先生方は「新しい友人を作るため」だのなんだの言ってはいるが、そんな事は無理という事なのだ。 しかし、奇特な性格の持ち主というものも中にはいるらしい。 それが、芥川なのである。 新しいメンバーでの授業初日の昼食の時間。突然、芥川は俺の机に寄ってきた。 「よう」 と軽薄でニヒルな笑いを浮べ、「おい、芥川ぁこっちで食わねぇか」と他のクラスメイトが言うのにも「悪ぃ、ちょいと先客があるんだわ」と断って、僕の前の席の机を僕の机と合わせ、向かい合う形になる。弁当を広げる芥川。 「俺は、芥川。よろしく」 差し出された手をなんとなく握り返す。無意味に握った手をブンブンと振り回す彼の顔はやたらと楽しそうだ。 「なんか、お前面白そうだ」 それが、僕の第一印象だったらしい。 その日以来、僕と芥川は付き合うようになっていた。まるで、小学生以来の腐れ縁の仲のように芥川は僕に付きまとった。昼休みの食事も毎回のようにこいつと取るのが、僕の日課となっていた。 「何言ってんだよ。あそこにあの人がいるのが何よりの証拠じゃないか」 「まあ、そりゃ、そうなんだが」 僕は弁当。芥川はコンビニの菓子パン、ジュース。 「でも俺、一度も見たこと無いぜ」 「何も、目に見えるものばかりが全てでもないでしょ」 「おっ、何カッコつけてんだ、このヤロウ。寒いぞ」 「うるせぇ」 「お前はさ…」 と芥川。その声のトーンは下がる。 「お前はさ、どんな夢がある?」 「んー、別に何も。ってか、それ夢売りからどんな夢を買うかって話?」 「そうだ。俺はあるぜー。俺はよ、音楽やるんだ。しかも、メジャーではやらねぇ。いわゆるアマチュアバンドで世界を制す」 「高校生にもなって、そんな事考えるだなんてお前も結構幼稚だな。ってか、なんでプロは目指さないのさ」 「プロは駄目だ。あれは流行りモンしか作れなくなる」 僕は外の売店で買ってきたウーロン茶を一口。芥川は既に食い終わり、ビニール袋を乱雑にまとめている。 「まあ、どうでもいいんだけどさ」 「あー、やっぱお前、面白いわ」 「何でさ」 「お前、実は俺の話を真面目に聞いてただろ。俺には分かるぜー。幼稚幼稚とか言いながら、そういう話を実は真剣に考えている節がお前には見て取れんのよ」 「…わけ分からん事言うな」 「まあ、いいや。ともかくお前はいいやつだ」 「わけ分からん」 僕も食べ終わり弁当の包みを閉じる。 「夢売りから買う夢は本当じゃないよ」 とは心の中で言った言葉だ。
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