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笑顔の訳 作者:たかとよし

最終回   最終章
別れは突然くるものだ。今まではいつもそうだった。
でも期限が決まっている別れは今までの人生で始めてだった。
あと1週間。会い続けるほうがいいのか、会わないほうがいいのか、
それさえも分からなかった。しかし、やはり二人ともお互いの存在が大きく、
会えるのに会わないなんて出来なかった。結局俺たちは毎日会った。
少しずつだがお互いその別れを受け入れる準備が出来た。まあそれは表面的な事だけど。
到底感情レベルでは受け入れられなかった。別れたあとの話しをするときは、
まるでぜんぜん知らない人の話しをするみたいな話し方になった。

やがて別れの当日の朝、俺はゆきの家の玄関先にいた。
「ごめん、空港までなんか見送りに行けない・・・俺、突然の事でやっぱりまだしっかり理解も出来ていないし、
納得も出来ていないんだ。・・・これ、前にゆきが言ってた写真、あげるね。」と写真を渡した。
「いつもみたいに笑おうよ、どうしたの、たか。しっかりしてよ」
そういってゆきは力いっぱい笑った。目に涙を浮かべながら。
「俺はゆきを信じてる。絶対に元気になって戻ってくるってこと。信じてる。」
「私も約束する。絶対に戻ってくる」
抱き合ってから、ゆきが家を出る前に俺が玄関を出た。この日は本当にもう夏で、
太陽が輪郭すら分からないくらいに燃え、玄関の暗さから抜けたせいもあり、
目も眩むような明るい日だった。ゆきのこれからの未来がこうであるようにと思いながら、
「じゃね、また、笑顔で再会しようね」と言って、俺は自分からゆきに背を向け去った。
ほんとは空港まで見送ったほうが良かったのだろうけれど、ゆきがほんとうにどこかへ行ってしまう姿を見る事が出来なかった。


こうしてゆきのいない生活が始まった。
あいかわらず友達は家に泊まり、学校はだらだらと続いていた。
得るものの大きさは解っても、失うものの大きさは失ってからでないと解らない。
ゆきの抜けた穴は大きかった。しかし神様のいたずらか、
その穴を埋めるようにいろいろな人からいろいろな相談事を持って来られた。
毎日少し鼓動が早く、どんどん活動過多になっていった。今までの人生の中で一番人の出入りが激しく、
俺は忙殺されていった。
日々がどんどん過ぎて行き、秋になり、誕生日が訪れ、俺は17になった。
その間もゆきの事を忘れたわけでなく、何度かゆきの家に行ってみたが、
誰も居なかった。そのうちゆきの家に行く回数が減り、ついには冬になり年が変わった。
友人からは恋人の紹介を受けたりもするが、どうしてもゆきの事が忘れられず、
断ってばかりいた。やがて高校の修学旅行がやってきた。高校生活の最後の思い出として残そうと参加した。
楽しかったのだが、その楽しさを伝える人も居ず、やはりどこかむなしい日々を過ごしていた。

親の知り合いの進めで就職先を決め、面接を受けてこの春から就職する事になった。
ところが、相談に乗っていた一人の友達が「長い人生の中のたった一年がなによ、
せっかく高校入れたのに、ここで辞めるのはもったいないよ」
その一言がきっかけで、ゆきの言葉を思い出した。

「たかはちゃんと最後まで学校行ってね」

さらにそれと同時に同じ高校に通っていた友達が、
おまえが高校にいてなかったらつまんないよと言ってくれ、
少し考えた結果、留年しても一からがんばってみようと決め、再び高校へ行く事を決心した。

春、まだ寒さの残る日差しの中、俺はもう二度と来る事はないと思っていた校舎の中へ入って行った。
戸惑いながら一つ下の子達の中へ入って行き、第二の学生生活が始まった。
やはり始めは馴染めずにいたが、2、3週間過ごすうちに溶け込んでいった。
こんなふうに生活が変わっていく中で俺の心の中も次第に変わって行った。
今まで誰にもあまり話した事はなかったゆきの事を、新しく出来た友達に話すようになった。
話しをしてると不思議とあの時の気持ちが蘇ってきて、
ほのぼのとした春の空気に合わさるように心がおだやかになる。
そしてある日、久しぶりに夕方、ゆきの家に行ってみた。
ゆきの家に向かうときいつもそうなるのだが、ゆきをうしろに乗せて帰った時の面影がずっと俺の中でつきまとった。
春といってももう少しで梅雨を思わせるような少し湿った空気で、
ああ、もうすぐゆきと出会ってから一年になるのか、そんなことを思いながら自転車を走らせていた。
ゆきの家に着き、チャイムを鳴らすとなんと家の中にゆきの母親がいたのだ。


「いつ、帰ってきたのですか?」と少し驚きながら聞いた。
すると、もう1ヶ月くらい前から日本に戻ってきたのだという。
軽く世間話をして、いざ、ゆきの事を聞こうとすると、なぜか母親は話しをそらせ、俺の身辺の事ばかりを聞いてくる。
俺は心の中で妙な感じを覚え、話しのすきまをついて「ゆきになにかあったの?」と聞いた。
自分でもこんな言い方をするつもりはなかったのだが、無意識に悪い何かを感じていたのだろう。
どこかでその答えは解っていたのだと思う。
いやひょっとしたらあの別れた時からどこかでその覚悟があったと言ったほうが正確かも知れない。
無言のままの母親に、だめだったんですね、と言った。一言も声を出さないうちから、
その答えが頭の中で響いた。実際は結局その質問に母親は答えなかったのだが。
傷の癒えない苦い思い出を話すとき特有のあの心に訴えかけるような独特の空気で母親が話しはじめた。
「ゆきのかかっていた病気は普通、手足から発症するのが普通で、
少しゆきの場合は違っていたのね。たかくんと別れてアメリカに行ってからしばらくは大丈夫だったんだけど、
やがて顔の筋肉が動かせなくなるくらいになってきて・・・
それからはもうどうしようもなかった。先生は病気が進行していって、
全身が動かなくなっても生き続けてる人もいるっていってくれたんだけど。
そのうちにあの娘、手足は動かせるんだけど、自分で息すら出来なくなったの。
機械で息をしてたの。最期は心臓が動かなくなったの。その時私がそばにいたんだけど、
たかくんの写真を強く握ったの。ゆきはなにもしゃべられなかったけど、わたしにはこう聞こえたの。」
「たかくん、私の分まで幸せになって、て。」

正直、この場面には涙がよく似合う、泣こうとまで思ったくらいだ。
でもなぜだか泣けなかった。一言も言わないまま家の中に入り、ゆきの位牌に手を合わした。
「ゆきはたかくんと出会えて幸せだったと思う。だからたかくんも落ち込まないでしっかり生きて。
そのほうがゆきも喜ぶから」

そのあとの記憶が少ない。家に帰らずそのまま1週間ほど外にいた。
一人であの海にも行った、何も考えられなかった。結局俺は本当にゆきを幸せに出来たのか、
そんなことを考えれるほど俺はえらいのか、いくら目の前から姿が見えなくなって時間が経ってるとはいえ、
俺の中のゆきの存在は大きく、二度と会えないようになってしまった今、俺はどうすればいいか、目標が見えなくなってしまった。
正直にいえば、「私の分まで」って言葉はその時の俺には少し重過ぎてどうすればいいか身動きがとれなかった。
この事は本当に色々考えさせた。悲しみよりももっと深い、扇情的なまでの痛みだった。
それは剥がすと痛くなるのが解っているのに気にせずにはいられない傷のように・・・。

やがて呆れるくらい単調な毎日が戻ってくる。
相変わらず人は悩み、相談事と言っては自己満足の為に同意を求めにやってくる。
ゆきとの想い出を胸にしまい、何事も無かったかのように振る舞う自分を自分で嫌い、失望していく。
毎日を消化していくうちに一つの疑問が沸いては、それを消化出来ずにただ、見過ごしていく。
時が傷は癒そうとしてくれたが、心の時計は止まったまま。
これじゃゆきの遺志も果たせないと自分を奮い立たせようとしても、どこかで壁に突き当たってしまう。

ある日そんな疑問だらけの心のなかを神様は見ていたのかいつのまにか外は雨が降っていた。
毎日をもがき進むうちにひとつだけ解った事がある。
それは、たとえどんなにつらい時がこの先来ても乗り越えられそうな気がした。
だって俺にいつもあの時、ゆきが真に強い笑顔をくれてたのだから。
ゆきがいつでもそばについていてくれるはずだから。
そう思い、かさもささずに今、未来へ一歩を踏み出した。

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Novel Editor