「冷たいな、藤代は」 ことあることに、オレはそう藤代に言っていた。 オレの苦悩がどういうことか分からんと、藤代はあっさり言ってくれた。 だいたい分かろうという気がないのだ。こっちも期待はしていないが。 「じゃあお前、明日スカート穿いて来いよ」 その細い体をねめつけて、ニヤリとオレも言ってやった。 「嫌だね」 即答だった。 「そういうことだ」 「ああ、なるほど」 なにが、なるほどだ。本当にお前は分かっているのか。 分かってはいないだろう。だが、それでいいはずだ。 なにしろ、藤代は藤代で、オレはオレだ。 分かり合わなくても良いのだ。 オレの心の奥底など、分からない方がいい。
それにしても、藤代は冷たい。 こっちの携帯の番号も、鹿児島の住所も知っていたはずなのに、一度も連絡を寄越さない。 もっとも、オレも人のことは言えない。 N市にオレの友人はいないが、藤代の友人はたくさんいる。その中の一人に連絡をつけようと思えば、学校のクラス名簿があったし、そこには藤代の実家の電話番号も載っていた。いくらでも、ツテはあったはずだ。 それが出来なかったのは、何故なのか。 考えるのも怖ろしいが、オレは藤代を恐れているのかもしれない。 藤代がオレとは関わりあいたくないと思っているのかもしれないという、惧れ。 心当たりは、いくらでもある。 まず、あいつのカノジョをとったこと。 それから、屋上であいつを半裸にしてやったこと。 ああ、それだけ聞けば、俺は畜生で変態だ。 それらにも、それなりの理由がある。
先ず、カノジョのことだが、藤代が付き合っているという女に純粋に興味を持ったせいだ。どういう女なのか、ただ見てみたい、会ってみたい、話をしてみたい。それだけだったが、その女の方がオレに夢中になってしまった。 そう、当の藤代に言い訳してみた。 「自慢かよ」 藤代は、薄茶色の瞳でオレを睨んだ。
次に、屋上で寝ている藤代の服を脱がした件だが、これも単なる興味本位だ。 藤代のカノジョをオレがとってから、藤代はオレを避けた。まあ、それは至極、最もな反応だった。 ただし、それが一月も続くとは、思って居なかった。 なにしろ、藤代の元カノとは、一月もたなかった。
当時、さすがのオレも独りでいることに、少し厭きていた。 そんな時だ。屋上で、寝ている藤代を見つけたのは。 「……」 オレは、直ぐに声をかけて起すことが出来なかった。 ただ、このままではまずいことをジリジリと感じていた。 藤代は、ふだん屋上にいることを嫌がった。夏は、ことさらだった。 日に当たるのが嫌なのだそうだ。 「美白か?」 オレはその話を聞いたときに、からかうように問うたことがあった。 それに対して藤代は、日焼けは全くしないが、日に当たり過ぎると、肌が痒くなる体質なのだと答えた。 そのためにせっせと日焼け止めを塗る様は、本人が大真面目な分、可笑しくも、可愛らしくも見えたモノだ。 その藤代が、秋の日差しを全身に浴びて、眠りこけている。 これは、危険だ。きっと、後で藤代が大変かゆいことになることは明白だった。 これをオレが見て見ぬふりをしていることが分かれば、藤代とはこれっきりになっても不思議ではない。 それでも藤代を起こすことには、躊躇いがあった。 オレは、藤代の横に立ち、その顔に日陰を落すことで様子を窺うことにした。 しばらく、阿呆のように立ち尽くし、気持ちよさそうに眠る藤代の顔など眺めていると、とことん馬鹿馬鹿しくなってきた。 あげく、こともあろうに自分の可愛らしさに、気付いてしまった。 断じて、オレは可愛くなどはない。 だが、藤代のために日陰を作るという、この健気さは何だ。 思わず、恥らうばかりだ。 これを払拭しなくてはという、どうでもいい焦りが渦巻いてきた。 そこにふつふつと現れたのが、藤代の体への興味だった。 この男は、本当に男なのだろうか。 とか。 オレがこんな体なのに、こいつの体が男であるのはやはり納得が出来ない。 とか。 オレの体もこいつと同じであったとしても、不思議ではない。 とか。 別に本当に確かめなくとも、分かりきったことだった。 こいつが男でないはずがない。 自分の体が、男のものになっているはずなどない。 きっと、オレの中のどこかが、おかしくなっていたんだろう。 オレは、すっと藤代の脇にしゃがむと、ヤツのシャツのボタンを上から外していった。 「白…」 普段、隠されている肌は、見たことのないような白さだった。 そして当たり前だが、平らな胸をしていた。 自分の胸がちりちりと痛むような気がした。 「どうして、お前は男なんだろうな」 オレは、その時、泣いていたのだろうか。 分からない。 「なんでだ」 オレの胸はふくらみと柔らかさを持つ。 「なんで、お前の体は男で、オレの体は女なんだ」 口をついて出る空しい問いに、また打ちのめされるようだ。 情緒不安定なのだ。きっと、俺は疲れているだけだ。今は。 「知らねえよ」 答えるはずのない声が、この一月聞くことのなかった声が響いた。 起きたのかと思えば、そうではなかった。 藤代の目は、僅かに開いてはいたが、完全に覚醒しているわけではないようだ。 これは、寝言だ。 「そりゃ、そうか」 寝ていても、藤代はまっとうで冷たい。 藤代は、藤代だ。 そして、オレはオレだ。 可笑しい。オレは笑っていた。でも、おかしい。涙をとどめることが出来なかった。 藤代の手が、伸びてくる。 オレは、それをぼんやりと見ていた。 ヤツの手は、こともあろうにオレの頭を撫でていた。 ああ、オレはついぞこんなことをされたことはない。 こんなことを許すオレではなかったはずだ。 「ごめんな」 藤代が謝っても、オレは許さない。 だが、それ以上に酷い言葉を藤代は、言った。 「俺はお前が男でも女でも、どっちでもいいや」 ああ、本当に。こいつは冷たい男だ。 欲しい言葉を決して呉れない。 ただ、心地よいだけの言葉を投げてはくれない。 「冷たいな。藤代は」 そう言いながら、ああ、どちらでもいいのかと信じそうになっている自分がいた。 可笑しい。十数年間生きてきて、こんなに可笑しかったことがあっただろうか。
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