「あなたは紳士ね」 母さんは突然の殺人鬼に言い放つ。 ずいぶん場違いなセリフに、男もまた眉をしかめて不快感を示す。
「私を殺すだけが目的なら、暗殺でも通り魔でもすればいいじゃない。 それをしないなら、あなたは紳士…いえ、正義ってところね」 「・・・何が言いたい?」 男はさすがに怒りを露わにしている。 「正義は徹底しなければ悪になるということよ。 私はあなたの信念を曲げて損なうようなことはしたくないわ」
「私と正々堂々戦いたいのでしょう? ならば地下室にいい決闘場所があるわ。 私を存分に力で屈服させたいのならば、そこで戦いません?」 「…罠か?」 「違うわ。まわりを破壊しないように壁に無効化の結界がはってあるだけよ。 まぁ私が言っても信用できないでしょう?」 「それもそうだが…。分かった、信用しよう、案内してくれ。」 「えぇ、いいわ。 あなた…名前と出身は?」 「アルシャル・イバート、イルン村の出身だ」 それを聞いて母さんは少し複雑な表情を見せて、ため息をする。 「やっぱり… なら復讐する理由は十分にあるわね…」
もはや俺には訳が通じない大人の会話だった。 「一体なんの話を?何で殺されても仕方ないような理由が?」 「…カフィ、あなたは地下に来ないで。 これは母さんの昔に犯した罪の清算… カフィが見るべきでも巻き込まれるべきでもないわ」 そう言い放つ母さんは、いつものどこかのんびりしている母さんではなかった。 それはただただ冷たい口調だった。 まるで、世俗全てを拒絶して生きる魔女みたいな…
「行きましょう、互いに早く済ませたいでしょうから」 「そうだな。 レイヌとはまったく…、肝が据わっている女だな」 「そういうわけでもないわ… こういうことには昔みたいに感情を押し殺さないと付き合えないだけよ」 そう言って二人は足早に地下室に向かう。
どうしてここでじっとしていられるんだろうか? 自分の母親がいきなり来た奴に すぐ階下でまさに殺されようとしているのを、 ただ言葉通りにじっとしていられるか?していられるわけがない。 それにあの男は気配だけでもかなりの使い手と分かる。 母さんは?母さんの腕なんて分からないけど不安は尽きない… 俺も地下室へと急いだ。
地下室では母さんと男が対峙していた。 そこに向かおうとして走る。 ドンッ!! ・・・・・・・・・・?? これは見えない壁? 幻想魔法の一種?しかし一体誰が…?
「カフィ、やはり来たのね」 「だって、じっとしていられるわけないだろ」 「それもそうね。でもカフィ、あなたに手を出させるわけにはいかないの。 そしてね、カフィ。この戦いを見るからには、あなたは感じなくてはいけないの。 力を振るうものには常に責任が伴う。その力が大きければ大きいほど…。 カフィ、見ておきなさい。これが力の使い方を間違えた咎人の闘いよ」
強い口調にうなだれて、膝をついた。 無力感と困惑で頭がいっぱいになる。 過去に罪があるとして、どうして母さんは俺に何も話してくれない? 俺を信用してないから?話しても意味がないから? 俺はやはりまだ何もできない子供で、何も救いになれてないのか?
「カフィ…。不安がらないで…。 母さんはカフィを失いたくないし、罪悪感を背負わせたくないの。ただそれだけ。 私はカフィと父さんのおかげで、やっと人間になれた。 だから、悲しんでほしくなかったの。それで何もかも話せなかったのよ」
…『人間になれた』?あまりにも極端な言葉だった。 けど母さんが俺を思うがために、こんな風に言ってくれて 今まで自分の過去をひた隠しにしていたのだと感じて、 俺はすこしばかりの安堵を覚える。 だけど、母さんが今俺の目の前で殺されようとしていて、 そして俺には何もすることができない… そんな残酷なことが行われるのに何の変わりもなかった。
「『銀の魔女』よ、そろそろいいか?」 「えぇ、すまないわ。始めましょう。」
『銀の魔女』?? あのアルシャルという男は、母さんをそんなおぞましい単語で呼んだ。 そしてそれはやけに形式がかった復讐劇だった。
「村を根絶やしにされた恨み…そして散っていったものたちの無念… ここで晴らさせてもらう、いくぞッ!!」 「かかってきて、そしてあなたの全てで私を打ち砕きに来て! そうでなければあなたは後悔しかできないから。 でも私は背負うものがここに在る。 だから倒されるわけにはいかないのよ」 村を根絶やしにした?母さんが?そして魔女と呼ばれる? 全てがまるで理解できない… それでも戦いは始まろうとしていた。
二人は宝珠をのせた手を正面にかざす。 母さんの手に乗っているのは幻想魔法のムーンストーン。 男が持っているのは氷魔法のサファイア。 「壊縛ッ!」 そして二人の声が同時に死闘の開始を告げる。
男の手には蒼く鋭き槍が握られる。 それは白銀の冷気を放ち、その鋭さは見る者を恐怖に凍えさせるようだった。 対する母さんの手には…水晶玉? あれだけの武器を手にする相手に丸腰は明らかに不利。 ましてこの狭い密閉空間では…
「それが噂に名高い魔女の『銀水晶』か… おぞましいものだな」 「本気でいかせてもらうわ。 銀鎧-ドリーム・アーマーッ!」
銀水晶が輝きだし、目も眩むほどのまばゆいばかりの光がつつむ。 ようやく目を開いて見ると、母さんは輝く銀糸を纏っていた。 それはまさに圧倒的で、神々しかった。 一点の隙間もなく鎧は、その身体に紡がれていた。 そして母さんの瞳に宿っているのは、虚無感にも似た冷たい殺意だった。 いつもの料理が好きな母さんの印象なんてもはや思い出せないくらい、 そのイメージは強烈で、…ただ綺麗だった。
「アイスジャベリン…ならば私の武器は… 銀斧-ドリーム・アックスッ!」
銀水晶は形を変えて、大きな輝く銀の斧へと変化する。 それを軽々と振りこなし、構える。
「こちらから行くぞ。 氷結絶-コキュートスッ!」 すべてが凍てつくような白銀の吹雪が襲いかかる。 そのスピードといい、吹雪の量といい尋常ではなかった…。 俺では持ちこたえることさえきっと出来ない… あんなに魔力の込められた吹雪は見たことがない。 そしてあの狂気じみた殺気の男の瞳。 恐ろしくて、背筋が凍りそうな感じを覚える。
そして男は一閃を放とうと駆ける。その姿は白銀の狼。 喉笛に食らいつこうとする何よりも鋭利なる牙。 この絶望の吹雪の中で、…魔女は平然と向かい銀の斧を振るい、 渾身の一閃を難なく受け止める。 「なんという耐魔力の魔法鎧… この吹雪をもってしても魔女をとめられないのかッ!」 「愚かしいわ…そんな力では魔女は狩れないわッ」 受け止めた斧でそのまま力を込めて、 自分より確実に大きな体の相手を突き飛ばす。 吹き荒れる吹雪に魔女は全く応えていない。
再び二人の間に距離が開く。 槍に対して斧は有利な武器の一種。 大振りではあるが、近距離でも中距離でも扱え防御も出来る。 槍は中距離の闘いに重点を置くため、 近距離から攻められると弱い。 剣ならば近づけなければ問題ないが、 斧では防がれて間合いをつめられる可能性が高いのだ。 よって男は迂闊に攻められない。
「氷刃-アイス・ニードルッ!」 巨大な氷柱を放つ。そして対峙するものへそれは迫る。 「銀壁-ドリーム・ウォール」 それは見えない壁により、難なく無力化される。 あれほどまでの魔力のこめられた氷柱を無効化!? 冗談じゃない… どちらも魔法に関してはまるで伝説の異形の生物だ。 俺の魔法とはもはや格が違うものだった。
母さんが斧に魔力を集中させる。 すると、その前に無数のナイフが創造されるッ! 「…行け!」 言い放つと同時に、銀のナイフは音を立て空気を裂き、向かっていく。 対して、魔力を込めた氷壁を一瞬にして創造する。 それに衝突しナイフは砕け散り、ようやくではあるが防ぐ。 そして、男はあきらかな疲労を顔に表す。 その表情を見下すは何よりも冷たき余裕の瞳。 凛として艶にして残酷なまでの力。 母さんはまさに魔女の名に相違ない力を持っていた。
息を整え、男は再び集中する。槍に魔力が宿っていく…。 触れただけでも凍てつきそうな、白銀の魔力を槍が帯びていく。 そして魔女を睨みつけ、一閃。 難なく受け止められてしまう。 しかし、それに続いて乱打を絶え間なく加える。 目にもとまらぬ白銀が華麗なる直線を無数に描く。 それを一体どうさばいているのだろう。 斧を手にし、瞬きする間もない打突をひたすら打ちのけている。 斧と槍が触れるたび両者の魔力はぶつかり合い、光が爆ぜた。 そして、再び母さんはいっそう魔力を込めて相手を弾き、間合いをとらせる。 どちらの込める魔力も力も強大であった。
「もう手は尽くしたわね、そろそろ終わりにしましょう…」 鎧と武器を解いて、再び銀水晶に魔力を込める。 「銀縛-タイト・バインドッ!」 銀の光が男を中心に収束し、束縛しようと尋常なスピードで迫る! 男は氷柱を急激につくり、その勢いでようやく上へと逃れる。 「…そこまでよ」 その刹那、二つの銀の矢が男の足を射抜く。 宙を舞っていた男はまるで無防備。 「ぐおおっッ!!」 鮮血がドク…ドクと父さんの地下室を汚していく…。 もはや男の足は使い物にならないであろう。 それぐらいに傷は深く無慈悲で… …そして、その流れる血を何の感慨もなく見つめる母さんは怖かった。
男に歩を寄せて、見下す… 「今命乞いをすれば、転移呪文であなたのイルン村に逃がしてやってもいいわ… 次に来たときには容赦しないけど… 降伏しないのならば… 分かっているでしょう?」 冷酷なる死の宣告。自分の母親のはずなのに、ただただ怖かった… 次に目が合ったらこちらも殺されるようなプレッシャー。
「失うものなんて何もないはずだった。 失うものなんてそれはまさに命だけのはずだった。 ただただあんたを殺すために生きてきたから。 今まで、あんたに復讐するために俺の命はあった。 今、俺の命を失うことには何の躊躇いもない。 俺の命の価値はたった今、あんたを倒せないことで失われた。 だが、ひとつだけ答えてくれ。 あんたは自分の力で散っていった者達をどう思っている?」
その問いかけに母さんの瞳はようやく穏やかさを取り戻す。 「…ひとつひとつの散っていった命それぞれが 今の自分を形作るかけがえのないものだと思っているわ…」
「存外、同じなんだな…魔女も俺も… いや、もはやあんたは魔女ではないのかもな… けど、だからこそ俺の命が無価値だとしても、 散っていった彼らの日々は何よりも意味があった。 可能性と営みを散らせたあんたを、 彼らに誓って許しておくわけにはいかないッ!」
男はスッと懐から、呪布を取り出す。 それを自らの血で赤く染め上げて、呪文をくちずさむ。 「我れに流れるこの血に誓い、我れの命を捧げる。 願うは永遠の沈黙、それは永遠の解けぬ氷河。 解き放たれよ、すべてはわが生命の流れるがままにッ!」
母さんは初めて明らかな動揺を示す。 そして凄まじい冷気が辺りを包み込む。 その冷気は一点集中する。 …母さんのもとへ… 白銀の輝きが母さんの体を襲う。 その輝きはまさにアルシャルという男の命の輝きだった。 けどそれは復讐のために生きた男の輝きではなく、 きっと散っていった者達の大切さを訴える輝きだった。
母さんは氷付けになってしまう。 最後にこちらを向いて、何かを訴えようとしたまま…
その氷像は鮮やかで鮮やかで… 輝いて輝いて…、 本当にどうしようもなかった。
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