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Pure−jam 作者:砂さらら

第11回   11
人は時として偶然としか思えないような
真理との出会いを経験する。

しかし、ほとんどの人がそのことに気づかず、
何事もなかったかのように、
また慌ただしい生活を続ける。

(心に残るチャーチル物語、ケイ・ヘイル編)


僕は彼女に幸せになって欲しかった。彼女と出会ったのは偶然だった。しかし彼女を愛したのも、偶然だったのだろうか。
僕は彼女を「愛さなければならなかった」だろうか?
答えはNOだ。愛したかったから愛したのだ。それを偶然と呼ぶのか?
しかし必然ではない。問題は意思だ。
僕は自分の意思で彼女を愛した。正確には愛していた事に気づいた。
これは偶然ではない。

――僕は彼女によって人を愛する事を発見したのだ。

確かに僕たちの恋は終わってしまった。でも僕はまだ責任を果たしていない。
彼女への愛に対してだ。僕はこのまま諦めるわけにはいかないのだった。

僕はもう一度消印を見た。越谷局。確かに彼女の実家の有るところだけれど、何故だ? 実家に戻る事は考えにくい。実家に居られないから家を出たのだから。何か理由が必要だ。なぜ越谷から手紙を出したのか? 
僕は考えながら手紙を眺めていた。とても長い間。釣り人が丘から鯛を釣り上げるのと同じ位長い間眺めていた。

心配してくれてありがとう。
精神以外は元気です。もう私のことは気にしないで下さい。
私はあなたには必要の無い人間です。
私はあなたにもう会う事は出来ません。

会う事は出来ない。必要無い人間。精神。

何かが心に引っかかっていた。何かが。
と、突然に携帯のアラームが鳴り出した。今日は医者に薬を取りに行く日だった。出かける時間が来たのだった。僕は精神科へ向かうために部屋を出た。
斎藤クリニック。日曜も診察しているので、僕のような仕事持ちには有り難い。
待合室は6畳ほどの広さで、窓にはカーテンがかけられて外から見えないようになっている。本棚には殆ど古本だが、コミックや小説に限らず、心理学や病理学の本がたくさん置いてある。ひときわ分厚い本があった。「順天堂大学病院50年史」 僕はなんとなくそれを手にとって見た。頁をパラパラめくる。と目に止まる文字が有った。順天堂越谷病院。
「あっ!」
思わず声が漏れてしまったが、気に止める人は居ない。そういう場所なのだ。
心に引っかかっていたものが解けた。

――彼女はここに居るのではないだろうか。

何かが彼女の身に起こったとしたら。
「精神以外は元気です。」あの文面が気がかりなのだ。
恐らく間違い無い。彼女はそこに居る。
嬉しくはない事だが、僕はほとんど確信していた。


次の週の日曜日。僕はその病院に行って見た。彼女の名を告げると該当者が有った。
ビンゴ。やはり彼女はここに居たのだ。


病室の番号は2046号。個室だった。僕は勇気を振り絞って部屋を訪れた。
彼女は驚愕してまるで人形のように硬直していた。
「どうして判ったの?」
「偶然さ。」僕は答えた。
「たまたま僕の行ってるクリニックの本に、ここの事が載っていた。消印があったから、もしかしたらと思っただけだよ。」
「まさか来るとは思いもしなかったわ。」
「迷惑だったかな?」
「いえ、嬉しいわ。」
「手紙にも書いたけど、どうしても会って謝りたかったんだ。」
「謝る必要なんか無いって書いたでしょう?」
「それは分かってる。ただ僕は君を愛していた事に、今更ながら気づいたんだ。愛して欲しいわけじゃないけど、君には幸せに成ってもらいたかったから それを伝えたかったんだ。どうしてもね。」
「有り難う。でも私の幸せなんて、あなたには関係のない事なのよ。もう私たちは縁が切れてるんですもの。」
「それはそれで構わないよ。ただ、僕は君に幸せに成ってもらいたいって事さ。君はこんな所に居るべきじゃない。」
「それもあなたには関係無いわね。」
「ねえ、もしあの時に僕が君のそばに居られたら、君の力に成れなかったかな?」
「もしもは、もしもよ。現実とは違うわ。」
「そうだな。でも考えずにはいられないんだ。君をこんな所に押し込んでしまったのは僕じゃないかってね。」
「もういいのよ、あなたを責める気なんて一つも無いし、私には私の結論があるの。それがどういうものであるにしても、これが現実だわ。」
僕は次の言葉を見つけられなかった。
「また来てもいいかな?」
「出来れば来て欲しくないわ。」
「どうしても?」
「そうね、あまり人に見られたい姿じゃないでしょう?」
僕は何も言えなくなってしまった。
「手紙くらいは許してくれないか?」
「返事を書くとは限らないわよ?」
「いいよ。書くことだけでも許してくれれば。」
「ならいいわ。それだけは譲歩するから、もう来ないで!」
「わかったよ。もう来ない。」そう言うしかない迫力が彼女には有った。燃え尽きる寸前の蝋燭の炎みたいな迫力だった。
「今日は突然済まなかった。ごめん。帰るよ。」
「さよなら。」彼女はそう言って窓のそとに目をやったきり2度と僕を見なかった。

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Novel Editor