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黒のクリスマス 作者:浅上陽一郎

最終回   黒のクリスマス
 あの日私は五歳から六歳になった。六歳の誕生日の事は今でも覚えている。最悪だった。
 私は名前を笹山理沙といった。誕生日は十二月二十三日で、クリスマスイブの前日だった。
その誕生日のプレゼントに私はウサギが欲しくて、前からお母さんに頼み込んでいた。そして五歳の誕生日を迎えてから、六歳の誕生日を迎えるまでの間、お母さんからウサギが貰える事を楽しみにしていた。自分の腕で生きたウサギを抱きかかえて、一緒に寝る様を想像して悦に耽ったりした。自分よりも重たいような動物図鑑をめくっては自分はどんなウサギをもらえるのだろうかと楽しみにしていた。
 しかし、六歳の誕生日プレゼントはウサギのぬいぐるみだった。私は谷から突き落とされたような絶望感と、足元が崩れていく虚脱感を覚えた。お母さんは言った。
「だってあなた、アトピーなのよ」
 アトピーってなんだろうと思った。お母さんがいうには、身体のあちこちが痒くなる事らしい。私は普通の子と違っていて、皮膚のあちこちが傷と赤いシミだらけだった。それはアトピーのせいらしい。そして、アトピーの子どもは動物を飼ってはいけないのだそうだ。
 私はそのウサギの縫いぐるみを、テーブルの上のバースデイケーキの上に叩きつけた。ベチャリと音がして、ろうそくが倒れてそのウサギの縫いぐるみを燃やし始めていた。
 お母さんは泣いているような怒っているような不思議な顔をして、大声を張り上げたが、私はそのまま振り返らずに自分の部屋に引きこもった。
 十二月二十四日になった。私は部屋から一歩も出なかった。出てやるものかと思いながら、部屋の隅でじっとうずくまっていた。途中、どうしても我慢できなくてトイレに行こうとお母さんが買い物に出かけた後にドアを開けたら、部屋の前に昨日のウサギの縫いぐるみが置かれていた。先日の騒ぎで左耳が少し焦げていた。私は思った。
(どうせ、お母さんは私が諦めると思っているんだわ。こうして優しくしておけば、母親らしいと思っているんだわ。)
 だから私はそのウサギの縫いぐるみを目立つように燃えるゴミの袋に投げ入れた。お母さんがそれを見てショックを受ける様を想像して私はいい気味だと思った。冷蔵庫の中から適当な食べ物を二、三個取り出してから自室に戻った。鍵のついている部屋でよかったな、と思った。
 そして二十四日は誰とも口を聞かず(ときおり、ドアの向こうからお母さんの呼び掛ける声が聞こえたが無視した)に過ごした。やがて夜がきて、私は敷きっ放しの布団に包まった。
 布団にくるまりながら、サンタクロースの事を考えていた。サンタクロースならきっと私が本当に欲しいものをくれるに違いない。だからきっと、翌朝には私の欲しいものが枕元に置かれているに違いない。
 だから今晩は早く寝なくては。夜更かしをする子どものもとにはサンタクロースはやってこないのだ。
 十二月二十五日、サンタクロースが来たと思った。目を覚まして枕元を見るとそこには無造作に置かれていたクレヨンケースがあった。包装されていないことを奇妙に思いながら蓋を開けてみると、やはりそこにはクレヨンが一列に並べられていた。どれもが綺麗に左から黒、灰色、茶色、青…と暗い色の順に並んでいた。
 これが、サンタクロースのプレゼントなのだろうか。私はとても不思議に思った。けれども、このクレヨンは以前から私が持っていた物とは違うし、お母さんのモノでもない。私がもらってもいいのだろうかと考えあぐねていると、一つの事に気がついた。
 このケースの中には全部で十二色のクレヨンが並んでいて新品のように長く綺麗なのだが、赤のクレヨンだけが誰かに使われていたように少し短かったのだ。
 そして私はなんとなくこのクレヨンセットを自分のものにすると決めた。
 またお母さんは出かけていった。私は部屋を出て、急いでゴミ袋から誕生日プレゼントのウサギの縫いぐるみを取り出した。急いでそれを持って自室に戻り、鍵を閉めた。そして例のクレヨンケースの中から、赤いクレヨンを取り出した。何故だかとてもわくわくした。
 私はその赤いクレヨンでウサギの縫いぐるみに悪戯書きをした。最初、何を書こうか迷っていたが、段々と慣れてきて縫いぐるみのふわふわした毛に線を上手に引けるようなっていった。とても楽しかった。なぜなら、その引いた線の一本一本から赤いモノが垂れてくるからだ。描いたモノが本物になるクレヨンなんだとその時の私は思った。それは現実的な事ではないと分かっていたが、いや、分かっていたからこそ楽しかった。魔法の力を手に入れたのだ、と私はそう思った。
 私はそのウサギの縫いぐるみから垂れているものが血だと分かった。舐めてみると、私の血と同じ味がしたからだ。私はアトピーで皮膚が荒れているから、あちこちから血が染み出しているのだ。
 雪が積もっている外に出た。近所の皆がクリスマスプレゼントを手に持って、外ではしゃぎまわっていたのだ。皆、テレビで放送されている正義のヒーローのおもちゃの武器を振り回していたり、おもちゃの小さな車を乗り回したりしていた。
 でも、私のクリスマスプレゼントはおもちゃなんかじゃない。あんなものはウサギの縫いぐるみみたいに偽物なんだ。でも私が手に入れたのは本物の魔法の力だ。私は誕生日に偽物のプレゼントを押し付けられてしまったけれど、クリスマスプレゼントにはとても面白いものをもらった。
 お面をつけ、プラスチックの剣を振り回している男の子が私のところに来て言った。
「お前はサンタさんから何をもらったんだ?」
「クレヨンよ」
 男の子はお面の隙間から、私が手に持っているクレヨンケースを見た。
「だっせ」
 そう言いながら、また他の子達のところに戻っていった。他の子達は皆、口真似で剣や銃の音を再現している。しゅばばばば、しゃきーん、どどーん、ぐはあ…。
 それから一週間が経ってお正月になった。親戚の人が家に沢山来た。お母さんのお兄さんの子供(この子供のことを甥というらしいのだけれど私にはよく分からない)のたっくんもその妹のよーちゃんも、他にも沢山、私と同じくらいの年の子供達が沢山来ていた。
 お母さん達はテレビのある部屋でお酒を呑んでいる。つまらないから、他の子供たちは皆私の部屋に集まった。私も合わせて六人。私は彼らに自慢してやろうと、例のクリスマスプレゼントのクレヨンを取り出し、「このクレヨンで描いた物は全部、本物になるのよ」と言った。
 その中のいっくんは「嘘だあ」と言って笑った。よーちゃんは食い入るように私のクレヨンを見つめている。
 私はいっくんを信じさせようと、例の赤のクレヨンで血だらけになったウサギの縫いぐるみを見せた。よーちゃんは「ひっ」と言っておびえた。いっくんも驚いたようだったけれど、すぐにいつもの顔に戻って「どうせ、自分で色を塗ったんだろ」と言い出した。
 そこで次に私は、自分の右腕にその赤いクレヨンで線を引いた。やがてその線はナイフで切ったような本物の傷となり赤い血が染み出してきた。今度こそ、いっくんも信じてくれただろうと思ったのだけれど、こんな事を言ったのだ。
「だってお前、病気で体中がもとから汚いじゃないか。そんなお前の身体から血が出たって、不思議でもなんでもないじゃないか」
 この言葉を聞いた時、私はとても不思議な気分になった。胸の中がもやもやとした。丁寧に作り上げてきた積み木のお城が崩されたような、砂のお城を足で潰されたような気分になった。
「分かったわ」私は言った。「それじゃあ、よーちゃんの身体に線を引いてみるわ。それで血が出てきたら、いっくんも信じるでしょ?」
 いっくんは戸惑いながら、「あ、ああ…」と頷いた。その仕種はとてもぎこちなかった。
 どこに線を引こうかと、よーちゃんの小さな右腕を見る。とても可愛らしい、綺麗な手。私のイボとケロイドとシミだらけの汚い腕とはまるで違う。
 また不思議な気持ちになった。誕生日プレゼントに本当はウサギが欲しかったのに、ウサギの縫いぐるみを与えられたような気分だ。その気分に苛まれた時、不思議に気持ちが晴れやかになり、私はよーちゃんの腕のどこに傷をつければよいのかを一瞬で分かった。
 私は迷わずによーちゃんの右手首に真っ直ぐ太くそして強く赤い線を引いた。
 よーちゃんは「痛い」と言った。それは私が強くクレヨンを押し付けたからだろうか、それとも魔法の力で赤い線が本物の傷になったからだろうか。
 すぐに効き目は表われて、よーちゃんの右腕からは赤い血が沢山流れてきた。公園の噴水みたいだと私は思った。
 「どう?」私は得意になって、いっくんに言った。「本当だったでしょう」
 今度はいっくんも信じてくれたみたいだ。口をぽかんと開けたまま、よーちゃんの右腕から沸き上がる赤い血をぼんやりと眺めている。
 他の子供たちも皆、黙ったままだ。静か過ぎて私は嫌な気分になった。
「何よ! 他に何か言う事が無いの?」
 静か過ぎて気分が悪い。しかしやがてたっくんが言った。
「おい、血が止まらないぞ?」
 本当だ。いつもならもう血が止まっていてもおかしくない頃なのに、未だによーちゃんの腕からは血が流れている。皆がざわつき始める。
「ねえ、止まらないよ。どうしよう」とよーちゃんも泣きそうな顔をしている。「怖いよぅ…」
 たっくんがよーちゃんのもとに駆け寄り、必死にその血を止めようと傷口を押さえる。「そうだ、包帯だ。包帯を持って来い」「お母さん達を呼んできたほうがいいんじゃないか」
 その言葉に私はハッとなった。
「駄目よ」私は言った。このクレヨンの事を大人に知られてはいけないと私は思った。「大丈夫。そのうち止まるわ」
「大丈夫なもんか。全然止まらないじゃないか。このままじゃ死んじゃうぞ」
 死なないわよだってウサギの縫いぐるみは今もそこにあるんだもの。
「陽子は縫いぐるみじゃない!」
 そう言ってたっくんは私を払いのけ、ドアを開けようとした。不公平だと思った。私はこんなに傷だらけなのに、よーちゃんはたった一つしかない傷のために皆にこんなに心配されている。
 私はとっさに赤いクレヨンを掴んで、それをたっくんめがけて思いっきり振り下げた。
 たっくんは叫び声を上げた。私の部屋に赤い血が飛び散った。他の子供達も叫び声を上げた。私の顔にも赤い血が飛び散った。
 おかしいと思った。いつも私が掻き毟った痕から出てくる血と、私の顔に付着した血の感触が違うのだ。私から出てくる血はジュースのようにサラサラしているのに、たっくんの血は蜂蜜のようにぬるぬるしているのだ。
 今でも下の階からはお母さんと叔父さんたちの笑い声が聞こえてくる。
「なんだこれ、なんだこれ」
 たっくんの右手と左手がなくなっていた。これでもうドアを開ける事が出来ないから大丈夫だ。他の子達の手も切っておいたほうがいいだろうか。
「ねえ」私は言った。「皆も私を置いてお母さん達を呼びに行くの?」
 皆、青い顔をして何も言わない。さっきまで泣いていた子も泣き止んでいた。
「助けて、助けてくれ」
 不意にいっくんが床をどんどんと叩き始めた。この真下にお母さん達がいるのだ。
「やめなさい!」私は叫んだ。「やめないと、あなたの首を切るわよ」
 それでもいっくんは叫ぶ事をやめなかったので、私は再び赤いクレヨンを持って今度はいっくんの首めがけて真っ直ぐに線を描こうとした。
 その時にドアを開けて、叔父さんたちが私の部屋に入ってきた。
 よーちゃんといっくんの惨状見るや、慌てて一階に降りていった。
「電話だ電話! 子供達が悪戯して大怪我をしている!!!」
 開けっ放しになったドアからそんな声が聞こえてきた。
 どうしよう。とても困った事になった。このままではいけないと思った。
 私はクレヨンケースを見た。そこには白いクレヨンもあった。消してしまおう、と思った。私はまず最初に、よーちゃんの髪の毛を白のクレヨンで塗ってみた。よーちゃんの髪は塗った先からどんどんと消えていった。私は安心して、よーちゃんの体中を白のクレヨンで塗りつぶし、いつの間にかよーちゃんって誰だっけ?
 そんな事より、たっくんも両手から血を流して呻いている。大人にこの事を見られてはいけないのだから、私は白のクレヨンでたっくんの体中を塗りつぶしてしまい、たっくんってなんだっけ?
 私はあせった。叔父さんたちに救急車を呼ばれたりしたら大変だ。急いで一階に駆け下りていくと叔母さんが電話をかけようとボタンを押していたから、私は白のクレヨンで電話を塗りつぶして、ついでに叔母さんも白のクレヨンで塗りつぶした。
 すると叔父さんが叔母さんの事を探し始めた。だから私は白のクレヨンで叔父さんを塗り潰した。すると今度はいっくんが叫び始めたから私は白のクレヨンでいっくんを塗り潰した。そんな風に誰かを消す度に、誰かが誰かに消えた事に気がつくので、私は人を消す事をやめられなくなっていた。いつの間にか私はこの家に来ていた人全員を消していた。私はこの家に一人だ。
 どうすればいいのかはすぐに分かった。今度は黒のクレヨンで、叔父さん達の絵を描けばいいのだ。あっという間に全員が元通りになり、やがて家に帰っていった。もちろん、お母さんも元通りになっていた。
 皆のクレヨンに冠する事を忘れさせた。私が描いた絵なのだから、そういう事も出来る。
 お母さんはまたいつものように朝に出かけて、夜に帰ってくる。
 私はいつまでも遊び続ける。絵を描きながら。

 朝は一日の始まりだ。だから白い。夜は一日の終わりだ。だから黒い。
 今日は何の絵を描こう?
 そういえば、私は人の絵を描くのがとても上手だと言われる。なんでだろう?

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Novel Editor by BS CGI Rental
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