キリアが言った通りテーブルの上にはお菓子と紅茶が用意されていた。 「わ!こんなにたくさん!」 顔を輝かせたユンはテーブルに駆け寄った。 どれから食べようかしばらく目を左右させていたユンは一口大の丸いチョコレートを手に取った。 「お〜いしい〜〜」 ミルクのまろやかな甘さとチョコレートのほろ苦さが絶妙に溶け合っていた。 ユンはほっぺたを押さえながら幸せそうな表情を浮かべた。 続いてサクサクのパイ生地にりんごがたっぷりのアップルパイ、こおばしいアーモンドクッキーを食べて最後に暖かい紅茶を飲んだ。 「もう食べられないや……」 半分以上皿を空にしたユンはお気に入りのテラスの長椅子に落ち着いた。 屋敷には家事をこなすメイドがいるのだが、主のいない屋敷は静かさが際立っていた。 「姉さんたちいつ戻るかなぁ」 手にしていた本を脇に置いたユンは足をぷらぷらさせ始めた。退屈というサインである。 そのとき来客の気配がした。 「あのーユン様、お客様がお会いしたいそうですが?」 「え?僕に?」 「はい……」 「誰だろう?」 「それが―――」 当惑の色を浮かべるメイドの横からその客人が顔を出した。
「こんにちは。ユン君久しぶり〜」 力が抜けてしまうような挨拶をした人物はレナードだった。 「レナード兄ちゃん?」 「わぁ、覚えててくれたんだ〜うれしいな」 そう言うとレナードはいきなりユンを抱きしめた。 「ちょっと!兄ちゃん!」 ユンは慌ててレナードを引き離した。 「つれないねぇ〜挨拶だよぉ」 懲りずにレナードはその甘い顔に笑顔を浮かべる。 「あ、君もういいよ。ありがとね」 目のやり場に困っていたメイドにレナードはウインクを添えてお礼を述べた。 メイドは恥ずかしそうに一礼すると逃げるように部屋を後にした。
「で、兄ちゃんの用事は?」 「ユン君〜レオンの真似しちゃだめだよ。と、用件はー」 おどけながらレナードは話し始めた。 「キリアたちは?」 「城に行ったみたい」 「そっかぁ……道中で色々大変な事があったみたいだから聞かせてもらおうと思ったけど……入れ違いになっちゃったなぁ」 そのまま待ってればよかったなぁ、とレナードは残念そうに言った。 「ねぇ、兄ちゃん……僕も一緒に行ったんだけど?」 キリアからも留守番を命じられた事もあり、ユンは自分が勘定に加えられてないことが不満そうに頬を脹らませて言った。 「あ……!そうだよ!」 レナードは大発見したような大げさな態度でユンの手を取った。 「このまま待っててもいいけど……僕の屋敷でいい?そこならキリアたちも城からの帰りに近いし」 「いいよ。あ、そうだ……」 ユンはふと思い出したようにほったらかしだった荷物の中を探り出した。 「そうそう、これ」 取り出したのは赤茶けたウィルバーンからの手紙であった。 「なぁにそれ?」 手渡されたレナードはよくわからないと言う風に首を傾げた。 「さぁ?そこんところ僕もわからなくて。先に兄さんには見せたんだけど、姉さんにはまだなんだ」 「ふーん。じゃ、ついでにこれも持っていく?」 ユンは2つ返事で了承した。 「そろそろ行こうよ。外に馬車を着けてあるからね」 楽しそうに席を立ったユンに続いてレナードがゆっくりと続いた。 そのときレナードの口元に冷たい笑みが浮かんだのをユンが気付くはずも無かった。
「なるほど………ご苦労だった。ルード・ヒレン卿は近いうちに帝都へ召喚しよう」 キリアから経緯を聞かされたフェリアスは落ち着いた声で言った。 「このところきな臭い事が多い。ネーベルン一派が動いているらしいが………その件についても調べてもらいたい」 フェリアスの表情はさほど変化しなかったが、眼光がぎらりと鋭くなっていた。 「は………」 キリアは怪訝そうに返事をした。 「陛下、僭越ながらこの手の調査は私よりラシエール卿、内偵省の方がよいのでは……?」 「レナードか。やつは……」 言いかけたフェリアスの顔が珍しく一瞬曇った。 「いや。ラシエール卿には別の事を頼むとする。キリア、この件はそなたらに任せる」 「はっ!」 キリアはぴしっと背筋を伸ばし、一礼してフェリアスの前から辞した。 衛兵が重い扉を閉めたときキリアは1つ息を吐いた。
一瞬見えた陛下のあの表情は?………そしてネーベルン一派か。 ――今は考えてもしょうがない。家ですねているやつも居るだろうし。
ユンの顔を思い浮かべてほころびそうになった顔をこらえてキリアは城の出口へ歩き出した。
「よぉ。遅かったな」 太い柱と高い吹き抜け天井の正面入り口でレオンが待っていた。 「レオン。待っていたのか」 「女性1人置いて帰れるかよ」 螺旋模様の柱に寄りかかっていたレオンはにぃっと歯を見せて笑った。 「馬鹿が……」 キリアはふんと鼻を鳴らしてレオンの前を通り過ぎた。 「っておい!待ってたんだから少しくらい喜べよ!」 「待ってる相手がお前以外ならな」 そっけなく言ってキリアは再び歩き出した。 キリアは背後で石廊に響く自分の足音に重なって、慌てるレオンの足音を聞いていた。
城を出た2人は灯りの灯り始めた通りを馬に揺られていた。 「なるほど。ネーベルン一派ねぇ……今更過去の名声にとらわれる方々が何をするんだか」 フェリアスとの話を聞かされたレオンは困ったという風に肩をすくめた。 「そうだが……未だ旧都へ忠を寄せる諸侯も少なくないという。調べて困ることはないだろう。それに――」 キリアは一瞬フェリアスが垣間見せた表情のことを言おうとしたが口をつぐんだ。 逡巡しているキリアの表情を見てレオンはふと話題を変えた。 「お、久しぶりに邪魔なく月が見えるな」 オードレッド城は平城だが、第2、第1城郭部分は1段高く造られている。 第2城郭から見下ろす夜の城下町も見事だが、澄んだ夜空に照る月が鏡写しのように海面へ光っていた。 「ああ。ふっ、どうした急に?お前らしくもない」 相槌を打ったキリアはその内容を思い返しておかしそうに口元を緩めた。 「たまには感傷にも浸るさ。……10年前を思い出すなぁ」 遠くを見つめるような目でレオンも頬を緩めた。 キリアはその怪しい雰囲気に眉をひそめた。 「あの舞踏会の帰り道もこんな月の夜だったなぁ」 「レオン!」 制止しようとするキリアをうまく手綱を操ってかわしたレオンはさらに続ける。 「夜風に吹かれていたらいけ好かないおっさんが女の子に絡んでいて、そいつをぶん殴って街路を走って逃げた」 「おい、止めろ!」 「……さすがにあれが婚約者とは思わなかったな。で、今横で怖い顔して馬を操ってるのがあの女の子だとは………それも予想外だなぁ」 レオンは参ったな、と頭をかいた。 「お、お前があの夜あんな事するから私は――」 むきになって言い返すキリアだったが途中で口ごもってしまった。 「おい………この話、ユンには言うなよ!」 結局言いかけたことを諦めキリアはきつとレオンを睨んだ。 「あの夜はドレス姿が似合ってたぜ?――っと!はっははは!」 キリアの振りかざした鞘入りの剣をかわしたレオンは笑い声を残しながら駆けていった。 「許さんぞ!レオン!」 頬をわずかに赤らめたキリアも後を追った。
「おーいユン。帰ったぞ」 「おかしいな。いつもなら馬蹄の音に気付かないはずはないけどな」 留守番で退屈したユンが弾丸のごとく飛び出してくるはずだったが、予想外の静かさにキリアとレオンは拍子抜けした感じで顔を見合わせた。 「お帰りなさいませお嬢様、レオン様」 40代半ば頃の温厚そうな女性がせかせかと歩いてきた。この屋敷で家事を行うメイドのミシェルである。 小柄で温厚な顔は小動物を思わせるが、年齢を感じさせないてきぱきとした動きで次々と仕事をこなす。 ミシェルはキリアが幼き頃から付き従っており、ヴァンツ家から飛びだした際にも漏れずに行動をともにした。 「ユンはどうした?待ちくたびれて寝ているのか?」 客間に場所を移すとキリアは正装を解く前に聞いた。 レオンもどこへ隠れているのかとしきりにあたりを見回す。 「あの……それが――」 ミシェルは来訪者があった旨を話した。 「レナードが?」 「一体何であんなやつが?」 またまた予想外な事に2人は首を傾げた。 この夜を境に帝国を揺るがす歯車が回り始めたと気付くはずも無く。
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