北市街には見慣れない一団が訪れていた。薄緑の軽鎧の下から薄い鎖帷子(くさりかたびら)を纏い、綺麗に磨かれた黒いブーツに浅めの鉄兜、そして腰のベルトに下がった剣。同じ格好をした男達が全部で10人いた。 男達は帝都憲兵隊であった。帝都の治安を統括する精鋭で、いつもこの区域を巡視するごろつきまがいの警士とは格が違う。 銀ボタンの制服で帯剣した指揮官の指示の下、兵士達は無駄なく動いていた。 そのときレオンを見とめた兵士が背筋を伸ばし、教本どおりの敬礼をして道をあけた。 「レオン様、ご足労感謝します!」 制服姿の指揮官もレオンのもとへやってきた。 「早いなぁ」 「は!迅速が第一であります」 指揮官は堅苦しいまでの直立姿勢でレオンに答えた。 「さっすがー」 場の緊張感から外れたユンの声が響いた。 直立を保っていた憲兵隊指揮官は嫌悪感たっぷりの視線でユンを睨んだ。 「我々はレオン様に協力いたします!」 指揮官は視線を戻し、レオンというところを強調して言った。 「やれやれ、そう言わず俺の弟とも仲良くしてくれよ」 「は!?……失礼。レオン様ともあろうお方がそのようなことを申すはずはありませんね。では私はこれで」 レオンの軽口も、格好と同じく心も堅苦しい指揮官には通じなかったようだ。 「あいつ、この犯人よりも僕を捕まえたそうだった」 「まぁまぁ。この国には堅物が多いからなー。俺みたいな優しいやつは貴重だぞ?」 「優しいというか馬鹿でしょ?」 「厳しいな……確かにそうでもある」 真顔で答えたレオンにユンは噴き出した。 「さて。お遊びはこれくらいにして俺らも始めようか」 相変わらず飄々とした表情のレオンだったが、体はいつでも動ける状態にあった。 ユンは無言で頷きレオンの横に並んで歩き出した。
「おいおいユン、どこへ行く?」 「いいからいいから」 ユンはレオンの先に立ち、まだ憲兵隊の調査が及ばない路地へ入った。 「やけに薄暗い路地だな……」 廃屋に挟まれ常に日の当たらない路地は湿っており、得体の知れない汚物が散乱している。 路地は無計画に、迷路のごとく広がっていた。レオンが同じ帝都とは思えないこの場所に眉をひそめる間、ユンは路地に同化しているような古びた扉を叩いていた。 「はい………」 しばらく間があって扉の向こうから掻き消えそうな声がした。 「こんにちはー。この前来たユンだけど……覚えてる?」 ユンは路地に響き渡るほどの声で扉の向こうの人物へ言った。 「ったく、でっけぇ声……」 レオンは大げさに耳を塞いでいた。 「ユン様?ええ、覚えております。今開けます……」 扉の向こうの声は相変わらず聞き取りにくいほど弱々しげだが少し驚いていた。 扉はゆっくりと開いた。 「こんにちは!また来たよ」 ユンは扉の向こうにいた、使い古した茶色いローブ姿の女性――フィルツへ親しげに挨拶をした。 「ユン様……またどうして急に……?」 フィルツは少々困惑した様子で言った。 「あ、その前に1人紹介しなくちゃね。あのでっかいの。僕の兄になってもらってるレオンだよ」 ユンの示す方をフィルツは見た。 そのときフィルツは驚いたように小さく息を飲んだ。だがその表情は、顔の半分以上を覆っているフードに遮られユンには見えなかった。 「でっかいのは無いだろうに……」 ユンの紹介にレオンは不満そうにぶつぶつと呟いていた。 「と、とりあえず中へ……」 「ありがと」 レオンの不満を露ほども感じていない口調で言ったユンは遠慮なくフィルツの家へ入っていった。 「お連れの方も」 レオンは面倒そうに頭をかきながら大またで中へ入った。
「それで……ユン様は私に何を……?」 「うーん、何か気が付いたことがあったら教えてほしいなぁって思ったんだけど……知らない?」 北市街で起きた事件を話したユンは古びたテーブルの下で足をぷらぷらさせていた。 「申し訳ありませんが……その刻には寝付いていまして全く何も」 フィルツはもともと俯き加減な顔をさらに俯けてすまなさそうに言った。 「そうだ!お姉さんって占いできるんでしょ?じゃ、なにか術で犯人見つけられる?」 ユンはものすごい大発見をしたように顔を輝かせ、テーブルに身を乗り出しながら言った。 「弟よ、それはねぇだろ?」 レオンはやんちゃな弟を諭す兄のように笑いながら首を振った。 「えー!そんなことないよね?」 レオンとユンの視線が同時にフィルツに向けられた。 「……完璧には見えないと思いますが特徴くらいなら」 独特の寂しげな声が遠慮がちに言った。 「ほんと?じゃーお願いっ!」 ユンはここぞとばかりに両手を合わせ、きらきらした大きな黒い目でフィルツを見つめながら頼み込んだ。 「俺からもお願いっ!」 レオンもふざけ半分でユンの真似をした。 「兄さん、それはやめたほうがいいよ」 当人からの冷ややかな声がかかった。 「わかりました……」 フィルツの声は相変わらず細かったが、しっかり発音されていた。 テーブルが片付けられ、銀鏡と小さなナイフが置かれた。 「では始めます」 フィルツは銀鏡を手元に寄せ、右手にナイフを握った。 「あ……」 ユンが小さく声を漏らした。フィルツは右手に握ったナイフで自らの左手に刃を滑らせた。手の平に3センチほどの傷口が開き、糸のように細く血が流れ出す。 フィルツは赤い雫が手の平からこぼれないうちに手を銀鏡の上にかざした。 銀鏡の左右対に灯った蝋燭が鏡面に落ちていく赤い雫を鮮やかに浮かび上がらせる。フィルツは小さく息を吐いて鏡の上から手を外し、側に置いた布で左手を押さえた。 そして鏡面に花弁のように散った自らの血を右手の指で鏡面全体に塗り伸ばしていく。 その妖しい動きは、いつも怯えたようなフィルツではなかった。血が鏡面をすべるたびに禍禍しい感じさえする。 はしゃいでいたユンもじっと見守っている。 やがてフィルツの指が止まった。血を鏡面になすりつけていた指は第二関節あたりまで赤くぬめっていた。 「なんとなくイメージが見えました」 鏡面からレオンとユンへ向き直ったフィルツはゆっくりと口を開いた。 ユンとレオンがフィルツの家に入っていった頃、憲兵隊は1人の男から話を聞いていた。男は逃げるように路地へ入ろうとしたところで憲兵隊に連行された。だだでさえ張りつめていた空気は男を中心にさらに緊張感が高まっていた。囲まれる男は酷く怯えた様子であった。 「なぜ逃げようとした?」 「へ、へぇ……いつもの兵隊さんじゃないので驚きまして」 「貴様は何者だ?名を名乗れ」 「フ、フォッグワード近くの村に住むヒーリスってもんでさぁ。た、だだの鉄くず運びでさぁ」 ヒーリスと名乗った男は時折声を裏返させつつも返答していた。 「お前、ここで警士が斬り殺されたのは知っているな?」 憲兵はヒーリスが何か知っているという前提の口調で言った。 「え……!?そ、そそ、そんなことが?」 ヒーリスは初耳だと言ったが言葉が詰まり、不自然であった。外見からも、目が泳ぎ額からは多量の汗が流れ出していた。 実際知っていた。誰よりも知っていた。ヒーリスはあの夜現場にいたのだ。それも目の前で警士の首が飛ぶのを見ていた。ヒーリスはあの夜駆け込みで帝都に入った荷駄車を引いていた男であった。 「何か知っているのか?」 ヒーリスの不自然な様子を見て確信をもった憲兵は間をおかずに聞いた。 「い、いいえ。どうかお許しください……」 ヒーリスは動揺した表情を隠そうとしきりに頭をさげた。そしてじりっと足を一歩引いた。 ヒーリスの不自然な動きに気付いた憲兵隊は剣の柄へ手をかけた。 「お、お助けをー!」 剣の柄へ手がかかるのを見たヒーリスは目を見開き、前に立つ憲兵を突き飛ばして路地へ駆け出した。 「逃がすな!」 憲兵隊はすぐさまヒーリスの後を追った。 ヒーリスは息が上がり前のめりになりながらも路地へ滑り込んだ。だがそこで腐敗してぬめりを帯びた生ごみに足をとられ、もんどりうって倒れた。 ごみは吐き気を催すほどの悪臭だったが、ヒーリスの意識には背後の憲兵隊しかない。 まもなく無数のブーツが未舗装の路上を踏み鳴らしながら近づいてきた。ヒーリスは足をもつれさせながらも路地をさらに奥へ進んだ。 「いたぞー!」 ヒーリスの背後から憲兵の怒声が響いた。 ヒーリスはふらつきながらも余力を振り絞って駆け出そうとした。だが数歩踏み出したところで足が張り付いたように立ち尽くした。 ヒーリスの眼前には黒一式の武具に身をつつんだ騎士がいた。暗黒を思わせる真っ黒なマントが面を下ろした兜以外の鎧を覆っていた。 「く、く、黒騎士様!?お、お助けください!」 ヒーリスは枷を解かれたように、忽然と現れた騎士の膝下へすがるようにして蹲った。 「・・・・・・」 黒騎士は彫像のごとく身動き1つしなかった。 「お、仰せのとおり表を歩いていましたが兵隊に――ひぃ!」 必死に助けを求める言葉は途切れ、代わりに引きつった悲鳴をあげると這いつくばったまま後ずさりを始めた。 音も立てずに広がった黒騎士の黒いマントの中には鞘から引き抜かれた幅広の刃が光っていた。 ヒーリスは壁に背をつけながらじりじりと騎士から離れていく。汗や涙、泥でぐしゃぐしゃになった顔は恐怖で引きつっていた。 今は背後から追ってくる憲兵隊のことなど頭に無かった。憲兵隊に捕まってもすぐに首を刎ねることは無い。しかしこの騎士はためらいも無くやる。あの夜の光景が脳髄の奥まで張り付いていた。 「ど、ど、どうして・・・・・・あっしは言う通り物も運んだ!これが済んだら金をくれる約束だ!」 ヒーリスはわずかな勇気をかき集めてどうにか抗議の声をあげた。 「・・・・・・我が主のために捧げよ」 全く温かみの感じられない言葉が兜の間から伝わった。同時に剣が振り上げられ、剣の軌道は狂い無くヒーリスに向かった。 「ぎゃぁ――」 剣先は頸部から左脇へと絶叫ごと切り裂いた。ヒーリスが咄嗟に頭部を庇おうとしてかざした右腕は地面の廃棄物にまぎれていた。 騎士はごく自然な動きで剣に残った血液をマントに拭った。そのマントは血を拭われるごとに黒さを増すとさえ思われた。 騎士が血を拭い終えた時、異変に気づいた憲兵達がやってきた。 「き、貴様!この前もお前の仕業か!?」 首筋から左脇にかけて斜めにばっさりと斬られたヒーリスの遺体、残骸を見て憲兵たちは戦闘体制に入った。路地の幅は10メートル程度。4人の憲兵たちは騎士を取り囲むように広がった。 「剣を置け。我らは兵士だ。無抵抗の者は斬らない」 「・・・・・・」 力のこもった低い声で警告を発する憲兵に対して騎士は抜いた剣を地面に向けたまま微動だにしない。 「どうしてもと言うなら仕方ない・・・・・・かかれ!」 押さえていた闘争心を解き放つ気迫十分な声を発すると憲兵達は一斉に騎士へ斬りかかった。 いくら重甲冑の姿とはいえ、かわすスペースの無いこの場所では鎧の隙間を突かれて終わるはずだった。 だが黒騎士はまず正面から向かってくる憲兵の剣先に向かって黒マントを翻し、マントは生き物のごとく剣に絡みついた。そして剣を封じた憲兵をそのまま引き寄せつつ、だらりと構えていた剣で鎖帷子で覆われていない喉元を正確に貫いた。剣先は喉から延髄に突き抜け鮮血がほとばしった。 続いて背後からの第2撃に対して返す剣で受け、左から来る剣は正確に手甲で止めた。右からの攻撃には鉄槌のような足で憲兵を蹴り飛ばした。 1人倒れたとはいえさすがは精鋭の憲兵、ぱっと騎士から間合いを取り体勢を立て直した。しかし、精鋭の憲兵をもってしても狭い路地の頭上や背後から襲われるとは予想もしなかった。 「何っ!?くそっ!上だー・・・・・・ぐぁ・・・・・・後ろに・・・・・・も」 憲兵の頭上から矢が降り、鎧の隙間に吸い込まれていった。間をおかずに気勢をそがれた憲兵の背後から槍が突き入れられた。 何の反撃も出来ずに憲兵は1人残らず路地の残骸と化した。
フィルツの術に見入っていたユンとレオンは通りから異様な空気を感じ取った。 「兄さん」 「あぁ」 2人は顔を見合わせると自然に身構えた。 フィルツも物々しい空気を感じ取って術を行っていた手を止め心配そうな表情を向ける。 レオンが先に立ち路地に通じる扉をゆっくりと開いた。 「うっ・・・・・・」 部屋の中へ舞い込んできたのはごみの腐敗臭ではなくおびただしい血臭だった。 「そうとうやばいね」 ユンの顔からとぼけた少年の顔が消えた。
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