ふと気づいたとき、妾(あたし)はすでに手術台の上にいました。 麻酔でもかけられていたのでしょう。身体がまったく動かなかったので、とりあえず眼を動かしました。 「やぁ、目覚めたようだね」 そこにはメスを持った先生の手がありました。 「センセイ。妾はいったいどうしたのでしょうか」 「ウン。君に協力してほしいことがあるのだがね」 「ナンでしょうか?」 「実は、今からホルマリン漬けを作ろうと思うんだ。それも今まで誰も作ったことのない、耳と長神経のつながった世界初の珍しいホルマリン漬けを」 「まぁ、それはステキですわね」 「だろう。それで是非、君の耳と聴神経を提供してほしいのだ」 「そんなことですか。ええ、どうぞ。どうぞおつかいください」 妾は迷うことなく、承知しました。これほどスバラシイ、嬉しいことなど生まれて初めてでした。 そして、妾にはセンセイだけだったのです。 「そうか。君ならそう答えると思って、身体のほうにちょいと麻酔をかけてあったのだ」 センセイは満足げにうなづき、白衣から注射器を一本取り出しました。 「それは?」 「目が覚めている状態で、手術をするのは怖かろう」 「いいえ」 妾は先生のご厚意を断りました。 頭の中まで麻酔に侵されるようなことは、あってはならないことだと思ったのです。 「しかし」 「いいえ、センセイ。妾はドンナことがありましても、センセイが妾の耳や聴神経を切り取られるのを、最後まで見届けたいのです。センセイの手によって、立派にホルマリン漬けになるのを見たいのです。よろしいですか。こんなにも妾がお願い申し上げましても、センセイが無情な行為をされました場合、妾はセンセイを一生、お恨みします。そのお覚悟はございますか?」 妾の迫力におされたのでしょう。 センセイはそのまま手術をすると、おっしゃいました。 妾はそれを聞くと、すっかり安心しました。 「それでは始めよう」 センセイがメスを、妾の耳に近づけました。 するとどうでしょう。 妾はあれだけのことを言っておきながら、やはり少し怖くなってしまいました。そして、ついには目を閉じてしまったのです。 ズブリ、という、耳の根にメスの入った音が聞こえました。 その音が何回か続いた後、ズルリという音がしました。 たぶん、そのときに私の片耳と聴神経が、先生の手によって切り取られたのでしょう。 このように言うのは、お恥ずかしい話、妾の記憶がそこで切れてしまったからなのです。
なにはともあれ、手術は無事、成功しました。妾の片耳と聴神経は見事にホルマリン漬けとなりました。 そして、妾はなくなった片耳のかわりに、センセイから本物とまるでかわらない、作り物の『耳』を頂きました。 目覚めたときには、すでについていました。 きっと、センセイが用意してくださったのでしょう。 けして本物のようとはいえませんが、かすかにでも聞くことができます。 本当に、本当によくできたステキな『耳』を。 けれども、妾はこの頃、不思議に思うことがあるのです。
センセイのお顔はドンナのだったかしら、と。
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