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堕天使の街 作者:yasu

第1回   プロローグ
 不思議と親父の遺体を目の前にしても、俺は涙を流さなかった。15年ぶりに再会した親父の身体は、異常なほどに冷たかった。親父が遺体で発見されたと警察から連絡を受けたのは今日の午前10時を少し回った頃だった。何故、警察は俺の所へ連絡出来たのだろう。どうもその辺が理解できない。今でもそれだけが分からない。連絡をして来た刑事の夏目によると親父の着ていた背広の内ポケットに入れてあった手帳にメモされていたという。どうして親父は俺の連絡先を知り得たのだろう。
 霊安室の扉が静かに開いた。体つきのがっちりとした男とその男より背が高く細身の若い男が入って来た。大柄の男の方は、恐らく年齢は50前後といったところだろうか。その身体に釣り合っている太い首とがっちりとした顎がよく目立つ。鋭く意思のしっかりした目を持っている。その目の奥には、優しさもうかがえる。もう一人の男は、切れ長の細い目と大きな耳がよく目立っている。まだ若い。恐らく俺と同じかもう少し上といった位の年齢、30前といった所だろう。身長も俺より少し高い位か。だとすれば、177cmか。
年上の男の方が先に口を開いた。
「どうも。この度は」
形式的な言葉だ。お気の毒にといった感じの口調だ。
「今回、お父さんの事件を担当する事になりました。夏目といいます。彼は部下の黒澤です」
手帳を差し出しながら、恐らくこれも形式的な挨拶だろう。黒澤と紹介された男も軽く会釈した。
「お父さんのことですが、実は我々の調べでは、今のところ他殺と断定して捜査を行っていく方針です。何かお心あたりは」
夏目が訊いた。
 どう答えるべきか、一瞬まよったが一息吐くと言葉を出した。
「俺は、この男を親父と思うことをあの日からやめたのです。この男が俺を捨てた15年前のあの日から」
15年前俺は、親父と呼ぶべきこの男に捨てられる同然で孤児院の「太陽学園」へ預けられた。それまで俺は、母と親父と三人で平凡でも幸せな生活を送っていた。だが、俺が7歳の時、そんな生活は突然壊れた。それまでも身体が丈夫ではない方だった母の病状が悪化し、亡くなってしまった。その頃から親父は、人が変わったように仕事にも出かけず、朝から酒を浴びるような生活になった。
俺が10歳になった頃、親父に女ができた。親父は、その女を愛し、女も親父を愛していたが、俺は、女を新しい母として受け入れることも出来ず、女も俺を嫌った。秋も終わりになった頃、肌寒い風が吹いていた。俺は、親父に連れられるまま、「太陽学園」を訪れた。「すぐ迎えに来る」そういい残し、親父は去って行った。一週間たっても、二週間たっても親父は戻らず、その時、初めて親父に捨てられた事を確信した。
「では何故此処に来たのですか」
 黒澤が一歩前へ踏み出し訊いた。
 返す言葉が見つからなかった。自分でも不思議だ。やはり、心のどこかでこの男を親父として慕っているのかもしれない。
「15年間あなたは、一度もお父さんとお会いしていない、ということですか」
「その通りです。いえ、たとえ会いたいと思っても居場所が分からなかったのですから会えませんでした」
「そうですか、わかりました。ところで、これがお父さんの遺体が発見された際に所持していた物です。どうぞ見て下さい」
 夏目が幾つかの品を差し出した。財布、煙草、ライター。財布の中には、少年と女性の写った写真が一枚入っていた。その写真を見た時、俺は涙を流した。それは、親父の死に対するものとは別だったが、気のせいではなく心が痛む思いをした。親父はずっとこの写真を肌身離さず持っていた。紺色のかなり使い込んでいるのが一目で確認出来る手帳がある。これに俺の住所がメモされていた。夏目の許しを得て、手帳を手に取り捲ってみた。それには、たしかに俺の住所が書かれていた。他にも何やら数字が並んでいた。
「この数字、どんな意味があるのでしょうか」
「さあ、それは此れからの捜査によって判明していくと思いますが」
「親父は殺されたのですね。発見された時の状況を教えてくれませんか」
 自分でも不思議だった。何故、そんなことを訊いたのだろう。写真のせいか。それとも考えようとしても上手く頭が回らない。
「お父さんの遺体が発見されたのは、新宿にあるビジネスホテルです。前日の、つまり27日の午後10時にチェックインしました。チェックアウトは、今日の午前7時の予定だったのですが、時間になってもチェックアウトの手続きに来ないので従業員が不審に思って部屋へ行きました。何度ノックしても返事がない、そこでスペアキーで中へ入るとベッドの上で血まみれで倒れているお父さんを発見した、ということです。凶器は、遺体の傍らにあったナイフですが、指紋は検出されませんでした。ドアノブ等、部屋の中の物には、お父さんと部屋へ入った従業員の指紋のみ検出されました」
 黒澤が自分の手帳にメモされた情報を、淡々と話した。
「一人でホテルに宿泊していたということですか。連れは誰も居なかった。そうですね」
「ええ、そのため手掛かりが、全く掴めていません。何か進展があれば、ご連絡いたします。今日はこれでお引取りいただいて結構です」
 夏目に促されるまま霊安室を出た。帰り際、俺は、夏目の許しを得て、手帳に並べられた、数字やアルファベットの羅列を自分の手帳に書き込んだ。遺品として写真を受け取ると、警察署を後にした。外は朝方の雨が嘘のように晴れ渡った青い空が広がっていた。俺は、取り出した手帳の数字とアルファベットと暫くの間、睨み合った。わからない、親父が殺される羽目になった事、手帳の暗号のような数字とアルファベットの意味、手帳をしまい、歩き出した。

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