『ミノル、ミノル、あの花がほしいの』
『ちょと待ってて、今とってあげる』
『ミノル、ミノル、あのヌイグルミがほしいの』
『うん。買ってあげるよ』
『ミノル、ミノル、手をつないで』
『いいよ。おいで、ヒノエ』
『ミノル、ミノル―――』
「―――!」
首筋にじわりと汗が伝う。 心なしか唇は振るえ、青くなっていた。
ミノル―――
それは青年が最も嫌悪する名だ。 夢の中で、自分の愛した少女は ずっと自分ではなく、そいつの名を呼んだ。
「・・・くそっ・・・」
青年の名はユタカ。 先月、恋人であるヒノエを事故でなくしてしまった そのこと以外は何処にでも居る平凡な日本男児だった。
ベット近くにある携帯に手を伸ばし着信がないか確認する。 時間を見ればちょうど午後十二時 ―――ああ、腹がへった と乱暴にも布団を退けて、リビングへ向かう。
頭が痛い―――
嫌な夢だ。ヒノエが死んでからずっと見る夢だ。
ユタカが米神を押さえていると着信音が響く。 無造作に携帯をとり、通話ボタンを押す。
「マキヤ、か?」
『あのなぁ・・・画面みろそれから出ろよ おれじゃなかったらどうしてんだよお前・・・』
「べつに、俺にかけてくるのは巻マキヤくらいだし。 俺、友達少ないし。むしろいらない。居ない方がまし?」
『うわっ、毒舌閣下は相変わらずかよ。』
「で、何?」
『ああ・・・あー・・・』
「はっきりしない男って、愚図だよな」
『お前ね、いい加減に・・・』
「じゃぁ、何?」
『なぁ、病院いったほうが良いんじゃないか? ずっと塞ぎこんでるし、ちょっと人相も変わってきたし ろくに飯とかも食ってないんじゃないか?お前そのうち腐るぞ。』
その言葉でユタカの顔に自嘲が浮かぶ。 電話越しのマキヤにはユタカが黙った理由が判らなかっただろう。
『おい・・?』
「行ったさ。」
更にユタカの声が沈む。
「ストレスから来る精神病だとか何とか。 精神科に連れてかれそうになった、失礼だよな。」
『・・・・なぁ』
「おかしいって言われた。 女なら他にいくらでもいるだろって、ヒノエのこと軽く見られた。 死んだ人間にいつまでも縋り付くなって、いい加減眠らせてやれって・・・」
頭を抱えるように、ユタカはソファの上で蹲る。 それは何処か独白じみていて、マキヤは言葉を捜しあぐねた。
『なぁ、ミノル―――』
「違う!」
『お、おい・・・』
「俺はミノルじゃない!俺はユタカだ!! ミノルじゃないんだ、ミノルなんていない、いないんだ!!」
ミシミシと携帯が悲鳴を上げる。 怒鳴ったせいか、ユタカは大きく肩を揺らしていた。 携帯越しのマキヤは何も言わない、言えない。
「どうして、ヒノエも俺とヤツを間違えた? 俺はずっと、ずっと傍にいたのに、愛してるって言ったのに・・・」
『ミ・・・』
「俺は、ヤツじゃない。どうして・・・」
子供が我がままを言うように、ひたすらその言葉を繰り返した。
『ミノル、ミノル、だいすき。』
『だいすき、だいすきだよ、ミノル。』
それは、俺に向かって言われていた。 確かに俺はヒノエの手を握っていたんだ。 真っ赤に染まったヒノエの傍に けれどヒノエは俺を見てくれなかった・・・
浅く息を吐きながらボロボロになった手を伸ばし 血溜まりの中、彼女が微笑みかけたのは
もういないアイツ
ヒノエが死んだと同時にミノルも死んだ。
ミノルが死んだことで俺が生まれた・・・
狂う程愛した少女を失って
これ以上なく絶望して、死ぬ勇気も持てないまま
ヤツはヒノエを追いかけた、だから
だから俺が・・・代わりに生きなくちゃいけないんだ
マキヤの声が遠くに聞こえた。 そして、いつの間にかユタカは電源を切っていた。
携帯を放り投げ、ベランダに出る。 どんよりとした空はこの都会に似合う。
『だいすきだよ、だから、あなたが生きて・・・お願い』
彼女のいなくなったこの都会に―――
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