「……ハァ…」 また小さなため息が出た。 どうしようもない気分だった。 そう、まさにどうしようもない現実を押し付けられたから、 そんな気分に落ち込んでいた。
「こんなところで何をしてるんだ?」 聞き覚えのない声に、 振り返らずに答える。 「私の街を見てたんだ」 「こんなところで見ていたら落ちるぞ」 「落ちないです、大丈夫」 「そうか…」 実際、危なっかしい切り立った丘から眺めていたんだ。 それがきっと旅人の杞憂を誘ってしまったんだろう。 ここを去り、いい加減に風に当たるのはやめよう。 帰って、明日からまたいつも通りに 過ごせばいいだけのことなんだから。 後ろに重心をかけて、サッと立ち上がろうとする…
ガラッ…
えっ、私ってそんなに重かったっけ… えぇと…日頃のダイエットの怠惰を後悔してる場合じゃなくて、 とりあえず、私は…このままだと… 「イャァーーーー」 訳の分からない声を挙げて、 落ちてしまっていた…
「面倒だな…」 誰かが後ろで何か言ってる気がするけど、 こんなスピードで落ちてたら助けられませんよね… 「氷よ…ッ!」 そんな声が聞こえてきた瞬間に、 私はがけではなく、 氷の上を滑っていた。 滑ってる…?てことはまた落ちる? 見知らぬ旅人に助けられて、めでたしめでたし… なんてないの…? サキ・スィスクル(22)は、崖で物思いに耽り、転落死…?!
「…こんな魔法の使い方はしたことがないぞ…」 そう思ってたら、今度は氷の丸い滑り台に天井が出来て、 …私は氷の球に閉じ込められた…。 …ゴツッ! 痛い…頭をぶつけてしまう… …ていうか、これから私をどうするつもりなんだろう? 助けようとしてるんですよね…?
「…ここから上に上げるには…う〜む…」 なんか上で悩んでます…。 「そうだな。危険な賭けでもないし、それをやるか」 …とりあえず危なっかしい方法を思いついたみたい… グラッ… えっ、氷が溶けて落ちそう? って落ちてる〜! 「なんとか耐えろよ…」 ドンッ! 止まった… と思ったら、今度は上昇〜? 下から氷が押し上げてきてる。 そして、そろそろ目がグラグラしてきたとき、 やっと元々いた丘に着いて、 入り口みたいに氷が溶ける。
そこでは背の高い男性が 疲れた顔でこっちを見ている。 「怪我はないか?」 氷の球から降りて、答える。 「はい、大丈夫です。」 「そうか、手荒くて悪かった。じゃあな…」 「あの…っ、ありがとうございます」 さっさと去ろうとする背中に話しかける。 「あぁ…」 そっけなく右手をあげて挨拶される。
「あのっ!」 「まだ何か用でも?」 「お疲れ…ではないですか? あんなに魔法使って…。 その…良かったらウチで休んでいきませんか?」 「…そうだな。ありがたい。 ご好意に甘えさせてもらおう」 「良かったです。じゃあ、案内しますね」 そう言って、彼を私の家まで連れて行くことにした。 ……誰かといればきっと気が紛れる、そう思って。 「あのっ、お名前は?」 「俺か?アルシャル・イバートだ。あんたは?」 「私はサキ・スィスクルです」 そういうと、彼は少し考えた顔をしてから、 「分かった。世話になる」 そう言って、こちらに目線を投げかけた。
「すごいですね、あんな氷魔法使えるなんて」 「あぁ、それなりに修行したからな…」 「あんな風にして、誰かを救ったことってあるんですか?」 「いや、あんな使い方したのは初めてだ」 「えっ」 「慣れないイメージをしてやけに疲れたんだ。 本当ならあのぐらいの量はなんでもないんだがな…」
「…普段はどんな風に使ってるんですか?」 …恐る恐る私は聞いてみる。 「普段はあんな風に丸じゃなくて、尖ってるな」 聞かなきゃ良かった… 「じゃ…じゃあ、普段は狩りでもしてるんですか?」 「あぁ。狩りとはいっても盗賊狩りだがな」
串刺しなんですか!? 串刺しなんですか!? …あぁ、なんか話題がドンドン嫌な方向に進んでるような… 「そんな風に俺を人殺しと疑い、青い顔するのはやめてくれ。 単に脅かして、ギルドから金をもらって暮らしてるだけだ。 殺しはしないさ、安心しろ」 「はぁ〜。なら正義なんですね?」
私はそんな言葉を久々に使った。 …誰かの面影が彼に重なる… 「そうでもないな」 やはり彼は違う人、誰かと同じことを言うはず無かった。 「でも、悪い人をやっつけてるなら、正義ですよね」 「単に生活するためにやってることだ」 「でも、やってることは正義ですよ」 「…盗賊はどうするんだ?」 「えっ?」 「俺が正義を振舞えば、盗賊は居場所を失う。 彼らにとって俺は寝床を奪う悪党だ」 「それは…」 すぐ否定できるはずだった。 けど、どうしてなのか? 言葉が出てこなかった。 「ふぅ、こんな話をしていたらまた疲れてしまうな…」 「あ、私の家はもうすぐです」 ようやく家に着いて、 私達は気まずく沈黙せずに済んだ。
「そこに掛けていて、休んでいてください」 そう言うと、彼は少しまわりをうかがってから、 腰を落ち着けた。私はコーヒーを作りにキッチンに向かう。 「独りで暮らしてるのか?」 「…はいっ、そうです」 「…。そうか」 彼は何かを考えたり、確かめているようだった。 「コーヒーは砂糖どれくらい入れますか?」 「ブラックがいいな」 こういうことにブラックと即答するのは なんとなく彼らしい気がする。
「どうぞ」 「あぁ、ありがとう」 まだ熱いはずなのに、平気そうに一口飲む。 「案外、うまいな」 「ありがとうございます」 「まぁ、流石というところかもしれんな」 「えっ」 「サキ・スィスクル…、家出か駆け落ちでもしてるのか? こんな郊外で小奇麗な家を建てて…?」
ハッとする… この人は知っている? 「なんで…、そんなことをあなたが?」 「何度かそこの家の名義で依頼を受けたことがあってな。 というより、ここらでは有名な家柄だろう。 魔女戦争からの復興運動の指導者の資本家としてな」 「そうですね…、ご指摘の通りです」 だから、考え込んだり確かめるようにしていたんだ。
「そう強張らないでくれ。 気まずい話題を出したのなら、悪かった。 コーヒー飲んだらさっさと出るから」 「いえ、別にいいですよ。 その…、事実ですから」 「そうか… さっき物思いに耽ってたのもそんなことなのか?」 「いえ…、それは違うんです。 あれは私の…問題です」
「そうか… これ以上は問い詰めない。 妙な干渉をして悪かった」 「いえ… その良ければ聞いてもらえますか? 私の悩んでたこと…」 …私はこういうどこか実直な人に弱いみたいだ。 気がつけば、こんな風に自分のことを分かってもらおうとしてる。 「あぁ。聞くだけなら、聞いてやる」 そして、彼は驚きを表さずに受け入れてくれる。
「イルセルト将軍を知ってますか?」 「あぁ…、ここの中央にも干渉することが出来た若き勇将だな」 「はい、彼がいたからこそあの官吏もおとなしくしていました。 多少の税こそはあれど、普通に暮らすことが出来たのです。 ですが…」 「1週間前の公開処刑か…」 「はい。遠征から帰ってくるとき軍を引き連れて 中央を攻め入ろうとしたということで…」 「そして、その3日後に税率の大幅な上昇だな…」 「はい…、恐らくあの官吏の策略です」 「そう疑われても無理のない手際の良さだったな」 「あの人は私の彼氏でした。その…幼馴染で… それなのにあんな風に殺されて…」
私は涙がこぼれそうになって、 また顔を自分の腕で覆う… ここの一週間のいつも通りみたいに… 「それであんな風にずっと街を眺めていたのか…?」 私は顔を覆ったままうなずく。 少しの間の沈黙… 私は今日会ったばかりの人に何を話してるんだろう? こんなことを話したって「そうか」と言われて、 やるせない気持ちになるだけのはずなのに…
でも、この人は違った。 「…あいつは正しかったと思うか?」 私に、そんな問いかけをする。 問いかけのはずなのに、答えはひとつしかなかった。 「…正しいに決まってます」 涙を流していたはずなのに、 私が出した声は涙声なんかじゃなくて、 はっきりと澄んだ声で、驚いた。
「だったら、あいつが何を望んでいるのか分かるな」
それは…そんなに考えたことがなかった。 いや、それ以前に考えるのを避けていたことだったのかもしれない。 ただただ…私は事実に圧倒されているだけだった。 彼はまた言葉を続ける… 「あいつの死は最後の言葉だ。 あいつが最期に伝えたかったことが何か分かるか?」
…分かるよ。だって私は誰よりもきっと傍にいたはずなんだから。 イルの口癖… 「みんな笑っていられればいい」 イルはどこまでもそのままに生きてた。 そんなまっすぐなイルが私の自慢だった。 イルがずっと笑いながら、無邪気なままで、 安心してその正義を目指していられるように、 微笑ませてあげるのが、私の役目だったんだ。
たとえイルの正義が報われなくて、 もしかして救った相手に裏切られても、 私が笑わせてあげればいい。 そんな風に二人で手をつないで、生きていた。 だけど、イルはもう・・・
自分の正義を突き通したまま、逝ってしまったんだ。 ずっと真っ直ぐなままで… だからきっと彼の最期は…、きっと私も信じた正義そのもの。
−だったら、今もイルを信じてあげればいい−
「中央をぶっつぶします」 ・・・少しの沈黙。 目の前の彼はもう何も入ってないはずのカップを 飲む仕草をしてから、こっちにしっかり目を合わせる。 「…もう一回言ってくれ」 「…中央をぶっつぶします」 彼はゆっくりと口元をくずして、微笑む。 「いい女だ、あいつももうどこまでも浮かべるな」 「へ?」 私は確かに大げさなことを言った気もするけど、 この人はすごく喜んでいるようだ。 「前向きに生きるとか、そんな返事がもらえればいいと思ったんだがな。 そこまで前向きになってくれるとは、感心するしかないな」
私はてっきり大口を馬鹿にされると思った。 けれど、彼は違った。 あくまでまっすぐに私を認めて、 私に賛辞を送ってくれている。 …きっと彼の青の瞳は透き通った空だ。
「で、勝算はあるのか?」 こちらをじっと見つめたまま伺う。 「今なら反感は高まってますし、 たくさんの方の力を借りられると思います。 いざとなれば、ある程度の資金は実家から調達しますし、 私は回復魔法ならそれなりに自信ありますから、 一応の信頼なら築けると思います」 だからこちらも真剣に返した。
彼は納得したように軽く息を吐いた。 「楽しみにしてる、サキ・スィスクル。 しっかり復讐を果たしてくれ」 「えっと、復讐じゃなくて…その…」 彼と目を合わせる。 誤魔化せないな…確認してしまう。 「ははっ、確かに復讐ですね、それも大掛かりな」 「ああ、いい復讐劇になりそうだ」 彼はさっきから、喜びを隠さない。 だから聞いてみる。 「もし良ければ、私のレジスタンスに参加してくれませんか?」 彼はこの勧誘を予測していたかのように、 こちらに対して穏やかに答えを返した。 「無理だな。俺もようやく復讐の機会を得たんだ。 これを逃すなんてできやしない」
「アルシャルさんの話も聞かせてくださいよ」 機嫌が良さそうなので試しに聞いてみる。 「俺のか?辛気臭いし、もう時効みたいなもんだ。 あんたみたいに立派な復讐にはなりそうにもないんだ」 「そうですか… でも頑張ってくださいね」 「復讐者を応援なんてするなよ。 どんな理由でどんな奴を殺すかも分からないのに」 彼は苦笑いをして、皮肉を言う。 「でも、私をこんな風に励ましてくれるんですから、 あなたはきっと正しいですよ」 だから微笑んであげた。いつかのイルを送り出すみたいに。 「…ありがとな」 彼も応えてくれた。
「そろそろ俺は行くよ。コーヒーご馳走様」 「まだゆっくりしていってもいいのに…」 「もう十分世話になった。機会があったら、またな」 「はい」
彼は去っていく。 相変わらず、そっけないんだけど その背中は温かみが感じられた気がした。
「失恋のショックで落ち込んでるかと思ったら、 お姉ちゃん、さっきまで誰と何してたの〜?」 ・・・いたんだ…。人がいると思って隠れてたな… 何もやましいことしてない、うん。 マナにはありのままを話して、 はやし立てられないようにしなくては… 「ちょっとお礼してただけよ。 よりもマナ、面白い話があるんだけど聞いてくれる?」 「・・・うんっ」 マナは仕草も口調も子供っぽい。けど、中身はしっかり大人だ。 私のことをいつも気遣ってるのが分かる。 だから、このことはきっと二人が中心でやるんだ。
-この街のみんなが笑っていられるためのレジスタンス-
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銀の魔女が家族持ちという話は本当で、 俺はシチューの香りにいたたまれない気持ちになる。 今更なのに…この家庭には幸せがあるのに 俺が過去に同じように幸せを奪われたとしても、 わざわざ今になって復讐する権利なんてあるんだろうか? …今更迷っていても仕方がないな… 俺じゃなく、幸せそのものに復讐の権利があったんだ。 俺は単なるその代行者にすぎない。 ならば全力をもって、俺の正義を振舞うだけだ。 呼び鈴を鳴らせば、きっと戦いは始まる。 ーそれだけなんだー
ーなんなんだ、この強さは。 俺の最大魔法も乱打も通用しないなんて… 出過ぎた真似だったのかもしれないな。
「…ひとつひとつの散っていった命それぞれが 今の自分を形作るかけがえのないものだと思っているわ…」 …この女は殺すべきじゃない。 切り札の呪布を使えば、あいつの魔法鎧も破れる。 けど、あいつはもう何もかも受け止めて、 そうして暮らしている。 ー幸せに…ー でも、ここまでしといて引き下がるなんて申し訳ない。 だからー 「我れに流れるこの血に誓い、我れの命を捧げる。 願うは永遠の沈黙、それは永遠の解けぬ氷河。 解き放たれよ、すべてはわが生命の流れるがままにッ!」 ー凍らせるだけで勘弁するか。
少しづつ意識が遠のいていく… 当たり前か、全ての生命力を魔法に使ったんだから。 走馬灯なんて洒落たもの、俺にはないか…
「でも、私をこんな風に励ましてくれるんですから、 あなたはきっと正しいですよ」
サキ…だったか。何でこんな最期にあんな一瞬しか会ってない奴が? でも、暖かいな。すごく暖かい笑顔だ。 こんな奴が、そばにいてくれたのなら、 こんなにむなしい復讐をしなくて済んだのかもしれない。
最期に思うのは、女のことか。 俺も結局、こんなぬくもりのある生活を求めていたのかもな。 ー長かった復讐への日々もこれで終わり。 永い永い眠りの果てに、今度は壊れない暖かさを俺は望むー
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