教室の中には佐真瀬アイェいた。ただ如月君はいなかった。先生の話では、引き篭もってしまったらしい。 「如月が引き篭もる…、あー、いや。如月が学校に来なくなる少し前に、お前が如月の家を訪ねたっていうのは本当なのか?」 職員室に僕を呼び出した鈴木先生はあごの短い髭を撫でながら、撫で回すような嫌らしい目つきで睨む。 「実はな、昨日、如月の家に行ってきたんだ。その時に、如月君のお母さんともお話をしてきてな」 鈴木先生の言いたい事がだんだんと分かった。「お前、何をやったんだ」という目を鈴木先生はしていた。 僕は鈴木先生と如月君のお母さんが話をしている風景を思い浮かべる。 如月君のお母さんは言うのだ。 「京は他の普通の子よりもデリケートにできていまして…」「あの目つきの悪い少年が、どうもウチの京ちゃんを…、イジメっていうんですか。何かしていったみたいなんです…」「学校はなにもしてくれないんですか。ウチの京ちゃんを苛めるような生徒、退学にしちゃってくださいな…」 「で、どうなんだ」 僕の心臓を射抜こうとでもいうような、鈴木先生の重く鋭い声。その目付きも僕の心臓を射抜こうとでもいうように、重く鋭い。 「俺は、お前を信じたいんだが…」 鈴木先生の声も目付きも僕の事を信じてはいなかった。 「お前は、如月になにかやったのか?」 「ウルセェよ!」 僕は鈴木先生を殴った。 手に嫌な感覚が走る。ぐにゃりと次元を抉るような感覚。人を殴るという感覚に戸惑う。長い間どこかの誰かが座っていた椅子に自分が座った時に感じる気色悪さだ。温もりからくる気色悪さである。その時の僕は人間の温度を感じるということに嫌悪を抱かずにはいられなかった。 皮膚の柔らかさからくる気色悪さと、体温の温さからくる気色悪さによって右手のこぶしの鈴木先生を殴った面が穢されたような気がした。水道の水でもいいので早く手を洗ってしまいたい気分だった。 僕は踵を返し、先生方の机の合間を縫いながら職員室の出口へと向かった。後ろから鈴木先生が椅子から転がり落ちる音が聞こえた。 「ま、待ちたまえ君」 と言い僕の肩に手をかける他の先生がいたが、その先生は僕の目を見た途端に怯えて手を離してしまう。
僕の停学処分が決まった。
自分の部屋に敷いた布団に寝転び天井を見つめる。白い壁紙の天井の中に、ぽつんと浮ぶ蛍光灯。 学校から突き放された途端にする事がなくなってしまった。その時になって、自分の空っぽさを思い知る。 思い立ち、鞄の中から芝居の脚本を取り出す。相変わらず乱雑な鞄の中で、その脚本はしわくちゃになってある。しかし、本もノートもいくらしわくちゃになろうが読めなくなる事が今までに無かったので、僕は気にしない。 小林さんと一緒に練った演出のト書きセリフとセリフの間にびっしりと書かれている。
―な、なんで比良野静香が…、二人いるんだよ? (思わず後ろにたじろぐ皆本光) 「人間は誰しも一人では生きていけない」 「だから私はもう一人の自分を呼びました」 「だってこの世界に生きている人は、まるで皆人形みたいなんですもの」 「夢も持たず、希望も持たず、ただ流されていく人々は味気ない」 「仕方が無いので、もう一人の自分を作り出して寂しさを紛らわすんです」 「私が人形じゃないのは私が一番良く知っていることですから」 「だから怖がらなくてもいい」 「私―比良野静香と」 「私―比良野静香の」 『両方を愛して下さい』
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