鉄壁の城塞・鉄の宮殿など華やかさからかけ離れた別名を持つオードレッド城だが、皇帝寝殿裏には小さいが心の和む落ち着いた感じの庭園がある。 意外なことにこの小さな庭園は城内外の装飾を省かせた皇帝本人が造園を命じ、皇帝専用の禁園としている。 寝殿の裏から飛び石状に丸い石版が若芽の吹きだした緑の絨毯上に並んでいる。緑の絨毯に並ぶ飛び石は柔らかに木漏れ日がそそぐ葉桜の下に続いていた。桜の木の隣にはよく手入された小さな花壇があり、爽やかな色の花が控えめに咲いていた。 そして花壇の奥には花々に隠れているように白い墓石があった。墓石に刻まれていた名は「セリエス」。
日が庭園の緑をより鮮やかに輝かせる昼下がりに1人の男が庭園に足を踏み入れた。長身で大きめの歩幅がゆっくり、確実に庭園の飛び石を踏みしめる。 紺色で裾の長い片側ボタン留の軍服を纏い、引き締まった腰をベルトでしめていた。手首よりやや上に袖を捲り上げた腕には花束を抱いていた。 男――フェリアス・シュピッツは花壇に隠れる白い墓石の前に立った。1人になっても宮中と同じく怜悧で感情を表に出さない鉄の表情を保っていた。 そしてフェリアスはそっと抱えた花束を墓石に供え、しばらく墓石の前で誰かと対話をしているようにたたずんでいた。
「異母兄(にい)さん。それとも陛下って呼んだほうがいい?」 フェリアスは背後からいたずらっぽい少年のような声に呼びかけられた。 ゆっくりと振り向いたフェリアスの前にはいつの間に庭園に入ったのか、柔和な笑顔を浮かべる少年のような男が立っていた。 男はフェリアスと同じような青の服で、腰には儀仗用の剣を帯びていた。 「ラシッド侯・・・・・・」 「ひどいなぁ異母兄さん。兄弟には変わりないんだからレナードって呼んでよ。誰も入ってこれないんだから」 「お前が入ってきているのにか?」 「んもぅ!相変わらず異母兄さんは冷たいなぁ」 男はレナード・フェル・ラシエール。身長はフェリアスよりやや低いが、平均的な男性に比べると高いほうだろう。色白な肌に小顔で年齢を推測しがたい童顔の持ち主で、空を思わせる碧眼に、耳を覆う程度のさらさらした金髪が目を惹く。じっと表情を現さないフェリアスに対してレナードはやんわりとした笑みを絶やさず、喜以外の感情は忘れたような優男に見える。 「ラシッド――レナード、何用だ?」 「やった!異母兄さん、呼んでくれてありがと」 「・・・・・・・・・もう25だ。お前のその性格何とかしないか?」 「え!?何か問題?」 レナードは真意を計りがたい童顔で、困った少年のように首を傾げた。 「もういい。それより質問に答えていない」 「そうだね。ってここ、僕の母の墓でもあるんだもん。来てもおかしくないでしょう?」 レナードは穏やかな笑みを浮かべたまま言った。 セリエスはシュピッツ家前当主であり元宰相、そしてフェリアスとレナードの父でもあるヴァルセン・シュピッツの第2夫人であった。女中であったセリエスを見初めたヴァルセンが第2夫人とし、そのとき生まれたのがレナードであった。 「そうだ・・・・・・しかしお前と鉢合わせになったことはこれまで無かった」 「あは、ばれた?わかったよ。ほんとはぁ、おもしろい報告があったから来たんだ」 「・・・・・・わかった。中に入ろう」 無駄のない動きで身を翻したフェリアスはレナードを伴って寝殿の中へ入っていった。
「うわぁ・・・・・・この前来たときより酷いなぁ。僕の部屋より殺風景だよ。ここって本当に皇帝の寝殿?」 レナードは小さな円卓を前に、数本の酒瓶と紋章旗だけが並ぶさっぱりしすぎた部屋を見てあきれたように言った。 「私にはベッドと机、少しの酒があれば他は要らない。装飾にかける資金は他へ回したほうがいい」 「それにしてもねぇ・・・・・・皇帝の部屋なんだしさぁ、ちょっとくらい飾ってもいいと思うよ」 元々寝殿には10以上の部屋があったが、今では寝室、食堂、皇帝私室の3部屋だけになっている。残りのスペースは武具や糧食を備えた備蓄庫となっている。 「それで?おもしろい報告というのを聞かせてもらおうか、内偵省大臣」 フェリアスはレナードの向かいに腰をおろして言った。 「うん。北市街でさ最近妙な信仰が流行ってるの知ってる?」 「ああ。お前から聞いた」 「そこでさぁ、警士が殺られたって言ったね?」 フェリアスは知っていると小さく頷いた。 「で、昨日その北市街で結構派手な斬り合いがあったんだ。なんとうちのエース、レオン君まで参加してたんだよ。あ、そうそうあのかわいい坊やも一緒だったんだ」 フェリアスは頷いて先を促した。 「あ、どうも」 そのとき女中が2人分の紅茶とナッツの乗った小さなクッキーを運んで来た。レナードは運んで来た女中に紅茶まで甘くなりそうな笑顔を送った。女中は耳まで赤らめて急ぎ足で部屋を出て行った。 「・・・・・・・・・先を頼む」 「はいはい。それで、何とかこっちが勝ったんだけど・・・・・・憲兵隊に6人犠牲がでちゃって」 「憲兵隊が?・・・・・・何者だ?」 レナードは残念だけどと首を横に振った。 「だけど落し物から少しは分かったよ」 そう言ってレナードは紅茶とクッキーの横に抜き身の剣を置いた。剣はレナードが帯びている物の半分ほどの長さであった。 「これは小剣か。・・・・・・!?やけに軽いな」 「そうです。特殊な金属で作られています。鉄と他の鉱物が合成されています」 「これを作れる職人は?」 「・・・・・・僕にも心当たりがないです」 レナードは申し訳なさそうに目を伏せ、フェリアスは無言で小剣を机に戻した。 「ただ・・・・・・この剣には紋がありました」 「ああ。見た」 机の上に戻された剣の柄には向かい合った獅子の紋が刻まれていた。 「旧都の者か。しかしなぜ足取りがつかめるような紋を刻んでいる?」 「確かに。僕もこの紋が直接のつながりとは思えません」 2人は手詰まりというようにしばらく沈黙した。やがて2人は思い出したかのように紅茶を飲み、クッキーをつまんだ。 「ふぅ・・・・・・この件は持ち帰ってさらに調査するね」 「頼んだ」 空気を変えようと微笑みながら言ったレナードだったがフェリアスは真一文字に結んだ口を緩める事は無かった。 「ねぇ!そういえば調査を頼まれていた例の鉱物、使えそうだよ。粉状にするとね少量で凄い爆発を起こすんだよ」 「ほぅ・・・・・・お前ならそれをどう使う?」 「んー・・・・・・・・・その爆発力で矢に変わる物を飛ばせたら画期的」 物騒な話に似合わない笑顔をつけてレナードは言った。 「ではその方向で頼む」 「また簡単に言っちゃってぇ」 わざとらしくむくれた真似をするレナードを前にフェリアスは、もう話は終わりとばかりに立ち上がった。 部屋を出て行くフェリアスの背を見送ったレナードはもう1つクッキーを口に放り込んで立ち上がった。 「期待しててね」 誰もいなくなった室内でレナードはポツリと言って、どこか寒気がするような笑みを浮かべた。
騒動を受けて北市街は帝都憲兵隊の管理下に置かれていた。昼夜問わず鎖帷子と軽装甲に身を包んだ憲兵が2人1組で警らしている。 物々しい雰囲気で満ちていている北市街であったが、路地の一角に30から40人ほどの異様な行列ができていた。並ぶ人々は着の身着のままといったぼろぼろの格好で、上から薄汚れた布やローブを被っていた。 始めのうちは憲兵隊もこの行列を解散させていたが、何度散らしても数分後には再び並び始めるので今ではあきらめて監視だけにとどめていた。 その行列の中に、他の人々とは違って上等な黒ローブで顔まですっぽり覆った男達が4人いた。腰をベルトできゅっと絞っているので一見修道士にも見える。 憲兵はその風変わりな男達を注意深く監視していたが、人ごみにもまれ路地奥にぽつんと開かれた扉の奥に消えていった。
「待っていたわ。人払いを・・・・・・」 黒ローブの男が入ってくるとフィルツは待ちかねたように立ち上がった。小鬼のような使いに人払いを頼み、布でしきられた奥の間へ4人の男を案内した。 ローブの男達は、一番背の高い男を上座にそれぞれ腰を下ろした。そして顔を覆うローブを解いた。 「シュワルツ、この間は大変だったようね」 「あぁ・・・・・・手当てに感謝する」 上座に座る背の高い男、シュワルツ。あの黒騎士のリーダー格である。意外なことにその顔は端整な顔つきで、落ち着いた青い目をした寡黙な青年であった。 「いえ・・・・・・シト、ガルフ、具合はどう?」 「何とか元通りつながりそうだ」男はまだ生々しく血の滲む左手の包帯を小さく掲げて見せた。 レオンに左手を落とされそうになった男がシトであった。シトは髪を短髪に刈り込み、日に焼けた顔は戦なれしたベテラン兵士を思わせる飄々とした中年男であった。 そしてユンに矢を突きたてられたもう1人の男がガルフであった。 ガルフは石像を思わせる四角い顔で、獲物を求める獣のようにぎらついた目をしていた。また今でも甲冑を纏っているかのような体躯をしていた。 「あのガキ!今度こそ頭から叩き切ってやる!」 ガルフが右腕で机を叩くと金属質の音が響いた。 「残念ながらガルフの右肘から下は切るしかなかったわ」 ローブの下から冷たい輝きを放つガルフの右腕を見てフィルツは残念そうに呟いた。 「いや・・・・・・おかげで俺の右腕は最も頼りになる武器になったぜ」 ガルフは残忍な笑いを浮かべながら血の通わない右手を一同にかざして見せた。手の先は甲冑の篭手のようになっているが、そこは取り替えが可能で短剣や鉤といった武器を取り付けることも可能である。 「全く、誰かさんの矢が外れるから俺の腕はこんな事になってんだよ」 ガルフは腕を下ろすとからかうような声で一番端に座る男へ向かって言った。一番端に座る男は茶色の長髪に女性を思わせる色白の肌で、しなやかな手先はよく手入されていた。しかし気だるそうに見開かれた目には険のある輝きがある。 男の名前はシュトラフ。バルコニーから弓を射ていた騎士である。 「・・・・・・・・・悪い」 シュトラフは茶色い長髪の下からちらと感情のこもらない目でガルフを一瞥すると全く鷹揚のない声で言った。 「悪い!?それだけか?」 「他に言うべき事はない・・・・・・」 なおもからんでくるガルフへシュトラフはかかわりたくないとばかりに視線をそらした。 「てめぇ!前から気にくわねぇと思っていたら――」 「よせ。シュトラフの狙いは正確だった・・・・・・あの小僧の動きが予想外だった。そうだろう?」 掴みかかろうとするガルフをシュワルツの冷静な声がとどめた。ガルフはぶつぶつと恨み言を呟きながらも再び腰を落ち着けた。 「ユンね・・・・・・ユアンの英雄か。私はここでユンと何度か直接会っているけど、あのかわいい顔でシュトラフの矢を避けてあんな芸当をするなんて信じられないわ」 「・・・・・・・・・今後あの2人が我々に対して脅威になりえる」 「そうね。対策を考えておきましょう」 フィルツとシュワルツはお互いに頷きあった。 「俺ら兵隊は命令に従うだけですよ。なぁ、ガルフ」 「おうよ!・・・・・・おい!お前もなんとか言え!」 シトから合図を受けたガルフは力強く拳を握り掲げて見せた。 「フェリアスの首を獲る日もそう遠くはないだろう・・・・・・皆、頼むぞ」 室内には無言の同意が浸透していった。
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