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堕天使の街 作者:yasu

第21回   21
 篠崎温子が入院している「清仁会病院」は、港区、赤坂にその建物がある。白い外壁に丸みを帯びたフォルムが特徴的である。全体は、七階建てとなっており、一階から二階までのその道路に面した西側が前面ガラス張りとなっており、更に中に入るとそこは、吹き抜けの大ホールのようになっているため、病院の待合室のような印象は受けない。この近辺では、最大の病院であり、かつ最高の医療技術を持ったスタッフがそろっているという。外科、内科はもちろんのこと眼科、産婦人科、精神科、そして緊急病棟とあらゆる状況に対応が出来る施設となっている。
 2年前、車によるひき逃げ事故に遭遇した篠崎温子は、この清仁会病院の緊急病棟へと運ばれてきた。目撃者もいなく、未だに犯人は逮捕されていないという。警察は、犯人が単にスピード等を出し過ぎたことが原因と見て捜査していたが、俺は篠崎が強盗事件の一味という前提で考えると、海崎によって口封じのために殺されそうになったという考えが浮かんできた。
 俺と梓は並んで歩き、院内の掲示板で、篠崎が入院している外科が五階にあることを確認し、エレベーターまで歩いた。
外科のある五階のフロアーはさすがと言うべきか、白一色に統一されており、清潔感が漂っている。廊下もたっぷりと広くなっているため、病院独特の俺の苦手な雰囲気が感じられない。梓が既にナースステーションまで歩み寄り、篠崎の病室を訊こうとしていたが、恐らく身内以外には教えられないと断られたのだろう。浮かない表情をしていた。丁度、後ろの方でエレベーターが到着する音がした。振り返ると、其処から出てきた二人の男に俺は、確実に見覚えがあった。新宿中央署の夏目警部と黒澤刑事だ。
「どうしたのですか。こんな所で」
 俺に気付いた黒澤が訊いた。夏目も同じことを訊きたいという表情だ。不思議そうに俺を見た。
「ある人物が此処に入院していまして。どうしても、話が訊きたかったのです」
 俺が答えると、夏目が
「その人物とは、篠崎温子ですね。」
 と言った。
「何故それを」
 俺は、夏目に訊いた。
「貴方が言ったようにお父さんが横浜の銀行強盗事件に関係しているとしたら、直接の関係はなくともその当時に恋人関係にあった篠崎温子に話を訊く必要がありますからね。そうしたらこの病院に入院中だという情報がありましたから」
 夏目は、この病院に来た経緯を説明した。横浜署から、事件の資料を取り寄せ、五人組の一人が女であり、それが篠崎の可能性もある、と睨んだのだろう。
 黒澤が、ナースステーションで交渉中の梓の隣へ行き、警察手帳を看護師に見せた。程なくして黒澤と梓が戻ってきた
「511号室です」
 篠崎が入院する部屋番号を黒澤が訊き出したようだ。
 俺は、夏目に一緒に話を訊くことを頼み、夏目もそれを了承した。
 一人の看護師が、先頭に立ち俺たちを部屋まで案内してくれた。
「篠崎さん。入りますよ」
 看護師が声を掛けたが、返事は帰ってこなかった。ドアを開けると、車椅子に座り、外の景色を眺める女が振り向いた。少し老けてはいたが、其処に居たのは間違いなく篠崎温子だ。
俺が会ったのは、15年前だ。母の死後、酒に溺れ荒れていた親父がよく飲みに行ったバーのホステスをしていた女だ。当時は、親父より15歳程若かった。今では、40歳になる。
篠崎は、直ぐに俺が誰であるか気付いたようだ。驚いたその顔がそれを物語っている。
「訊きたいことがある」
 俺は、余計なことは一切省き、直ぐに本題に移ろうとした。が、夏目がその前に何かを訊こうとしていることを知った俺は、それを先に済ませてもらうことにした。
「篠崎さん。2年前の交通事故の件ですが」
 黒澤が訊いた。
「この通りですよ。あの事故で下半身が全く動かなくなりました。あの日以来車椅子生活を余儀なくされました」
 それまで、口を閉ざしていた篠崎が質問に答えていた。
「変なことをお聞きしますが、あの事故は本当に事故だとお思いですか。それとも誰かに殺されかけたと思われますか」
 今度は夏目が訊いた。
「本当に変なことをお聞きになるのですね」
 篠崎は、呆れたというような顔をして続けた。
「それは、警察が調べることでしょう。それに、ひき逃げだと聞きましたけど。スピードを出し過ぎた馬鹿な運転手の」
 俺は、出来るだけ篠崎の顔を見ないように心がけていた。
「最後にもう一つ、よろしいでしょうか」
 夏目が訊いた。
「断ることもできないのでしょう。どうぞ」
 明らかにその言葉には、皮肉も込められている。
「戸升宗一さんをご存知ですよね。彼が、殺されたことも」
 夏目は、確かめるように言った。
「ええ、知っています」
「そのことですが、何か殺されなければならない理由など心当たりはありませんかね」
 篠崎は、暫く口を開こうとしなかったが、
「さあ、もう5年もあの人とは会っていないのですよ。ここに入院した時も来た事はないので。殺される理由も見当が付きません」
 と言った。だが、顔は下を向け夏目たちの方を決して見ようとはしなかった。
「そうですか」
 夏目が言った。
「8年前、横浜で銀行強盗事件が起きた。あんた、何か知っていることはないか。俺の親父もメンバーの一人だった可能性がある。あんたも関係していたのではないか」
 俺は、わざと篠崎を怒らせるような言い方をした。
「そんな事件のことなど知らないわ。私やあの人が関係していたという何か証拠があるの」
 案の定、篠崎の怒り方は凄まじかった。だが、俺は逆にそのことが引っかかってしまった。
「もういいでしょう。行きましょうか」
 夏目も俺の考えが読めたようだ。タイミング良く俺を帰らせるように仕向けた。俺は、何も言わずに病室を出た。
 帰り際、夏目が言った。
「篠崎さん、最後に一つだけ。『海崎要一』という名前の男に心当たりはありませんか」
「いいえ、聞いたことのない名前です」
 篠崎は、明らかに嘘を吐いている。
「そうですか。では、『宇佐美享一』の方はどうですか」
「いいえ、どちらも聞いたことの無い名前ですね。一体誰ですか」
 俺は、部屋の外から二人の話を聞いた。
「そうですか。知らなければ結構です。どうも有難うございました」
 夏目は、わざと事件関係者であることを塞ぎ、それ以上何も言わずに、篠崎に軽く会釈すると、部屋を出てきた。
 梓は、それまでの俺たちの会話を何も言わず聞いていた。
「見せたいものがあります」
 エレベーターに乗り込んだところで、夏目が言った。
 外に出ると、俺と梓は二人が乗ってきた、警察の車両である白いセダンまで案内された。
「これは赤坂署から借りてきた2年前のひき逃げ事故の報告書です。現場写真には、ブレーキが掛けられた跡が一切ありません。いくらスピードの出し過ぎによる事故だとしても轢いた直後には、一度はブレーキを掛けることが多いのですよ」
 夏目が、事故現場の写真を4,5枚捲りながら説明した。
「それは、犯人が初めから篠崎を殺すつもりでいたと考えられるのですか」
 俺がそう訊くと、
「それが一番考えられることですからね。海崎要一が口を塞ぐか、金の山分けでもめて殺そうとしたか、海崎に命令された残りの3人の犯行の可能性もあります」
 と、黒澤が答えた。
 残りの三人。戸升宗一、柴田朋宏、川上篤志の三人の中の誰かの可能性もあるのか。

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Novel Editor