「よっと。ちょっと大きめだけど、こんなもんでいいか」 城壁の展望スペースから抜け出してきたユンは、武器庫から見つけてきた薄鎧を身に付けた。手には先ほど上でシェリルから借りた槍が握られている。 「どうやって向こうに行こうかなぁ」 宿舎の裏の壁にもたれかかりながらユンは考えた。 「しょうがない。どうせ道は1つだけだ」 覚悟を決めた、というより楽観的な表情でユンは立ち上がった。
平たい本城から東、城壁に沿って宿場と兵舎を兼ねた木造の建物が建っている。意外なことに本城より高く、屋根はなだらかな傾斜を見せる三角である。 宿舎側の厩舎前には手綱を引いた従士の姿があった。馬は茶色で引き締まった足回り、つややかな毛並みをしていた。管理のよさがひと目でわかる。そのような馬を持つ騎士はなかなかの階級であろう。 従士は馬をなでながら上官を待っていた。やがて宿舎の扉が開き、面無しの兜を脇に抱えた騎士が宿舎前の階段を降りて馬へ近づいてきた。 「悪いね、借りるよー」 上官に一礼をしていた従士はいきなり馬上から声をかけられて仰天した。しかも聞こえてきた声はとても騎乗できるとは思えない少年の声。 「じゃあねぇ〜」 少年はなれた手つきで手綱を操ると馬はあっという間に従士の前から走り去っていった。 従士は呆然と遠ざかっていく馬蹄の音の後を眺めていたが、憤怒の形相で近づいてくる上官の怒声で慌てて馬を追った。
跳ね橋前の街道を封鎖する兵達は、不思議な一行が城内に入って以来誰1人街道に現れないので少々退屈そうに立っていた。 「ギュフィ隊長遅いなぁ」 「あぁ。なんだか変な一行と中に入ったきりだな」 警戒に当たっている帯剣姿の歩兵が、隣にやってきた槍持ち歩兵に声をかけた。 「もしかして・・・・・・例の鬼姫様に弓で―――」 「ま、まさか!きゃ、客人を案内しただけでそれは・・・・・・」 槍兵は否定しようとしたが語尾が尻すぼみになっていた。 「お、戻って――隊長じゃないな?」 「あぁ。それにやけに小さい」 テンポの速い馬蹄の音が橋から聞こえたので話していた2人の兵は緊張したように背筋を伸ばした。しかし騎乗の者は見慣れぬ騎士で2人は首を傾げた。 「指揮官の命により街道を通してもらう」 「えっ!?」 見慣れぬ騎士は近づいてくるなり予想もしないことを告げた。 「そ、それは・・・・・・一体どのような用件で?街道の封鎖はケーニッヒ様自らの命ですが・・・・・・」 槍持ちの兵が恐る恐る聞いた。 「えと――おほん!重要な書簡を預かっている。急ぎ届けねばならない」 どうも騎士の様子はおかしかった。確かに士官らしき言葉を発しているものの、声自体が子供っぽくてたちの悪い冗談にしか思えない。また見に付けている装備も大きめでサイズが合っていない。 「失礼ですがお名前を?」 帯剣姿の兵が不審の色を強めて聞いた。 「そいつを止めろー!!」 そのとき橋の方から怒声を上げながら兵の一団が駆けてきた。 「あ、意外と早かったや・・・・・・しっつれーい!」 「あっ!?」 「こらまてっ!!誰かー!その馬を止めろー」 2人が止めようとしたときには遅く、騎馬は2人を軽く押しのけると跳ねるように封鎖線を駆け抜けていった。
「ふぅ、あぶないあぶない。後は――」 ユンは馬を止め、馬首を再び騒然とする封鎖線へ巡らせた。 「早く捕まえないとリアンに怒られちゃうよ〜〜!」 街道いっぱいに響き渡るユンの声に騒然としていた封鎖線の兵達はぴたりと動きを止めた。その一瞬の間を置いて兵達は堰を切ったようにユンに向かってきた。 「上出来〜」 満足そうな笑みを浮かべるとユンは、封鎖線を抜けるときに掴んだキト騎士団の旗印を掲げて紛争真っ只中へ馬を走らせた。
「全く、あのような老いぼれの軍勢にてこずりおって」 兜を脱いで本陣に腰掛けるルード・ヒレンはぞんざいに腕で額の汗を拭った。 ルード・ヒレン卿は口髭を生やし、色白でひょろりとした中年男性である。戦場であるので甲冑姿であるが似合うとは言いがたい。戦場に立つよりもサロンで紅茶を飲んでいるほうが似合いそうである。 見た通り戦いの指揮も得意ではなく、キリアを感心させた鮮やかな用兵も部下の進言によるものであった。 「ヒレン様、ヴェルス勢は居館へ退却しました」 「うむ。引き続き包囲を続けよ」 「は・・・・・・・・・」 報告に来た副官は自身たっぷりに命令を告げる主を怪訝そうに見た。 「何だ?まだ何かあるのか?」 「いえ・・・・・・しかし、1つだけ言わせていただけるなら」 ヒレンは尊大に騎士へ発言を促した。 「では。軍を動かしただけでも我々は十分非難の対象にあります。ヴェルス勢が撤退したのならこれ以上とどまる理由は・・・・・・・・・」 「またその話か。大義はこちらにあると何度言ったら分かる?我は農地を荒らされた領民、ひいては陛下の安全のために軍をうごかしたのだ」 ルードはうんざりしたように副官に言った。 「ですが!ヴェルス勢に弁解する間を与えることなく戦いになったわけですし・・・・・・このことが露見しましたら――」 「だからこそ完全に叩かねばならんのだ。勝てば官軍。それくらいも分からず軍人をやっておるのか?」 「・・・・・・仰せのままに」 一方的に自論を押し付けるルードに副官は表情を押し殺してルードの前から下がった。身を翻して数歩だけ。 「どうした?」 「あ、あれを!」 凍りついたように立ち止まった副官がクイーク方面を指差しながら驚愕の表情でルードを振り返った。 副官のただならぬ様子にルードもようやく重い腰をあげた。 「ば、ばかなっ!クイークが動くとはありえん!!他家の紛争に皇帝領の兵が動くわけが!」 ルードは色を失った。キト騎士団の旗印である交差した矢と弓の紋を掲げた騎馬一騎を先頭に、歩兵20余りの一団がルードの陣へ向かっていた。
ヴェルス領主館目指して馬を駆るユンは時折後ろを振り返って自分の追っ手を確認した。 ――もう少しついてきてね。 ヴェルスへ続く橋前にはテール勢の本陣が構えられていた。 本陣のテール勢は約50人。後詰隊と領主警護隊であった。 全面でヴェルス館を包囲し勝利を確信しきっていたテール本陣は厳しい警戒態勢ではなかった。特に背後、クイーク方面からの備えは。 陣内は兵卒のみならず、騎乗士も往々として動揺が広がっているのがひと目で分かる。 「無用な戦を止めよー!!皇帝の名において即時撤退を命じるー!」 一言も本当の事は含まれていないがユンは凛とした声で淀むことなく言い切った。ユンの一言でテール陣は、前線で勝っていながらも後陣は敗走寸前の様相に包まれた。 ユンの駆る馬はテール陣内へ入った。動揺する陣内では立ち塞がる者は無く、割れるように道が開いた。 左手に指揮官がいると思われる帷幕が見えた。駆け抜けながらちらりと帷幕内へ目を向けると、顔を青くした文弱そうな中年男と付き従う甲冑姿の騎士がたたずんでいた。 ――じゃあねぇ! 帷幕の前を通過しながら中の人物へ小さく手を振った。 ユンはさらに馬を駆らせヴェルス側へ通じる橋をあっという間に越えていった。 疾風のように駆け抜けていった騎士が幼げで華奢な少年であった事など誰一人として気付く者はいなかった。
一方、ユンが抜け出したクイーク城も大騒ぎとなっていた。 「な、なんですってぇ!?」 リアンは美少女にあるまじき大声をあげた。 「お、おい本気かよ・・・・・・」 レオンも唖然となった。 「はい・・・・・・少々ぶかぶかな甲冑を着て騎乗しておりました。リアン様の名を出して半ば強引に封鎖を・・・・・・」 がらんとなった街道封鎖線に残った帯剣姿の兵が冷や汗を流しながら懸命に言った。 「それで城内から追ってきた一隊と封鎖線を守る一隊が見事ユンに乗せられたというわけか・・・・・・」 キリアは悪夢を振り払うかのごとく頭をふった。 「も、申し訳ございません!」 同じく封鎖線に取り残された槍持ち歩兵が地にひれ伏さんばかりに頭を下げた。 「わ、わたしからも!街道の指揮を任せられながらこのような――」 「当然ですっ!」 問い詰められる部下を哀れに思い、上官であるシェリルも謝罪しようと進み出た。その行為はリアンの鋭い声によってあっさり切られた。 「全く!あたしの名前が出されたら誰でも通すの?少し考えたらあたしがそんな無茶な命令するわけないのに!」 2人の歩兵とシェリルはお互いに目配せし、首を横に振りたいのを必死に我慢した。 「まぁまぁ、誰でも上官の名を出されたら怯むさ。その辺で許してやれよリアン」 すくみ上がる3人がかわいそうになったのかレオンが仲裁に入った。 「すんだことを喧嘩するよりこの先をどうするか考えような?」 爽やかな面貌で穏やかになだめるレオンに渋々リアンは怒りの矛を収めた。 「で、どうする?」 レオンはキリアの判断を仰ぐが、その内からは出撃したいという気がありありと見て取れた。 「どうする?ですってぇ?決まってます!!今すぐに連れ戻します!」 レオンが待っていましたとばかりに武器庫を探す。 「レオン様。言っておきますが交戦はぜーったいに認めません!」 「わ、わぁってるよ!こんな飾りのような剣ではいざというとき役に立たないだろ?」 可憐な顔の裏に隠された鬼っぷりにレオンも手におえないという感じであった。 「いいですね皆さん。位では上のヴァンツ様、レオン様もここではわたしの指示に従って貰います」 キリアは無言で頷き、レオンはどうにでもしてくれと両手を軽くあげた。 「余り大人数で向かっても事態を悪化させるだけですから―――5,6人でいいわ。わたし、ヴァンツ様、レオン様、シェリル、それとそこに突っ立っている2人もよ!行くわよ〜〜!」 キリアとレオン以外で指名された3人は弾かれたようにリアンの後に続いた。 「まるで奴隷だな・・・・・・」 「だな。キリア、お前より上がいたとはな」 神妙な面持ちで言うレオンの顔をキリアは一瞥した。 「あのお嬢さんが鬼姫様と言われるのが分かるな」 「鬼姫か・・・・・・そう言えばある噂を聞いたことが」 レオンはふと思い出したように言った。 「ある地方の武官に天才とも言われる弓使いがいて、それがうら若い少女らしい。その少女の逆鱗に触れたものは・・・・・・・・・頭の上に的をつけられてそれを何度も射ぬかれるという」 聞き終えたキリア、話終えたレオンはしばしお互いの視線が交差した。 「「今なら信じるな」」 珍しく2人の意見が重なった。 キリアとレオンは前の4人と開いた距離を詰めるため足を速めた。
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