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紅の槍士 作者:azumi

第28回   裏切り
 どうにか館の外へ抜け出したユンは大きくため息をついた。
「ここではまだ安心できないわ」
「………ねぇ、まだこの格好でいるの?」
「よく似合ってるし、かわいい―――じゃなくて!そう!あなたは顔が割れているからそのままが安心よ」
「ほんとに?」
 ユンは訝しげにフィルツの顔を覗き込んだ。
「え……ええ!そうよ。さ、行きましょ」
 一瞬見とれてしまったフィルツが慌てて言った。
 実際、館から脱出する際も、猜疑の視線より熱い視線のほうが多かった。
「行くってどこへ?」
「決まってるでしょ。北市街の私の家よ」
 当然の行き先を告げて歩き出したフィルツだったが、かわいい足音はついてこなかった。
「どうしたの?」
「……助けてもらって悪いんだけど、簡単には信用できないな」
 距離をおいたユンは微笑みながら言ったが、隙のない体勢になっていた。
「ユン………仕方ないわね。本当の事を言うわ」
 唇を噛み締めたフィルツはひとつ息を吐いて力を抜いた。
「私はただの占い師ではないわ。フェリアス陛下から特命を受けた密偵よ」
 フィルツは声を低くして告げた。
「……それはびっくりだね。だけど―――」
「まだ信じられない、かしら?」
 ユンは小さく首を縦に動かした。
「残念だけど今ここで証明する手立てはないわ。直接陛下にお会いになれば分かるけど………今は行けない。まだレナードがいるわ」
 フィルツが話す姿をユンの澄んだ瞳は一挙一動逃さずに捉えていた。
「今は信じて……としか言えないわ。どうするかはユンの選択を尊重するわ」
 フィルツは諦めたように口元を緩め、そのまま踵を返して静かに歩き出した。

 信じてくれるわけないわよね……

 ふと空を見上げたフィルツの背中にどっと疲れが覆い被さってきた。
 宰相・ルフレッド卿の館前を過ぎ、角を曲がれば3の郭へ通じる郭門がすぐというところで背後へ近づいてくる足音が聞こえた。
「お姉さん。またお茶とお菓子ごちそうしてくれる?」
「ユン……え、ええ!いくらでも!」
 女装のままクスっと笑うユンの姿にフィルツは抱きしめてしまいそうになったが、かろうじて踏みとどまった。


「さ、どうぞ」
「ありがと」
 フィルツに促されてユンはちょこんと椅子に座った。
「はい、約束のお茶とお菓子よ」
「やった♪お姉さんのとこのお茶おいしいからね〜」
「ふふっ……そりゃあそうよ。東国産の茶ですもの」
 カップの中には西大陸で一般的な紅茶ではなく、淡い緑色の茶が注がれていた。
「そうなんだ、道理で懐かしい味だと思った」
 ユンは両手でカップを持ちふーふーと冷ましながらどこかほっとしたように飲んでいた。

「ねぇ、そう言えばもうこのかっこやめてもいい?」
 ユンはカップを置いて煩わしそうに鬘に手をやった。
「えっ!?………そ、そうねぇ、た、確かにもう必要ないわね……」
 微笑ましげに眺めていたフィルツはしどろもどろになりながらユンが女装を解くのを渋々認めた。
「やった!足元がすーすーして気持ち悪かったんだ」
 そう言ってユンは嬉しそうに奥の部屋へ駆けていった。
「はぁ……」
 フィルツは特大のため息をついた。

「ふぅ〜やっぱりこの格好が落ち着くね♪」
 膝丈ほどのズボンにブーツといった少年らしい格好になったユンはすっきりした表情で席に戻った。
「………」
 対照的にフィルツは残念そうな目で向かいに座るユンを見やった。
「どうしたのお姉さん?」
「えっ!?何でもないわ。お、お茶もっと飲まない?」
「うん♪」
 にっこり微笑みながらコップを差し出す様子に思わずフィルツも頬が緩んでしまった。

「さて、何から話しましょうか?」
 表情を引き締めたフィルツはクッキーをかじるユンに言った。
「さあ?何からって言われても僕は何がなんだかわかんないもん」
「ふっ……それもそうね」
 口にクッキーの欠片をくっつけながら首を傾げるユンにフィルツは苦笑を浮かべた。
「うーん、じゃあ皇帝は何をしようとしているの?」
「陛下はこの国を変えようとしているわ」
「変える?何を変えるっていうの?」
「そうね。表面上では家柄に関係なく側近に抜擢したり、新法を制定したりと改革が進んでいるようだけど……未だに旧都に在する旧皇族、名門を傘に増長する大領主、不穏な空気の絶えない南部など憂慮する点は多いわ」
「ふーん。それで?」
 ユンは退屈そうに相槌を打った。
「陛下はそれを一気に片付ける気よ。レナードの企みまで利用してね」
「あいつらしいね……また多くの血を流して自分の流れを作るんだ」
 遠くを見るような眼でユンは笑った。
「ユン………大丈夫。そうならないよう陛下はちゃんと手を打ってあるわ」
「そう……海の向こうではどれだけ人が死のうが関係なかったのにね」
「それは………」
 怒りは感じられず、微笑みすら浮かびそうな顔で話すユンにフィルツは言葉を継ぐことが出来なかった。

「ねぇ、東征のときからお姉さんはあいつに仕えていたの?」
 ユンが不意に沈黙を破った。
「えっ……?」
 意外な問いを投げかけられてフィルツは戸惑った。
「そうね―――」
 逡巡するような表情を見せたフィルツだったが、決心したように一息ついて話し始めた。
「こうなることは私が生を受けたときから決まっていたのでしょう」
「どういうこと?」
 ユンは怪訝そうに眉をひそめた。
「陛下の父君、ヴァルセン・シュピッツ卿には正、側2人の奥方があったの」
 それは知ってるとユンは頷いた。
 次の言葉を継ぐのを躊躇うように息を吐いたフィルツだったが、やがて決心したように視線を真っ直ぐユンに向けた。
「……私は母がシュピッツ卿の側室になる前の子供なの」

「ちょ、ちょっと待って!……そうなると―――」
「そう。私はレナードと異父姉弟になるわ」
 突然の告白にさすがのユンも愕然となった。
「母がシュピッツ家へ上がるとき、私はまだ幼い子供だったわ。当然私を連れて行けるはずもなく私は里子に出されたわ。
その日母が悲しそうな顔をしていたのは覚えているけれど――」
 まさかそのままいなくなるとは思わなかった、とフィルツは苦笑した。
「その後、新しい家での生活にも慣れ始めた頃にどうしてか私の存在を知った陛下は密かに私を呼んだの……この稼業はそのときからよ」
 そう言ってフィルツは自嘲気味に笑った。
「そうなんだ……あ、ということはそこでお姉さんの母上に再会できたの?」
「ええ。影から覗いたときに優しい笑みを浮かべて男の子、レナードの手を引いていたわ。
すべてを知ってショックな気持ちもあったけど……私は表に存在してはいけない、影に生きるべきだとそのとき決心したわ」
「お姉さん……」
 ユンは申し訳なさそうにフィルツを見やった。
「いいのよ、ユン。私は陛下の為に数多くの謀略や汚い仕事で動いてきたわ。それでもあのときの決断を後悔していていないわ」
 フィルツは揺らぎなく言い切った。
「そう……なら僕が口出しすることなんてないね」
 そう言ってユンは優しく微笑んだ。

「とりあえず質問の答えはこんな感じでいいかしら?」
「うん。で、これからどうするの?」
「そうね、一度城に戻って陛下に報告しましょう。日が暮れてから城に続く秘密の通路に案内するわ」
 それまで休むといいわ、とフィルツが言って席を立ちかけたとき。
「やぁ、いるねぇ♪」
 親しい友人の家を訪ねるような声とともにドアが開かれた。
「れ、レナード兄ちゃん!?」
「ユンちゃん、また会ったね。フィルツありがとね〜」
「――!?お姉さん?」
 ユンは間違いであってほしいと願うように大きな目でフィルツを見た。
 その淡い期待ははかなく消えた。

「……約束の物はちゃんとあるのでしょうね?」
 ユンの視線を避けるようにレナードに向き直ったフィルツは冷淡に言った。
「ご心配なく〜ほら♪」
 レナードが外で待機する仲間へ合図すると木箱が運び込まれた。
「鉄砲100挺だよ」
 フィルツは無表情でレナードの横を抜けて箱を開いた。
 中には藁を間に黒光りする鉄砲が詰められていた。
「確かに……受け取りました」
 鉄砲を手にとって確かめたフィルツはゆっくりと箱に戻し、静かに言った。
「んじゃ、取引は成立だね。ユンはもらっていくからね」
「……好きにすれば」
 痛いほど見つめるユンの視線から逃れるようにフィルツは背を向けて言った。
「お姉さん!さっきの話は全部嘘なの?」
「ユンちゃん、この人はそれが仕事なんだから。いいから行こ」
 レナードに手を引かれながらも懸命に話し掛けるユンにフィルツの肩がぴくりと震えた。
「………簡単に信じるなんて甘いわよ」
「お姉さん……」
 フィルツは背を向けたまま冷たく言った。
「人を信じられなくなるなんて哀しいよ!」
「ふっ……人を信じるたびに裏切られてこれ以上何を信じるというの?所詮、あなたとは身分も境遇も違うのよ」
 ゆっくりと振り返ったフィルツは弱々しく伏目がちに言った。
「そーゆーことだからさ、もういいでしょユンちゃん」
 そう言って連れ出そうとするレナードの手をユンは振り払った。
「甘ったれはどっちだ……確かにお前らとは境遇が違うな。味方の、指揮官の裏切りで地獄に叩き込まれて目の前で兄者を失ったからな。
その上、裏切りを策したキリア姉さんに助けられ、戦を起こした男の国に暮らしている」
 レナードとフィルツをきつと見据えてユンは顔に似合わない厳しい声で言った。
「もちろん兄者を失った事は許せないよ。だからといってお前らみたいに裏から人々を弄んだりしない。
そんな事をしても兄者が帰ってくるわけでもないし、そうしたら兄者の命を奪った者と同じ、いやそれ以下になるだけだからな」
 ユンは目に怒りの炎を灯しながら驚くほど辛辣で冷え冷えとした声で言った。

「ふふっ。そんな怖い顔しちゃってどうしたのユンちゃん?」
 レナードは小馬鹿にしたような薄笑いを浮かべた。
「確かにユンちゃんの言う通りかもね。僕らは卑怯で汚いはず。
ユンちゃんみたいに真っ直ぐ信念を貫けたら幸せだろうなぁ」
 挑発するようにユンに笑いかけた。
「異母兄さんのやろうとしている事も一理あるけど……まだまだ不充分だね。だから僕らだけが馬鹿見ないように最初っから国をやり直すわけさ♪」
 レナードはえっへんと自慢するように胸を張った。

「言いたい事はそれだけかい?」
 冷たいユンの声は部屋の温度を下げるほどの殺気を帯びていた。
「さすがだねぇユンちゃん。どうするの?ここで僕を殺しちゃう?」
 相変わらずふざけたようにへらへらと笑うレナード。
「そんな無駄なことしないよ。お前を捕まえて姉さんと兄さんにプレゼントするさ」
「えっ!?ユンちゃんもそう思ってたの!」
「……どういうこと?」
 奇遇と手をあわせたレナードにユンは眉をひそめた。
「うふっ♪こういう事だよ。みんな!逆賊を捕まえて!」
 レナードの一声でドアが蹴破られ、薄緑の制服に鎖帷子を纏った一団が踏み込んできた。

「ラシエール卿!お怪我はありませんか?」
「うん。あのかわいい子だけど注意してね」
 憲兵隊の隊長はレナードに短く返事をした。
「くっ……!」
 両側から憲兵に抱えられたユンは、血が滲みそうになるほど唇を噛み締めながらレナードとフィルツを見つめた。
「………まだ、まだ僕は負けていないからね」
「ふふっ。その姿を見るとキリアもレオンもびっくりするだろうね。じゃ、また城で」
 兵士2人に急き立てられて連れ出されるユンにレナードはひらひらと手を振った。

 突然の展開にフィルツは呆然と立ち尽くしていた。
 ――どういうこと?憲兵隊だなんて聞いてないわ。
 フィルツは動揺を隠せず、視線をきょろきょろさせていた。
 やがておとなしくユンが連行され、室内が少し落ち着いたときレナードへ説明を求める視線をなげかけた。

「さて……」
 その視線に気づいたのか子供っぽい笑みを浮かべながらレナードが振り向いた。
「あの女も一緒に連れてって」
「なっ!?レナード!」
 フィルツの顔からさっと血の気が失せた。
「裏切るつもり?洗いざらい話してもいいの?」
「じゃ、後は頼むよ」
「はっ!お任せを」
 既にフィルツは眼中に入っていないように隊長へ指示を与えたレナードは穏やかな笑みを浮かべて出口に向かった。
「レナード―――!!」
 フィルツの悲鳴に近い叫び声を聞き流しながらレナードは外へ消えていった。

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