道の両端に立ち並んだ銀杏の木々からは、先ほどまで降っていた、雨の滴が一粒、また一粒と滴り落ちるのがはっきりと俺の目に見える。自然と俺の足が向いたのは、歌舞伎町にある、喫茶店「エルム」の方向だった。多くの雑居ビルが立ち並ぶ新宿歌舞伎町にあり、「エルム」は、一際目立つ、レンガ調の外壁の建物の地下部分にある。「新宿大宝ビルディング」の錆付いた非常階段はその老朽化が一際激しい。このビルの建つ角を曲がり直ぐ見えてくる。 今日は木曜日。平日だろうと関係なくこの街は昼から、物凄い数の人でごった返している。それでも、俺には、はっきりと尾行されていることに気付くまで然程時間が掛かることはなかった。黒いサングラスに革のジャンパー、それにジーンズ。異様な程茶色くした逆立てた髪が目立つが、尾行向きとはとても思えない。 歩くスピードを上げ、上手く人ごみに紛れることなどこの場所では、簡単な事である。案の定、俺もそれには成功した。考えればあの男は、警察署を出て直ぐに尾行していたのだ。「エルム」のある、「第二風見ビル」は、もう目の前にあった。尾行を撒いたことをはっきりと核心したが、それでも俺は無意識なのか、後ろに目配せし、地下へ続く階段をいつもより、速く駆け下りた。 「エルム」は、カウンターに十席、テーブルが八席というそれ程広いと言えない店だ。店内は薄暗いが、それだけ雰囲気のある店、と言えるだろう。いつもの事ながら、お世辞にも繁盛しているとは言い難い。入り口から、一番遠いカウンターの端の席で、男が一人座っているのが確認される。後姿だけで、それが、誰であるか直ぐ分かった。 「親父さんとの15年ぶりの再会はどうだった」 俺が声を掛けるより、一瞬早く、男が訊いた。 「来ていたのか、弦太。感動の再会だったさ」 皮肉交じりでそう言いながら、俺は弦太の隣の椅子に座った。 桂木弦太。俺が、この男に会ったのは、15年前だった。場所は、孤児院「太陽学園」。それこそ、初めの頃は顔を合わせる度に喧嘩になってしまう、俗に言う犬猿の中だった。あの頃弦太は、「太陽学園」で、ボス的な存在だったことを憶えている。新入りとして「太陽学園」へ入った俺がきっと気に入らなかったのかもしれない。何度か喧嘩を繰り返す中に心から打ち解ける親友となった。 「それにしてもとんだ親子再会だったな」 煙草に火を付け、ふっと息を噴出すと、マスターの市井が言った。 「正直、悲しいという感情は殆どと言って良いほどなかった。ただ、俺がガキの頃の写真を持っていたことが何となく心を動かされ、許せるような気持ちになったよ」 そう言いながら、俺は、煙草を取り出した。今の言葉に嘘、偽りが全く無いといえば、それこそ嘘となるかもしれない。そんなことを考えながら、煙草を銜え、ライターに手を伸ばした。 マスターがカップを用意しながら、訊いた。 「飲むだろ。コーヒー」 「ああ、ブラックで」 いつ見ても、この市井という男の髭は立派だ。そんなことをつい考えた。髪の毛は薄く、どこまでが、額なのか確認できない。太い眉がよく目立つ。背は、然程高くはない。160cm前後だろう。考えてみれば、いつの間にかこの店は俺たちの行きつけの店になっていた。もう、初めてこの店に来た頃など遠い昔のような気がする。 コーヒーを啜りながら、例の手帳のメモを眺めて見た。 「何だ、そいつは」 コーヒーカップを持った弦太が、覗き込みながら訊いた。 「親父の遺品の中にあった手帳に書いてあった。親父が、殺されたことと関係しているのかもしれない」 コーヒーを口に運び、一息付いて答えた。 「裕、お前調べるつもりか。警察に任せておいたほうが懸命だと思うが」 市井が、弦太のカップにコーヒーを注ぎながら、言った。 俺は、何も言わずに、頷くだけだった。 15年ぶりに再会した、親父は何故殺されなければならなくなったのか、俺は、今自分の手で、犯人探しをしようと決意している。そんな感情が、自分の奥底から、湧き上がってくるのは、正直自分自身、理解不能だ。 弦太は、自分の座っている席の対角線上にある、時計で時間を確認した。俺も、つられて時計の方に振り返った。既に、午後1時を15分程過ぎていた。 「昼休みは終わりか。そろそろ行くよ。じゃあ、裕、何かあれば俺に連絡しろ」 弦太は、俺の肩を叩き、じゃあしっかり、といった具合で店を後にした。
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