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Pure−jam 作者:砂さらら

第12回   12

僕はナースセンターへ行って、「彼女の留学中の兄です。」と名乗り病状を聞いた。
パニック障害の一種で、2ヶ月前に電車の中で倒れたと言う。呼吸停止を起こしており救急車に運ばれて、その後 心臓停止も起こしたと言う。
緊急治療の後、今はここでケアしていると言うのが大体の経過だった。
時々錯乱状態を起こす事もあり。当分は安静にしていなければ為らないらしい。
僕は珍しく知恵が働いていたようで、今日も家族だと名乗らなければ面会は出来なかったろう。次に来る事はどうやら出来なさそうだ。彼女に兄がいないと知れれば、それまでだからだ。礼を言ってナースセンターを出ると、僕は彼女の2度目の「さよなら」をポケットに入れて持ちかえるほかは、何も為す術が無かった。


今夜もまた、ロング・グッドバイに来ていた。今日はネコと杏の二人だった。
「いらっしゃいませ。今夜は遅いっすね。」
「仕事がね。今日はあっちで飲むよ。」と窓際のカウンターに座る。
「珍しいっすね。」
「今日は夜景が見たい。」杏がボトルとグラスを持って
「カッコイイじゃないですか。」と言う。
「そうだろう。」軽口を叩くと。ネコが「調子に乗らせないようにね。」と応じる。
「相変わらず可愛くないな。ネコは。それにしても、やっと8月も終わるなぁ。」
「そうっすねぇ。」
「相変わらず酒と映画の毎日っすか?」
「うん。そうだ。暑くて部屋に居られないからなぁ。」
「おかげで、うちの店は商売繁盛。ヨージ様様っす。」
実際ほとんど、この店に1番に来るのは僕だ。僕がネコに応じようとすると。
「ヨージさん。『瞳を閉じて』って見ました?」と杏が聞いてくる
「あれは女の子と見るモンだろう。」
「私、まだ見て無くって―。超見たいんですよぅ。」
「彼氏と行けば好いじゃんか。」
「彼がいたら行ってますよう。」
「でっ俺にどうしろと?」
「鈍いなぁ。」とネコ。
「鈍くは無いが、あまり慣れてないのでね。」
「空いてる日、付き合ってくださいよ。」
「いいともー」ふざけて言うと。
「笑えない笑えない、スベリ捲くりだからね。」ネコが茶化す。
そんな勢いで、来週の日曜は杏と映画デートになってしまった。6年ぶりの事に、少したじろぎはしたものの、断る理由も見つからなかった。

日曜日の午後12時45分。僕は駅の下の階段で杏を待って居た。映画は3時からなので遅目の昼食を、軽くとってから出かける事になっていた。
5分後、杏がやって来た。
赤いハイビスカスの絵の入った、ブランド物の白いTシャツに、色の薄いジーンズ。
踵の高いミュールにシャツと同じがらの小さな手提げのバックを持っていた。
女の子らしいな。と僕は思う。こんな事を感じる事さえ、何年も忘れていた事だ。
「こんにちは、お待たせっ。」
「僕も今来たところだよ、丁度良かった。」
「僕って言うんですね。」
「女の子が相手のときはね。でも時々俺になるときも有る。」
「それは、あたしが女の子として意識されてるって事ですよね。」いたずらっぽい笑みを浮かべて杏は言う。
「だって女の子だろう?」
「じゃあ、誰にでもそうなんですか? 女なら。」
「基本的にはね。」
「なんだーつまんない。」
「それはつまり、僕が君を特別な女の子だと 意識して居るかと言う事かな?」
杏は相変わらず、いたずら子猫のような笑み を浮かべているだけで答えない。
「少なくとも義理で、興味の無い女の子と映画に行ったりはしないよ。」
「そうよね? じゃぁOK。」
「なにがOKなのかが分からないんだけど...」
「今日の相手として、認めてあげるって事。」そう言って杏は歩き始める。
「ランチはパスタで好い?」
「うん。結構好きな方だしね。」
「じゃ、決まりね。」
僕らは近所で割と流行っているパスタジョーネと言う店に入った。
僕はカルボナーラを、杏はアラビアータを頼んだ。
「ねえ、一つ聞いておきたいんだけど。」水を一口飲んで僕は言う。
「何で僕を誘ったのかな。」
「あら、迷惑だった?」
「そんな事は無いよ、むしろ光栄に思っているさ。ただ僕以外に幾らでも 君なら相手をしてくれる男の子は居るだろうと思ってさ。」
「フフッ。」と笑ってアンは言う。
「どうしてでしょう?」
「分からないよ。だから聞いておきたい。」
「好奇心。」
「好奇心?」
「15歳年上の人とデートするって、どんな気持ちか気になったの。」
「それだけ?」
「もっと言うと、あの子がどんな人と付き合ってたのかもね、少し興味があるの。」
「ふーん。それが君の好奇心?」
「そう、いけない?」
「いや、いけない事なんか無いよ。多分世界中どこを探しても、その理由は見つからない。」
「なら好いでしょ?」
「OK。」
この子は、物怖じをしない積極的な娘なのだ。
「君は物好きだね。」
「何が?」
「だって、もうすぐ40になろうって言うオジさんを、わざわざ選んでデートに誘うなんてさ。逆なら僕にも理解できるけど。」
「あたしは自分の好奇心には、わりと忠実なの。」
「知りたい事は、何でもほおって置けないのよ。そういう人なの。」
「なるほど、でも、おかげでオジさんは 23歳の女の子とデートが出来るわけだから、感謝しなくちゃいけないな。」そう僕が冗談めかして言うと、杏は「クスッ。」と笑って
「感謝しなさい。」と同じようにふざけて言った。

僕らは食事を終えると電車で2駅先の映画館まで行った。
「瞳を閉じて」はこの夏一番ヒットしている恋愛映画だ。
僕は一人でこの手の映画は見ないので実に久しぶりの恋愛映画だ。
ラジオや有線放送で散々流れている主題歌が耳に入ってくる。
杏は僕の袖を引っ張ってチケット売り場へ向かう。
2枚のチケットを買うと、売店へ行ってコーラとポップコーンを買う。
劇場に入ってシートに座ったとたんに、僕は眠くなってしまった。予告編が終わってもまだボーっとしている。本編が始まった頃からうつらうつらし始めて、結局のところどんな内容だったのか丸で覚えていない。
杏に気付かれない内にと、帰りがけに慌ててパンフレットを買って帰りの会話には何とか話をあわせる事が出来た。(ほとんど頷くばかりだったけれど)
「今日は楽しかったよ。」
「あたしも楽しかったよ。それに少しだけヨージさんの事が判ったし。」
「どんな事が?」
「優しい人だって事。」
「そうでもないよ。」
「無理しなくてもいいの、居眠りしながらでも付き合ってくれたんでしょう?」
「そんな風に見えた?」
「ええ。」
「僕は何時も映画館に入ると、ああなんだ。居眠りしてるわけじゃないよ。」僕は嘘をついた。
「そういうところが優しいって言ってるの。」杏はクスクス笑う。
どうやら弁解の余地が無いらしい。
「ごめんよ。でも本当に何時もああなんだよ、一人で行くときもさ。」
「もういいって、私が相手じゃ役不足だったんでしょ。」
杏はまた、いたずら子猫のような口ぶりになる。
「僕はそれほど我慢強くない。それに嫌なら始めから断ってる。君が相手だからなんて、そんなこと言うなよ。今日は久しぶりのデートで、とっても嬉しかったんだよ。本当に。」
「かわいい。」
そう言うと杏は踵を返してこっちを向くと。
「ねえ、また付き合ってくれる?」
「今度は僕が誘うよ。」罪悪感に苛まれつつ、僕は笑顔を作りながら言った。そして
「悪いけど明日の仕事がちょっとヤバそうなんだ。今日はこの辺でお開きにしよう。」これ以上一緒に居るとボロが出そうなので僕は逃げ口上を口にした。
「いいわ。また今度ね。ちゃんと誘ってよ。あたし記憶力いいんだから。」
上目遣いで僕を見ながら、からかうように言う。
「忘れるもんか。これでも僕は美人に目が無い。」そう言って杏の頭をクシャクシャと撫でた。
「じゃあまたね。」
「ああ、またな。」
待ち合わせた駅の階段下で僕らは別れた。
「ふう。」思わずためいきをついてしまう。どうやら女の子のあしらい方も下手になったらしい。年甲斐も無くドギマギしてしまった。次はもっと大人らしく振舞う事にしよう。そんな事を考えながら、僕はまだ蒸し暑い風と一緒に部屋へ帰った。



僕は彼女の病院に月に1度手紙を書いた。内容は他愛のない事ばかりだったが、僕がまだ彼女の傍に居る人間だという事を伝えたかったからだ。
彼女が言ったように、返事は一度も来なかった。
それでも僕は書き続けた。
それは1年半続いた。
そして桜が咲き始めた翌年の四月中旬。
病院から返事が来た。しかし彼女からではなく、病院の医師からだった。
それには、彼女はもう退院してそこには居ない。その事だけが書いてあった。
当然、彼女の居場所はわからない。
実家へ戻ったのか。それとも別の病院に移ったのか。全く手がかりはなくなってしまった。

――ついに3度、彼女は僕の前から消えてしまったのだ。

もう僕に彼女を探す事は出来ないのだろうか。
これまでは偶然だが探し出す事か出来た。
しかし偶然は2度目までだという。
3度目はそれは作為だと言うことを聞いたことがある。
彼女は明確な作為を持って僕の前から去ってしまったのだろうか。
僕はこの後4年間、彼女の奇跡をついに探すことが出来なかった。
とても辛い4年間だった。
僕はやはり彼女を愛していた。
僕達は愛し合ったまま、時のいたずらで別れざるを得なかったに過ぎないと。その思いが何時までたてっても消えないで居た。
彼女はそう思っているだろうか? 
今はその真意を聞く事も出来ない。
いったいもし運命と言うものが有るなら、それは僕達に何を望んでいるのだろう。
ともかく僕と彼女の糸は再び切れてしまったのだ。
僕に残ったものといえば深い失望感と喪失感だけだった。

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Novel Editor