膨れ上がる不快感を押しのけ人間の血と機械化歩兵の循環剤オイルとが抉られた大地を染める。 人間が腐ったような匂い、腐りかけの匂い、嗚咽を誘う酷く焦げた鉄の匂い。 這い回る嫌悪感を吐き出すこともできず ただ、その場に仰向けになる事しかできなかった。
空は何処までも赤かった。
男の体はボロボロだ。 顔半分の皮はドロドロに溶け、唯一まともに残った赤銅色の片目は焦点が合っていない。 左腕は原形を留めていなく、右腕は肘より先がなくなっていて 結合部の肩も高熱で熔かされたようにドロドロとしていた。 腹からは内臓がグチャグチャになりながら零れ出しかろうじて心臓は上下している。 両足も在り得ない方向にひん曲がり 赤紫を通り越してどす黒く汚れ見るものの嫌悪感を誘う。 痛覚も無い、視角もぼやけたままだ。
なんだ、やけに穏やかな気分だ
薄れる思考の中、確実に、でも無意識に 自分の事を把握できてしまう。
おれ、死ぬのかな…
縛りつける絶望はない。 あるのはただ『浮遊感に身を任せている自分』を傍観している自分だけだ。 慄くほどの恐怖もない。 とうの昔に捨ててきた、否、初めからそんなモノは知らなかった。
なんか、おかしい…なんでお前のこと、想うんだ?
心の大半を占めるのはたった一人の少女
最後に会ったのっていつだっけ?
ガリガリで発育不良と言っても過言ではない少女。 戦時中は当り前のようにそんな子供がごろごろしている。 けれどその少女は目を引いた。
なぁ、お前は今、生きてるのか?
男の思考はそこで止まった。 赤い、紅い、灼い、空を見つめたまま 男の時は停まった。
「ろーず!」
赤い髪を風になびかせながら少女は男の名を呼ぶ。 嬉しそうに、少し照れくさそうに『ろーず』と呼ばれた男は笑って応える。
「よう。随分とご機嫌だな、なんかいいことあったか?」
『ろーず』は屈み少女に視線を合わせた。 顔を真っ赤にしながら、少女は花を一輪、『ろーず』に渡す。
「ろーず、見つけた!きれい!これ、きれい!いいにおい!」
きゃらきゃらと笑い、無邪気にはしゃぐ少女。 彼も微笑んでいた。その花を見るまでは。
「へぇ…なんでバラがこんなとこに…貴族の屋敷に入っのか?」
「きぞく?」といって少女は首を傾げ、逆に問い返してくる 男は眉間に皺を寄せ、バラをまじまじと見た。
美しい大輪をつけ茎の部分に刺は無い。 野に咲くバラならば無数の刺がついているはず しかし今の御時世、そんなバラが戦場にあるとは思えない。否。 ゴミ溜め同然の町に咲いている訳が無い。 男は深刻な表情を作ったまま、バラを凝視し続けた。
少女はそんな男を不思議そうに見ていたが、やがて飽きたのか 「ろーず、ほしい?あげる?」と言ってきた。 外見上少女は7・8才である。しかし、語彙能力が著しく低い。 本当ならませていてもいいくらい喋るものだが、何せ今は戦時中 子供の教育をする暇も無い、寧ろ自分を生かすために他人を蹴落としていく時代だ。 ソレが例え、我が子であろうと見捨てていく。 捨てられた子供は、自分が捨てられた事にも気付かずに親を探し彷徨ったり 自棄になり犯罪に手をだすことも、また大人の色んな意味での玩具とされた。 そんな子供が、この町には多くいるのだ。
「…貰っていいのか?」
「うん!あげる!!ろーず、これすき?すき!」
この少女はいったいどれに当てはまるのか。 屈託無く笑い、けれどガリガリにやせていて到底この時代に生きていけるとは思えなかった。 しかし男が所属する軍隊がこの町を拠点とした時から 少女はフラフラと町を歩いていたのだ。 疑問が口を吐く事は無い。言ってしまえばもう、少女と合えない気がしたからだ。 どす黒く湿ったゴミ溜め同然の町に 唯一綺麗だと、彩りをもつ少女を男は好ましく思っていた。
「なぁ、あんまりこうゆう花がある場所には行くなよ」
「どうして?」
「無駄にデカイ建物があっただろ? こんなボロ板繋いだような建物じゃなくて、もっとキレ…まともな建物がさ」
キレイとは言えなかった。キレイというよりも とても無機質で美しくも無い建物だから。
「そこはいけ好かねー奴等の溜まり場で、俺やお前が入ったら ぶん殴られるだけじゃ済まされないところだかんなぁ。キレイな花があっても 無闇にとったり、近付いたり、ましてやその建物の中にはいったら危ないんだ。」
男は軍人だ。それなりの地位も持っている。 しかし、それは軍の中だけの話で、貴族への発言権は皆無。 軍のトップクラス、それこそ中将以上の地位を持つものでなければ その屋敷に近付く事さえできない場所なのだ。 もし万が一何の権限も許可も無いまま入ったら、間違いなく殺されるのだ。 だから、忠告をした『危険だから』と。『危ない目にあわせたくない』と。
「ろーず、きぞく、きらい?これ、きらい?」
今し方少女が渡したバラを指し、不安そうに男に問う 男は慌てて首を振り、「この花は好きだぜ」と笑った。 それを見た少女も、無邪気に笑う。 男は思う。
権力者のくだらないいがみ合いから始まった こんなくだらない戦争なんてさっさと終わればいい 戦争がしたけりゃ、自分が乗り出して戦えばいい こんな制約ばかりの世界しか成り立たないのなら いっそ壊れてしまえばいい 何もかも消滅してしまえばいい でももし この少女のようにまだ無邪気に笑っていられる人間がいるのなら もう少し、この束の間の穏やかな世界が続いたらいいな
穏やかな日々が、男がこの町を離れるまで続いた。
暫くして、最前線へ出兵しろと言う命令が下された。 国境付近は特に激戦区であり 最新型の機械化歩兵や強化人間が大半を占め放たれた。 その中に男も含まれていた、一般兵よりも優れていたからだ。 上層部の命令に逆らう事はできない。反逆罪はその場で処刑だ。 男は無表情のまま戦地へと赴く。
終焉の宴はまだ続く 狂喜を孕む鉛弾は舞台を盛り上げる一つの楽器に過ぎない 止まらない、止まる事を知らない人形の兵隊達 爆撃の音が続く、重なっては消える悲鳴 全てが 全てが 壊れてしまう程の ひときは大きな音が、すべてを呑み込んだ
ぼんやりと、灯りを認識した。 夢でも見ていたのか、男は体をよじる。
ああ、懐かしい。どれ位前の事だ?
思考とは裏腹に、自分が置かれている状況を確認しようと 機能している片目を使える範囲で見た。
おれが、まだこんな体じゃなかった時の事だよな?
白い天井には小さな窓がついていた。 男は大きく息を吐いた。 諦めからでた溜め息か、人間である時 当り前に行なっていた呼吸なのか、判断しづらい。
「あら、おはようローヅァ」
女の声がローヅァと呼ばれた男の頭上から降ってきた。
「レード…おれ…」
「随分と深い眠りだったわよ。この間の戦争で結構消費していたのね」
淡々とレードは言葉を紡ぐ。 手の方は書類の上を忙しく動いている
「おれ、夢みた」
「あら、珍しい。」
「こんな体になる前…女の子が、バラをくれたんだ」
レードは黙って作業を続けたが ローヅァの言葉にもちゃんと耳を傾けていた。
「おれの事、ろーずって呼んでた。おれの後ろくっ付いてきてた あんなにガリガリで、いつ死んでも可笑しくない状況だったのに ずっと、おれにくっ付いてきて笑って…笑ってバラをくれたんだ。」
動くようになた左腕で顔を覆い 搾り出すように声を紡ぐ。
「その女の子は普通の子供なのよね」
「ああ。多分死んだ。おれらが拠点離れた後に空爆されたはずだ。」
「よく覚えてるのね。すぐ物事を忘れるくせに」
「守りたかったんだ…」
最後に小さく、掠れた声でローヅァは呟いた。
「メンテナンスは終わったわ。いつまで寝転がって惰眠をむさぼるつもり?」
レードは書類から目を離す事無く言った。 声は淡々としたまま、それは無情ともとれる声で。
「昔の事に縋っても今の状況を改善できないなら時間の無駄よ。 守れなかったから悔やむんじゃなくて、守れるだけの力でもつけなさい」
けれど、ローヅァを諭すような声で言ってきた。
「ああ。そう…そうだな。 もし生き残ってたとしても、もう会えないしな。」
顔を覆っていた左腕をどけ、寝台から体を起こす。 幾つも体に繋がっているコードを丁寧に抜いていき 異常が無いかチェックをする。結果はオールグリーン。
「二百年も前かぁ…機械化されると、マジで半永久的に生きられるんだな。」
ふと、思い出したことを呟きながら 身だしなみを整え、ローヅァはレードの隣へ並ぶ。
「二百年なんて短いらしいわよ。軍医さんは軽くその倍生きてるらしいし。」
書類を小脇に抱え、二人して自動ドアをくぐった
男は男の時を停めたまま、戦いを続ける。 くだらないと言っていた戦争。 世界なんて滅んでしまえばいいと思っていたのに それでも、守りたいと想う人がいるから 守りたいと気付かせてくれた少女がいたから 男が男のままでいる限り、戦いを続ける。
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