「人間って言うのは簡単にあっけなく死ぬ、でも人は意外と死ねないもんだね。」 ベッドタウンのそれほど流行ってもいないBARで、カウンター越しにマスターに向かって僕は言った。 「そうかもしれない」マスターが答える。 僕はブラックスーツに黒のネクタイ。 知人の通夜のかえりだった。親しくもなく、ただ知人と言うだけだった。 彼の人生がどのような物であり、幸福であったか、不幸であったのかさえ想像することもできない。 そういう知人だった。 死因を聞くこともせず帰ってきたのだが、僕には彼が死んだ。その事実だけで十分だった。 「全く、人生って奴は上手く行かないものだね?死にたいと思っている奴ほどなかなか死ねない。」 マスターは黙ってグラスを磨いている。 「人生を終わらせたいのは僕なんだけどな。」 「思わなくても終わりはいずれ来る。」マスターは短く言う。「あんた死にたいのかい?」 「まあね」 「人生にはそう云う時が有るもんさ。幸せに生きるだけが人生でもないさ。」マスターが続ける。 「案外、辛いときが多い方が、後になるといいもんなんだよ。」 「そうかもしれないけど、僕には解らないな。」 「いずれ解るときが来るさ。」 「だと良いね。」 気のない返事をしながら僕はラスティーネールの2杯めを飲み干す。 窓から月の光が差し込む。 満月。 案外満月の夜に死ぬって云うのも良いことなのかもしれない。ぼくはそう思う。 もちろん根拠はないし理由もない。ただそういう思いがよぎっただけだ。 ともかく彼は満月の夜。 無意味なのか、そうでないのかは解らないが。そう長くもない人生を閉じ、僕はそれを見送った。 そんな夜だった。
僕には昔付き合っていた女の子がいた。6年前になる。僕は32歳で彼女は17歳だった。 通信制の高校を単位取得が早かったため17歳で卒業し既に社会人だった。しかし、ルックスは中学生のように見えた。 互いの服装によっては親子に見えたことだろう。 ただ僕は女の子に服のセンスを注意されたことが無かったのと童顔だったので、そう言う声を聞くことは無く、 無難な兄妹か、ちょっと冴えない大学生と幼い雰囲気の女の子のカップルくらいには見えた。 もっとも知人友人には内緒の付き合いだったから、意見を聞くことも出来なかったけれど。 僕らは限りなくプラトニックに近かった。キスが精一杯のところだった。 彼女は良く門限ギリギリまで僕をデートに誘った。 喫茶店やピザ屋やカラオケBOXなど。1秒でも僕と一緒にいようとした。 僕はそんな彼女が好きだったし、愛そうと思っていた。守ってあげたかった。 しばらくの間はそんな風に幸せなときが流れた。 今はもう無くなってしまった渋谷のプラネタリウムに行ったとき、不案内な僕の手を引いて 彼女はどんどん歩いた。そして「ここはよく友達と来るパーラーでパフェが美味しいの」とか この先のバーガーショップがどうとか喋っていた。 まるで青春みたいだ。そんなふうに思った。 僕が彼女の年齢のときは、ただ高校へ行き ただ本屋で漫画を立ち読みし。 いつまでたっても上手くならないビリヤードの玉をを仲間と突いていただけで。あとは部活動と 嫌々通っていた剣道場で一日を費やしていた。 繁華街へ出ることなど無く 当時未だディスコと呼んでいたダンスクラブへも、当然行ったことなど無かった。 遅れて来た青春を僕は彼女と一緒に楽しもうとした。レッツ・エンジョイ。それが僕の最良の選択だった。 帰りの電車の中で彼女はずーと僕の横顔を見上げていた。 彼女はヒールを履いてもまだ僕より8cm身長が低かったから、どうしても見上げる格好になるのだった。時折微笑みかけると彼女も微笑んだ。 「どうしてそんなに見るの?」 「表情の変化が面白いから」 「そんなに変わる?」 「今、仕事のこと考えてるでしょ」 「参ったな、何で解るんだ」 「そういう顔してるもん」 そんな風に何時も僕がどんな心境でいるのか読んでしまうのだ。 それほど、僕に興味があるのだろう。そう思うことにした。 彼女が何故それほど僕に興味を持っているのか。 それに付いてはいくつかの理由がある。 まず、異性と付き合うのが始めてであるという事。 そして彼女の母親が在日朝鮮人で、いささか家庭に問題を抱えていて、そんな複雑な心境から少しでも遠ざかっていたい事。 その二つが大きな理由だった。 もちろんこれは後から知ったことだ。 当時の僕は、それは彼女が僕を少なからず愛しているからだと思っていた。 そして事件は彼女の18歳の誕生日を過ぎた頃突然やって来た。
|
|