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笑顔の訳 作者:たかとよし

第5回   第四章
初夏、せみの鳴く声が聞こえてくる頃、もうあの教室にはいかなくなった。というのも、
もともと2ヶ月だけという約束だったのと、俺の家の事情でバイトを始めたからだ。
俺の家はゆきの家と違って、両親は再婚していない。が、両親と一緒に2Kの小さな文化住宅に暮らしていた。
高校の友達ではないのだが、気の知れた仲間がよく家に泊まりに来て、毎日ぎゅうぎゅうの生活をしていた。
というわけで、教室へはなかなか行けなくなってしまったのだ。それでもたまには行ったが。
しかしゆきとは定期的に会うようになっていった。バイトからの帰りや、学校が終わってからバイトにいくまでの時間、
少しでも時間があればゆきに会いにいった。
高校はひまになった時や気が向いた時にいったが、まったく授業内容についていけず、寝てばっかりだった。
これだけは言っておくが、ゆきとは最後までプラトニックな恋愛だった。別に初めての恋愛だったわけでもないが、
そんなことをしなくても精神的にものすごくつながっていた。いつも会うと必ずキスはしてたが、
それよりもお互いがその場に存在してる事で満足だった。

7月も中頃の日曜、朝早くから25度を超え、じりじりと太陽が容赦無くアスファルトを焦がしはじめた。
俺はいつものように自転車のうしろにゆきを乗せてぶらぶらと街の中を走っていた。
「ねえ、たかの学校を案内してよ。一度見てみたいんだ、お願い」

学校の前に着いて、休日にまさか門が開いてるとは思わなかったのだが、その日はなぜだか開いていて、中に入った。
その学校の造りは変わっていた。2棟の校舎が建っていて、共に4階建てだが、
異常なほど長く、1棟で全校生徒を収められるようになっている。1学年10クラス、
1クラス35人ほどの人数を収められるというとその長さがわかるだろうか。
もうひとつの校舎はすべて特別教室にあてられている。教職員の部屋は1階部分にあり、
そっと中を覗くと数人の先生がなにかの作業をしていた。
「結構私たち悪いことしてるのかな?なんかどきどきする!」と嬉しそうに言ってた。
「一応俺の学校なんだけど」と、にやっと笑った。
俺の教室は3階部分にあり、階段を登って教室の前までいくと、あの教室独特の土埃のような、
なつかしい匂いがした。中に入ろうとしたが鍵がかかっていた。
「残念だなあ、たかの座ってる席に座りたかったなあ」と少し上目遣いで言った。

突然ゆきが「もう何年も運動場で思いっきり走ったことないなあ」といった。
走ろう!どうせ誰も使っていないんだから10分くらい勝手に使っても怒られないよ、
と運動場へ出て、二人で3周ほど校庭をきゃあきゃあ笑いながら走った。
すると定年間近の数学の先生が出てきて「何してるんだ」と大きな声で怒鳴られた。
二人で謝りながら逃げるように高校を後にした。
帰り道、周りを気にせずに歌を二人で歌いながらゆきの家についた。
初めのうちは歓迎ムード一色だったけれどだんだん心地の良い馴れ合いに変わっていき、
この頃ではほんとの息子のように扱ってくれるゆきの母親と一緒に近くのスーパーに買い物へ行った。
買い物の手伝いをして、そろそろ帰る時間になり、自分の家に帰るといつものように友達が2人ほど家にいた。

竹中宏和、同じ年、家族とあまり相性が合わなく、頭の良い学校へ行っていたが、さぼりがちで
毎日といっていいほど俺の家に泊まり込んでいた。俺の母親にも気に入られるくらいおとなしい目の子。
戸田光大、同じ年、竹中と同じように家族と相性が合わず、学校にも馴染めず、中退。
やはり俺の家に毎日泊り込んでいた。竹中とは対照的で不良になろうという心がけで、
外観にこだわっていた。茶パツでいつもサングラスをかけていた。だが憎めない性格で、根はやさしい心の持ち主だった。
他にも俺の家に泊まる奴等がいたが、主にこの二人は毎日と言っていいほど家に来ていた。

この日もいつものようにゲームをしたり、話ししながらやがて眠りについた。
毎日が単調な日々だったが、日に日に充実していく毎日で、
まさかゆきがあんなことを言い出すなんて思いもしなかった。
まったく予期していなかった。だがほんとは心のどこか奥深くでは気付いていたのかも知れない。
でもそれらすべては水面下で進んでいたのだ。
ある日こんなことがあった。

いつものようにゆきの家に行くとゆきが笑顔で迎えてくれたのだが、
どこかおかしい。目で見える不自然さではなく、肌に直接触るような不自然さ。
そのときはなにも分からずそのままいつものようにおしゃべりをしてたのだが、
家に入った瞬間、ゆきを見た瞬間の不自然さは鮮烈でどこか俺をよそよそしくさせ、
なぜだかわからないまま、その場をあとにした。あとになって気付いたのだが、
ゆきが一度も俺を見なかったのだ。いつもは声のする方向へ視線を送るのだが、
その日はいっさい俺に視線を移さなかったのだ。でもその時はそんなに大事な事だとは思ってもみなかったのだ。

その後1週間くらいゆきが寝込んで会ってくれなくなった。心配だったがまあ風邪を引いてるんだと思い、
俺の毎日の生活をこなしていった。
1週間後の夜、ゆきから電話がかかり
「どうしても今日会いたいの・・・でももう会えないかも知れない・・・」
と言ったきりなにも言わず切れてしまった。突然の電話でびっくりして、すぐに急いでゆきの家に向かった。
その夜は気味が悪いくらい蒸し暑く、体中を生暖かい空気が自転車で走っていてもまとわりつくようにじっとりとした夜だった。
ゆきの家に着くと玄関の外でうずくまっているゆきがいた。
「大丈夫か!」とかけよるとわからないくらい弱く首を振り
「ごめん・・・ごめん・・・」とずっと言い続けて顔を上げようとしない。
1時間は過ぎただろうか、もう12時を超えていたがゆきの横に座り込みずっと軽く肩を抱き
「どうしたの?どうしたの?」を繰り返していた時、玄関の電気がつき、
母親が出てきて、よく見るとどうやら母親も寝ていたのか腫れぼったい目をして「大丈夫?」と声をかけた。
その途端、ゆきが玄関へ駆け出し片手を壁に当て、あとの片手は顔を覆い自分の部屋に入っていった。おれはその
時は正直ゆきが親とけんかをしたのだと思っていたが、母親が
「たかくん、ちょっと入ってくれる?」といい、その言葉に従い家の中に入った瞬間、
これはただ事じゃないな、と改めて思わすような空気がそこにはあった。
台所のテーブルに座るように言われた時、音を立てずに静かにゆっくり椅子を引き座った。
その部屋の空気が俺にそうさせたのだ。
沈黙。
時計の針の音だけが定期的に聞こえるショックをうけるような完全な沈黙で、
冷蔵庫がたてる音すら止み、胸がなぜだか押し付けられるような感じがした。
30分程経った時「コーヒーでも飲む?」と言われ、声が出ず、ただうなずいた。
やがて静かにカップを置き、母親が話しはじめた。
「定期的にゆきは病院にいってるのね。それで、どうやら病気が進行してるって。
このままにしていたらいずれ生きていられなくなるって。でね、そこのお医者さんが、
もう病院を変えないといけないって。それが日本じゃないの、
アメリカのノースカロライナっていうところにある病院が治せる可能性があるんだって。
どっちにしても、このままほっておいたらさらにわるくなっていくだろうって。
もうすでにゆきの目が動かなくなってきたの。来週私たちここを出るの。
たかくんにとってはすごくつらい事だろうけれど、もしかしたらゆきが治る可能性だってあるのよ。
ほんとはゆきの口から言ったほうが良かったのだろうけれど、あの子かなりまいってて、しかたなく・・・」
最後のほうは鳴咽で聞こえないくらいだった。
行ってほしくない、それが俺のその時の本音だった。ほんとに失ってしまうかも知れない現実がわからなかった。
ただ、今この場からいなくなってしまう怖さは分かった。頭の中でいろんな考えがよぎった。
この場で泣き崩れて行ってほしくないと叫ぼうか、日本を発つ時に玄関に座り込んで行かせないようにしようか、
ゆきと一緒にどこかへ逃げようか、など色んな考えが浮かんだが、どれも実行不可能で、もうどうしようもないことだった。

「ごめんね」と言ったきり母親は黙ってしまった。俺は少しゆきと話してきてもいいですかと言い、
返事も待たずにゆきの部屋へいくと、ゆきは電気もつけずベットに突っ伏して、
枕に顔を埋めていた。すすり泣くような声だけが聞こえてきて、
ゆきの気持ちが反映したように部屋全体に暗い影が覆っているようだった。
ゆきのそのかなしみは、まるで手で触れようと思えば触れられるほど、
はっきりとそこにあり、強烈なものだった。でもこの感覚はどこか慣れ親しんだものでもあり、
思えばゆきと俺との間に必ずあった感覚だった。見て見ない振りをしても必ずそこにあり、
いうなれば愛と同じようにどうしても消えてくれない感情のようだった。
そしてその感情が暴れださないように笑顔で覆っていたのかもしれない。
「ばか。泣いてちゃだめだよ。俺たちの思い出のすべてがそうであったように笑おうよ!
笑顔で生きようよ。俺、今までずっと忘れていたものをいっぱいゆきからもらった。
その一つが笑う事だったのに。笑おうよ。ゆきの泣いてる姿なんて絶対に見たくない。」
「・・・」
「ごめん、つらいよな、かなしいよな、俺・・・ごめん・・・」そういってそっと髪をなで、
部屋を出た。自分も泣いている姿を知られたくなかったのだ。
しばらくゆきの部屋のドアの所で気持ちを静めてから下に降り、母親にまた明日来ます、そういって家を出た。

その日は家に帰る気がせず、ゆきと始めて行った公園へ向かった。
2時は過ぎていただろうか。夜中の町並みは静かで、車もまばらになり信号だけが規則正しく点灯していた。
公園へ着くと、木々がまるで止まったように静かで人は誰も居ず、
公園の入り口近くのベンチに座って景色を見てるとまるで写真を見ているみたいだった。
突然の別離。思いもしていなかった事で、ゆきの家にいた時は、空気に飲まれ悲しかったが、
外の夏の夜の空気の中にいてると、かなしみばかりじゃないことに気付いた。
遠くへ行ってしまうが、会えないわけじゃない。むしろ元気になって帰ってくるかも知れないのだ。
そこに考えがいくと、そんなに悲しい事じゃないように思え、少し元気がでてきた。
新聞配達だろうか、自転車の音が聞こえ、少しずつ夜が明けはじめた。
その日は朝からゆきの家に行った。どうやらゆきも一日中起きてたらしく、
チャイムを押すとすぐに出てきた。まるで被災地の生き残りのように二人とも疲れきった顔をしていた。
思わず二人とも微笑んだ。その日はゆきの部屋で音楽を聴き、言葉の端々に別れを思わしながら普通の会話をしていた。

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Novel Editor