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color of snow 作者:蒼狐

第1回   始まりの音と色
その日、僕はいつも通り地下鉄に乗り朝のラッシュの中、高校に向かう途中だった。
電車は通勤と通学の二つがうまく重なった見事な時間帯で、人が荷物のように詰め込まれていた。
僕としては前々から時間をずらして欲しいと思っていたのだけれど、どうやら叶いそうにもない。
一本、二本くらい電車を早くするぐらいでは意味がない。それこそまだ日も昇ってないうちに学校へとたどり着き、薄ら寒い教室で人の温もりを待ち続けるなんて覚悟は僕にはない。
そんなことを考えつつ、そろそろもっとも人が降りる駅に着くことに気がつく。ここさえ耐え凌げばあとは楽なはず、そう思うと自然と体に力が入る。
やがて喰いすぎた電車が学生やサラリーマンを津波のごとく出口へと吐き出し、それをうまくかわしつつメガネと指を怪我しないように細心の注意を払ってひたすらに出発の時を待つ。
そして、中の物を掃きだした電車はスキップをしかねないぐらい軽い足取りで歩き始め
た。
残っているのは僕らの通う学校の生徒が多数と、極僅かにいる一般人だけだった。
そんな中たった1人だけ別世界のような女性が、外の冬空の景色を眺めながらつり革に捕まっている。
例えて言うならば、真っ白のキャンパスに垂らされた真っ赤な絵の具の痕(あと)とでも言えば分かりやすいかもしれない。
季節はもう冬真っ盛りなのにTシャツ一枚にジーンズで、見ただけで鳥肌が立つような格好。
しかし、何より奇妙なのは腰に差した二本の筒のようなものだった。初めて見たときと同じようにあれが何なのかチェックしてみる。
一見するとチョコレートの粒が入っているようなお菓子にも見えるけれど、これを腰に差すような奇妙な人はそうそういないので却下。
外側は木製のようで爆竹のようなもの、と考えると彼女の印象が後押しして有効案ととなった。
彼女は同じ学校の生徒だった。過去形なのは今はもう通っていないらしくて(とは言っても彼女を学校で見ていないだけで保健室登校もあるかも)何をしているのかサッパリな人だから。
僕らの学校は服装は自由なので何の問題もないのけれど、やっぱり入学式の時からあの格好で、もちろんあの筒も健在だったからよく覚えてる。確か名前は焔 薊(ほむら あざみ)だったはず。
今の世の中、少なくとも僕の常識の中では腰に筒を差した女性は普通いるものじゃない、むしろそんな女性が世間にはびこっている世の中なんて、まるで江戸時代か何かだと勘違いしてもおかしくないんじゃないかな。
そんなことをあの時も考えていて、きっとそのおかげで覚えていたんだと思う。
でも、一見するとかなり怖そうな感じだがはっきり言ってかなりの美人だ。
肩に掛かるくらいのセミロングの髪はうっすらと赤に近い茶で染まっていて、不良のようにも見えるし理知的にも見える。総合すると凛とした雰囲気を持つ女性。
しかもTシャツを着ているので下手な露出よりもよっぽど効果がある。
現に車内の四方から視線を浴びている、だけど当人は気づいていないのかわざとなのか素知らぬ顔をしていた。
噂では麻薬のブローカーだとか、どっかのマフィアの一味だとか聞いたことがあるけれど実際のところ彼女の素性を知る人は少ないにちがいない。
体が左の方向に大きく揺られる。彼女のことを考えている内に電車が着いたことに気がついた。騒がしい音をたてながら生徒たちが降りて行く。人知れず赤面する僕。
どちらかと言えば人混みが苦手な方なので少し時間をずらして降車する。
今日は学校終わったら、美月は今日は部活もないから一緒に帰って・・・。
今日の予定を頭の中で考えながら、改札を出て地上へと続く階段の最初のステップに足をかけた時、事は起きた。
さっきまで明るかった目の前がまるで電気のスイッチを切ったように突然暗くなり、静だけれど地を這うような音が前から聞こえる。
そして、一瞬の動作の内に彼は目の前に広がる入道雲の様な黒い固まりを視る。
この出来事はあまりにも瞬間(はや)すぎて解るには唐突すぎた。
思いもよらないだろう、居眠りした乗用車が突然目の前に飛び込んでくるなんて。
ブレーキを忘れた乗用車は跳ねるように階段を駆け下り、彼のその華奢な躰など無かったように跳ね飛ばし、そして止まった。
地面にたたきつけられる直前のほんの数秒だけ、彼は目の前で移り行く写真を見、懐かしさとこれが走馬灯っていうのかなという自問と、割れてキラキラと光るメガネのレンズと、黒い猫がこっちを見ている風景を見る時間だけ与えられた。
しかし、二度目の痛みを与えられる前に彼の意識は消え去っていた。



目が覚めるとそこに見えるのは妙に狭い天井だった。
頭がズキズキする。
改めて自分の体を見渡すが特に外傷は見られない。
メガネが無いためにぼやけて見える時計の針を確認するために、左右に揺れて見える目覚まし時計へと手を伸ばす。
しかし、伸ばした手は時計に触れもせず空を切った。
もう一度試してみるが時計がそこにあるのか無いのか分からなくさせるように、時計の少し手前で手は空気を掴む。
もう一度、体を軽く起こしチャレンジしてみるとわずかに指先が触れ、時計はカタカタと音を立てる。
四度目の正直、目標を定め手をしっかりと伸ばし。次の瞬間にはしっかりと時計を手にしていた。
時刻は朝の10時過ぎ。

その時になって初めて、手の中にある目覚まし時計がジタバタともがき震えていることに気がついく。
だが目覚まし時計特有の音は、聞こえない。
耳元に近づけても、聴こえない。
おそらくうるさいであろうその時計の裏についているスイッチを静かに切ると、それを丁寧にテーブルに置く。
今ここにあるのは、八神長谷矢という体と二つ分の可能性。
そこで彼は二つの可能性を確かめるためにある実験をすることにした。それは右目を右手で覆い隠し、左手は中指と親指の腹を合わせるだけ。
準備は整った、後は実行するだけである。
しかし、すでに一つ目の可能性は証明されていた。
そして今、この左手をパチンと鳴らすだけでもう一つは証明される。
彼の左目は見ることを失い、彼の耳は聴くことを失ったという事実に。
生まれた音はあっけないほどに世界に吸収され、ついに彼の耳に届くことはなかった。



あの冬の寒い空の下、僕は音を無くし光を見失った。
しかしそれは新たな音を手に入れた瞬間でもあり、それは歯車の周り始めた音に似ていた。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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