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笑顔の訳 作者:たかとよし

第3回   第三章
久しぶりに厚い重たそうな雲がかかり、世界が急に狭く感じるようなじめじめとした空気になり、
やがて雨が降りだしたある日、家に担任の先生から電話がかかり
「今から学校へ来るように、大事な話しだから」
また、さぼりすぎての事の説教か、と思いながら重い足で学校へいくと
「単位不足のために留年になったよ」
まだ夏休みにもなっていないこの時期にその言葉はかなりびっくりした。
今から親も呼んで話しをする、とのこと。正直もうどうでもよかった。
「留め置き」
になってまで学校に来る理由も見当たらないし、
当分は高校生活を楽しんで中退する事をこの時点で決めた。
この高校での出来事は結局最後までゆきに言わなかったが
ゆきは多分高校がうまくいっていない事を気付いていたのだろう、
「私が普通科最後まで通えなかった分、たかは最後までちゃんと通ってね」
と言われた時はさすがにドキッとした。

それからというもの高校にはいかずにその教室に通い続けた。
上田先生はあまりいい顔はしなかったけれど、事情を説明すると、
こんな早い時期に「留め置き」の通達する学校を怒っていた。
今年の梅雨はあまり雨が降らなかったせいか、ニュースで水不足を伝えていた。
教室に入り浸りになった途端にひとつ気付いた事があった。ゆきが毎日朝から最後までここに居てるのだ。
それも毎日。他の人たちは少なくても週に2、3回はちゃんとした特殊学級に通っていたり、
午前中だけここに来て、あとの時間は施設にいたりするのに。
どうしてなのか気になり、先生に尋ねると、「どうやら学校を登校拒否してるみたいなんだ」といった。
それを聞いた俺は、なにか俺が役に立てたらと思い、ゆきに思い切って学校はどうしたの?と聞くと
「中学2年の頃から特殊学校へいってたんだけど、点字がどうしても馴染めなくて、
入って間も無い頃に教室で先生にひどく怒られてね、その場でもどしちゃったの。
それから学校へ行くのが嫌になっちゃった。恥ずかしかったの。で、ずっと最近まで学校に行かずに家にいたの、
行くのがもうしんどかったのかもね。でもこのままじゃだめだなって思ってた時にこの教室の事を知って、
来たわけ。ここだと何も規則がないでしょ、自分の思う事が出来るから。」
人はみかけによらないものだ。ゆきにそんな暗い過去があるようには見えなかった。

夏休みまであと1ヶ月という時、いつもの教室で
「海にいけたらいいのにな。近くに海があったらなあ」
とゆきが言った。その言い方があまりにも無防備にさびしそうで、どうしても海に連れていきたくなって、
「自転車で行こうよ。4時間くらいかかるけどさ、海を見に行こう」といった。
「絶対しんどいよ、たかがずっとこがなくちゃだめなんだよ?」
「途中休憩しながら行ったら行けるよ」
「でも・・・」
「そんなに気を遣うのなら、途中ゆきが運転してもいいんだよ」
と笑った。そんなわけで、日曜に「海まで自転車2人乗り」の計画を立てた。
日曜日、残念ながらその日は曇っていたが、後から考えるとその方が良かったのだろう。
多分晴れていたら海まで体力がもったかどうか・・・
ゆきが「どうせ見えないんだから、晴れてても曇ってても同じ。雨が降らない限り行こう」といった。
ものすごく嬉しそう。電車でいけば早く着いたのだろうけれど、自転車の方が楽しそうだったので、
車のあまり通らない道を選んで走った。途中公園があるたびに休憩して結局5時間くらいの道のりだった。
途中でほんとは海で食べるつもりだったゆきの母親の作ったお弁当を公園で食べた。
ふざけあってきゃあきゃあ言いながらのんびりと自転車を漕いでるうちに海の香りが近づいてきた。
海際にくると雲の間から日の光が降り注いできた。
ほんとはまだ夏の前の海岸はそんなにきれいと言えるわけではないのだが、
一応海水浴場になっており、砂浜はきれいに砂が敷き詰められていた。
「海の色ってどんな色?」
「見たことないの?忘れたの?」
「ううん、昔によく家族で海水浴行ってよく覚えてるんだけど、たかから見た海の色、今のこの海の色が聞きたいの」
「緑に近い青色、かな」
「こういう時、目が見えたらなあ、きれいだろうね」
海からの少し湿った冷たい風でゆきの髪がなびいている。
遠くの方で雲の切れ間から光が筋のように海に降りている。
海からの風の音と、波の音、小さく聞こえる遠くの車の音以外何も聞こえない長い沈黙。
しかしそれはいやな沈黙ではなくて、人間の原始を思わせる心の内側をのぞいてくるような少し懐かしい沈黙。
穏やかだが限りなく押し寄せる波をただずっと砂浜に座って見ていた。
ゆきは目を閉じ、波の音に合わせるように少しからだを揺らして微笑んでいた。
これまで一度もゆきに対して好きだとかは言ったことはないが、恋愛感情よりはもっと深く、
家族の愛に似た深く親密な感情を抱いていた。
「ひさしぶりだなあ、自分が今この場所で生きてるって感覚。ただここに存在してるってだけの単純な感覚。
毎日の生活の中ですっかり忘れていた気がするね。こういう感覚」
あとから考えてみれば、二人とも毎日の雑多な人間関係に少し疲れていたのだろう。
好きだよ、そうささやいてゆきに軽くキスをした。ゆきは驚いたように目を開いたが、
その中に確かな感情が見えた。
その時の感情は恋愛ならいつもそうであるような
とても言い表せないほどの複雑な感情なんかではなく、むしろなにもない、空虚な感覚だった。
「たか、たかの写真一枚ちょうだい」
「見えなきゃあまり意味ないよ」
そう笑いながら答えると
「違うの、いつも一緒にいてるような感覚、
ただそこにたかとしての存在が欲しいの。だから写真一枚ちょうだいね」
笑いながらそう俺に言った。

そう、俺たちは笑いながらずっとその日一緒にいたような気がする。
自分たちの置かれている立場、自分たちに降りかかる運命のようなものを笑い、
受け入れていた。そうすることで、より前向きな視線を未来に向けられるような気がしたのだ。
私たちの誰もがそうであるように、すばらしいひとときは少し光が多く、
この時はすべてのものがほんとはそうではないとわかっていても少し明るく楽しそうに映った。
いくつもの町を突っ切り、帰り道の自転車では二人、冗談を言い、笑いながら帰った。
ゆきの家に着くと、ゆきの母親が俺の分まで晩御飯を作っており、
父親が帰ってくるまで少し待っててねといった。そのとき初めて父親を見たが、
背の低い、少しやつれてはいるが、40代後半の感じで、仕事からくる自信か、
少し威厳のある感じのひとだった。「いつもゆきから聞いてるよ。色々お世話かけてるみたいだね。
最近ゆきが明るくなって、家の中まで明るくなったようで感謝してるよ」
「いやいや、とんでもないっすよ、俺のほうがゆきに助けてもらったような感じで・・・」
と少し照れながら答えた。話してみると両親はとても気さくで、夕食は笑顔の絶えない楽しい団欒になった。
母親はこういう男の子がほしかったといい、俺は、じゃあ今日からお父さんお母さんと呼ばせてもらいますなどと冗談を言った。
ゆきの話しをしているとどうやら最近までゆきは少し鬱状態だったようだ。

俺は常に昔から自分をもう一人の自分として見ることが出来た。常に自分を監視し、
なにげない日常にも常に少し緊張し、自意識過剰とも取れるような生活をしていた。
「あるがまま」って言葉を常に意識し、あるがままな自分を装っていたのだ。
ゆきといるときはそんなことを気にせず、ただただ楽しいことを、自分に対して正直な感情を吐き出していた事に突然気付いた。
多分ゆきも同じだったのだろう。はじめはただただゆきの強さに魅入られていたが、
その中にある深く根強い感情、寂しさからくる冷たい強さだったことに気付いた。
今、ゆきを見るとその冷たい強さが消え、本当の強さ、ゆきという一つの複雑な人間臭さというか、
ごく普通の女の子として見ることが出来た。日が経つにつれ、
その「目が見えない事を隠す」のではなく
「目が見えないことを肯定」する姿に変わっていくのがわかった。

ある日「私の夢を聞いてくれる?」といった。聞くよというと
「ほら、前にたかが前に、目が見えないピアニストの話ししてくれたでしょ、
それで思い付いたの。私、本を書こうかなって思ったの。」
「でも、それじゃ、ゆきの嫌いな点字覚えないといけないよ」
「うん、でも今なら覚えられると思う。」
それから、上田先生に頼み、点字の教科書を探してもらい、教室で点字の勉強が始まった。
この勉強に興味を持ったのは意外に章太だった。
「兄ちゃんに教わるより、僕のほうがいいよ、だって僕のほうが覚えるのうまいんだよ」
たしかに章太は点字の才能があるらしい。誰よりも早く点字の本を読めるようになったのは章太だった。
俺は目で見て読めるようにはなったのだが、指で触ってはまったくわからなかった。
ゆきは目が見えない分他の五感は鋭く、指の先で少しずつだが確実に読めるようになってきた。
ある日教室につくとゆきが嬉しそうになにやらタイプライターのようなものを触っていて、
ゆきにそれはなにかとたずねると、タイプをするキーに点字のプラスチックのシートが貼ってあり、
上田先生が即席で作った「点字タイプライター」だと言った。なるほど、良く考えた代物で、
少しずつだがゆきの思う文章が紙に映し出されていく。俺が覗いている雰囲気を察知したのか、
「だめ、たかは見ないで!後で見せるから!」
しかたがなく、その日はゆきに近づかずに章太と理恵を集めて静かに勉強をしていた。
終わりの会が近付いてきた頃、ゆきがこれ!といって一枚の紙を差し出した。

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Novel Editor