もう朝だろうか、瞼のフィルターを通して入ってくる日差しは眩しく、たまらず体を起こす。そして、周りを見回すも目に入る景色は見知らぬもので、だが不幸にも彼の脳はすぐに全てを思い出した。 (あぁそうか、ここは病院だったんだっけ…) 体に痛みはないし目立った怪我もない、むしろ無さ過ぎるぐらいだった。正面衝突を受けた彼の体には驚くべきことに外傷はまったく無く、さらにたった三日で意識が戻るという驚異的な回復力をも見せていた。 傷のない体とすぐに目が覚めた体。静かな異常は確かにあったが、今はそれに気づく者はいない。 「たったの三日で回復するなんてね。本当は今すぐにでも解剖して調べたいくらいだ」と二十歳半ばくらいのフレームの無い眼鏡をかけた、白髪の医者が名残惜しそうに言っていた。 より正確には紙に書いて見せてきたのだったが。 彼の話によると最初の二日間はハッキリ言ってかなり危険な状態だったらしい。それもそのはずで、全速力で走る車を真正面から受けたのだから無理もない。しかし、なぜか昨日十一月十四日の深夜になって急に容態は安定、そのまま一気に回復。現在に至る、と。 しかし全快とはいかなかった。 最終的に失ったのは両の耳の聴覚と左目の視力。 生きていただけでも神様に感謝するといい、と医者は言っていたがこれはある意味では致命傷だと体は言っている。 医師がいなくなってから、僕は病院の個室で無気力的な思考を繰り返していた。 間違いなく僕の両親はお見舞いには来ないだろうと思う。父さんの八神 雪弘(ゆきひろ)は世界に名を轟かせる有名ヴァイオリニストで今も世界中を飛び回っていて、母さんの八神 雪湖(ゆきこ)もハープの演奏者として、今ごろ父さんと一緒に世界中の人々を魅了し続けているはず。 (噂だと、“運命の扉を開く者”と“空から舞い降りた天女”なんて呼ばれてるらしいけどね) つまり我が家は典型的な放任主義であり、やっぱり典型的な音楽一家であった。 斯く言う僕も幼いの頃からピアノを習い、国際的なピアノコンクールに出場もし、自分で言うのも変だけどちょっとは自信があった。 子供の頃は両親の英才教育により、初めはいやいや弾かされたのと両親に憧れていたのもあるけれど、今では受賞もし、何よりピアノを弾くことがとても楽しかった。 もちろん高校卒業後は父さんたちについて世界を回り、プロのピアニストとして自立することが夢であり目標であり反抗でもあった。 確かにそうだった。 もしかしたら、この耳も左目も今の科学技術なら何とかなるかもしれない。今はベートーヴェンのいる時代でもない。 ただ、たとえそうだとしても。少なくとも僕の心はそう強くない。 聴覚と片方の視力を失ったことによって僕の心には虚脱感がぐるぐると渦を巻き、絶望が群をなして大行進する。 それでもなお、僕の気が狂ってないのは小さくても力強く、そして暖かく照らす光があるからだと自覚している。
それはそれでいいとして… 「まぶしい」 雲一つない天気だからか日差しがやたらと強くて目も開けていられず、現状を打破すべくカーテンに狙いを定め手を伸ばす。 「にぁ」 それは何の準備もしていないのに来るような、気が付いたら家に上がりこんでいて談笑しているような、ちょっと迷惑な突然の来訪者だった。 今まで気が付かなかったが、まとめてあるカーテンの一部は下のほうだけ不自然に膨らみ、その下には白色のかたまりがひとつ見え隠れしていた。そっとカーテンを広げると目の前には猫が一匹。 「おいで」 来訪者なのか、或いはここの初めからここの住人だったのか分からないが、その猫は警戒心もなく伸ばした手に擦り寄ってくる。 「にぁ」 それをそっと抱き上げると、腕の中の小さな命はさっきよりも少しだけ力強く鳴くと、そのまま丸くなってしまった。 その姿を見ると自然と笑みがこぼれてしまった。少なくとも今のところは笑うことは忘れていないみたいだ。まだ僕は大丈夫だと思える気がした。 ただ、プロローグでもある第一楽章“始まりの音と色”を終え、第二楽章である“月ガ照ラス刻”の始まりを告げる指揮(コンダクト)だったことに、僕は気づくことはなかった。
昼ごろはナースの長山さんに借りた小説を読んで時間を過ごしていたが、まだ体力的には本来の生活を取り戻していないのか強烈な眠気に襲われそのまま眠りについてしまった。 そして、目を覚ましたときは遮光カーテンが引かれているから分からないが、普段ならば聞こえなくても感じられる独特の活気(病院に活気も変だけど)が感じられず、そこから考えると判断すると夜、それも真夜中らしかった。 眠気はまるで残っていなく、全身に心地よい感覚が駆け巡るのを感じられた。 真夜中のもっとも深い瞬間、音のない闇と同化するような気持ちを思いつつ辺りを見回す。 外に出たいと思った。 まだ外出許可は出ていないけれどこんな(おそらく)夜中ならバレないはず。バレなければ長山さんにも迷惑かからないし、気分転換が欲しい。 胃の辺りにもやもやとした澱みが浮かんでいるようで、それを払いたかった。 外はきっと寒い。 病室の端にあるクローゼットを開けると薄手の茶色いコートがあった。自分の家にあったものではなくきっと美月だと思い、ありがとうと心の中で告げる。 外は案の定寒く、コートがなかったら今頃間違いなく凍えているだろうと思う。 円形に建てられた病院のちょうど中心にある庭のベンチに腰掛けると、雲一つない夜空にぽっかりと浮かぶ月の明かりが照らしてくれ、そこだけ切り取られたように浮かぶ月は寂しくもどこか神々しく、獲物を探すその瞳はこちらを睨みつけているようだった。 コートを着ていてもなお感じる外の空気が気持ちよく、体の澱みがなくなった様に思え、不思議と眠くなってしまう。 「いけないいけない、こんなところで寝たら凍死しちゃうよ」 もう少しこの空気を肌で感じていたかったがそういうわけにもいかず、ベンチから立ち上がろうとするが、しかし体は立ち上がる途中の過程で数秒停止し何かの圧力に押し返されるように、またベンチへと戻されてしまう。 「あ、あれ?」 もう一度立ち上がろうとするも今度は体さえも動かなく、全身が金縛りにあったように硬直し目だけが動かせた。ぼんやりとしていた眠気がさらにはっきりとしたものへと変わっていく。 (もう、だめ) 発しようとしたその言葉も外に出ることなく頭の中で反芻する。 そして彼の意識はそこでぷつりと途切れ、彼の体は糸の切れた人形のように肢体を投げ出して力を失ってしまった。 「…」 瞳だけがせわしくうごめき辺りを見回し、やがてある一点でとまる。 「今宵はなんとよい月か」 やはりその声はひどく不気味で、不思議と夜の似合う声だった。 瞳だけが月を眺めながら膝の上の指先がタップダンスを踊る。時に早く時に遅く、両手は近づき、また離れリズムだけのメロディーを歌う。 「やはりこの曲はこのような月の日がよく似合う」 指先が紡ぐのはとある国の有名になりきれなかった有名な作曲家が作った曲“月光”。しかし、これを英語に直すと少し意味合いが違ってくる。その曲名は“Moonlight under the beast”であり、直訳では『獣の下の月光』となる。その作曲家は狂気に満ちていたと言われ、いつしか彼は有名になっていった。 もちろん、有名なのは彼の名前であって曲ではないのだが、そんなことを彼は知ることもなく世の中から消えていった。 そのリズムを指先は絶え間なく刻み続ける。 「時間、か」 不気味な声の主、“彼ではない誰か”は目を細めてもう一度だけ月を眺める。 「また会おう」 誰に言うともなくそう呟くと、指先の旋律は止まり“彼ではない誰か”の意識もまた消え去っていた。
|
|