我輩は猫である。名前はキャッチ、だそうだ。他人事のようだが…いや、他猫事か…千穂が勝手に付けた名前なんで気に入っている訳じゃぁないんだが、人間と暮らすには名前も無いと不便らしい。 「ただいま〜」 千穂のお帰りだ。 「“めし”」 「もぅ〜。お帰りくらい、言ってくれても、いいじゃないですかぁ」 誰が言うか。おかわりなら、言ってやってもいいけどな。 「でも、明日は出発なんだから、体調は整えておかないとネ」 あ…忘れてた。千穂がペットショップで当てた旅行の出発日が、明日だったんだ。ペットショップの出す景品だから、ペットの泊まれる宿な訳だ。人間なんてのは勝手なもんで、俺も行くもんだと決めて掛かりやがる。まぁ、俺も行くって言っちまったしな。飯も食わしてもらってんだから、少しは相手してやらねぇと。
しっかし、電車ってのに乗るのに、どうして俺が、こんなに窮屈な思いをしなきゃなんねぇのかね。千穂が車どころか免許も無ぇってんだから、仕方ないっちゃぁ仕方無ぇんだけど。人間は猫たちが、喜んで、こんな中に居るとでも思ってやがるんだろうか。 「キャッチ、お願いだから、静かにしててね」 わぁったよ。ったく、世話の掛かる奴だよな。大体、あのヘンテコなオモチャが無ぇと、こっちの言ってることが、判らねぇってのも、面倒な話だよな。 「キャッチ、駅に着いたからね。あとは一本道ですよぉ〜」 一本道ねぇ。それなら、迷子にゃならねぇだろうな。一眠りするとするかね。
にしても、なんか冷えてきたな…って、ここ何処だよ? 「あ、キャッチ起きちゃった? ゴメンね。ちょっと道、間違っちゃったみたいでさ」 勘弁してくれよぉ。山道か? ていうか、獣道に迷い込んだのか…拙いな。千穂に任せたんじゃ余計に迷っちまう。 「みゃぁっみゃぁっ!」 ちっ、あのオモチャがあればな… 「何? 出せっていうの?」 通じたのか? んなことは、ねぇよな。扉に爪立てて、ガリガリやってりゃ、いくら鈍い千穂でも気づくよな。 「ダメ…ここで、キャッチが居なくなったら、私、寂しいよぉ」 お前はウサギか? ったく、肝心なことが判ってねぇんだから。にしても、このままじゃ、拙いよな。あそこの野良に頼んでみるか。 『そこの黒いの、道判るか?』 『へぇ、飼い猫にしちゃ、眼が利くじゃねぇか』 言ってくれるな。けど、千穂を助ける方が先だ。我慢、我慢。 『この子を、道まで、連れ出してくれないか』 『おやおや、お優しいこって。何で俺が人間の為に、そんなこと、しなきゃなんねぇんだよ?』 こいつも、人間にろくな目にあってない口か。 『いいぜ、その代わり、その三食昼寝つきの場所を替わってくれるならなぁ』 この野郎…猫のくせに足元、見やがって… 『この子に迷惑掛けねぇってんなら、替わってやるよ』 『はぁ? お前、バカか? 飼い猫のお前が、野良で生きていける訳ねぇだろう』 『俺は元々、野良だ』 こいつ、冷やかしか? 「きゃぁっ!」 ちっ、加減の判らねぇ野郎だぜ、まったく。 『おら、これで出られるだろ。あとは自分で案内してやれよ』 『お前は?』 『さっきのは冗談だ。誰が人間なんかの世話になるかよ』 何はともあれ、助かったぜ。あとは千穂が俺を追ってくれば、道路に出るはずだ。 「あ、キャッチ、待ってくださいぃ〜」 しめた。後は千穂がついてこられる速度で逃げるだけだ。あの黒いのに、今度会ったら礼くらいは言ってやるか。 「はぁ、はぁ、キャッチぃ〜逃げないで…って、あぁ〜ホテルの前だぁ〜やったぁ〜」 ったく、やったじゃないぜ。こいつは、方向音痴なんてもんじゃないだろうが。 「よ、予約しておいた…あ、はい…。あの、キャッチ…いえ、猫は…あ、同室でいいんですね。ありがとうございます…はい…」 何、礼なんか言ってんだか。向こうだって、商売なんだから、こっちは客なんだぜぇ。 「キャッチ、一緒の部屋ですよぉ〜。ホテルによっては、ペットは別にペットホテルだったりする所もあるから、心配してたんですけど、良かったですね」 良かったのかねぇ。まぁ、一人にしておいたら、何しでかすか、心配で仕方ねぇしな。
こいつが、ホテルってとこか。なんか、落ち着きゃしねぇ。なんで、人間はこんな所で、のんびり出来るんだか判んねぇよなぁ。 「ジャァ〜ン!」 嫌な予感… 「千穂特製の、モコモコ耳栓だよぉ〜」 うっ、ちょっと待て…耳栓って…まさか…そいつは… 「ちょっと汚れちゃったもんね。ちゃんと洗ってあげるから」 そいつは風呂ってことか? や、やめろっ! 誰が風呂なんざ、入るか。猫は舐めときゃいいんだ。 「ん? 何か言いたいんですか? お風呂から上がったら、聞いてあげますからねぇ」 後じゃねぇ、先に聞けっ! おいっ、や、やめろぉ〜〜〜〜〜
ったく、酷ぇ目にあったぜ。 「“へたくそ”」 「ゴメンってばぁ…でも、キャッチが暴れるからですよぉ」 そりゃ、暴れたくもなるさ。犬とは違うんだぜ。動物シャンプーだか何だか知らねぇけど、自然の動物でシャンプー使う奴が居るかっつうの。 「“ふろきらい”」 「そんなこと言っても、お部屋を汚しちゃ、拙いじゃないですかぁ」 そんな心配するくらいなら、来なきゃいいじゃねぇか。自分の家の方が、よっぽど気が楽だと思うんだけどなぁ。
「えぇ〜雨〜」 千穂が昨夜、俺の顔まで洗ったりするから悪いんだよ。猫が顔洗うと雨が降るって聞いたこと、ねぇのかねぇ。そもそも犬とは毛の作りからして違うんだから、ゴチャゴチャと洗ったりされてもな。そりゃ、中には好きな猫もいるだろうけど、俺は、その口じゃねぇ。 「どうしようかぁ」 「“ねる”」 こんな雨の日に出歩く猫が、何処に居るってんだ。 「そうだよねぇ…キャッチは雨、嫌いだもんねぇ」 そういや、あの黒いの、この雨ん中で、どうしてやがるかな。ン? 何だか、外が騒がしいな。 「“なんのさわぎだ”」 「そうね、ちょっと見てくる」 おいおい、置いてくなよ。 「まったく、泥棒猫が」 ありゃ、ここの従業員じゃねぇか。 「あ、お客様、お騒がせして申し訳ありません。お客様の大切なペットの食事をつまみ食いしようとした猫が居たものですから。すぐに替わりをお持ちしますので、少々お待ちください」 「待ってください、その猫って?」 「あぁ、保健所に渡しますので、裏の小屋に…あ、お客様っ!」 ちっ、こいつら、ペットは金になるが、野良は金にならねぇってことかよっ。千穂の奴を、追わねぇとな。
「あっ、さっき助けてくれた黒猫さんじゃないですか」 はぁ? 千穂のやつ、こいつが助けてくれたって、判ってるのか? だったら、その前に俺を籠から出しゃいいのに。まぁ、今さら言っても始まらねぇか。 『なんだ、手前ぇか。俺を笑いにでも来たのか?』 『それほど暇じゃねぇよ』 「お客さん、泥棒猫なんかに近づかない方がいいですよ。去勢済みのようですから、元々は飼い猫だったんでしょうけど、今じゃゴミや、ペットの餌を荒らす野良猫ですからね」 手前ぇら、人間が捨てたりしなきゃ、野良になんか、なんねぇってのが、判らねぇのかね。千穂がいなけりゃ、顔面掻き毟ってやるところだぜ、まったく。 「この猫さん、頂けませんか?」 お、おい、冗談だろ? 俺はどうなるんだ、俺は? それとも、こいつと同居しろってのか? 「お客さん、この猫も、いつまで人間に飼われていたのか、判りませんしね。保健所で、ちゃんと検査してもらって、病気とか問題が無ければ、保健所と相談してください。ここで頼まれても、保証できませんしね」 そりゃ、そうだろう。俺だって、千穂が獣医に連れていったから、予防接種だ、何だとあったけど、こいつには何があるか、判らねぇもんな。 『お前の主人は、動物愛護団体か、何かの関係者か?』 『んなもん、関係ねぇよ。コピーライターの卵だ』 『なら、偽善者か。でなきゃ、俺みたいな野良猫を貰おうなんて、考えやしねぇぜ』 『そんなんじゃ、ねぇよ』 何で、俺が千穂の弁護しなきゃ、なんねぇんだよ。大体、いつから千穂が俺の主人になったって? ここで、その話を始めると長くなるから、否定はしなかったけど、なんか釈然としねぇよな。
「はい、はい、ここですね。はい、ありがとうございました」 ふぅ…何にしに旅行に来たんだかねぇ。お荷物、背負い込んだだけじゃねぇか。 『誰がお荷物だって?』 『手前ぇの他に誰が居る?』 「キャッチもシャノアールも仲良くしてくださいね」 ぷっ、シャノアールだってよ。こんな野良にフランス語で名前付けたって名前負けってもんだぜ。 『何、笑ってやがんだ。お前のキャッチって名前の方が、よっぽど変だと思うがな』 『いや、昔の縄張りに、そんな名前の喫茶店があったなと思ってな』
ともかく、シャノアールは俺や千穂と同居することになっちまった。 「あ、シャノアールは、私の言うことって判るのかしら?」 「にゃぁ〜」 「やっぱり無理かぁ。通訳、よろしくね、キャッチ」 くそ、この野郎、なんで俺が、通訳なんぞ、しなきゃなんねぇんだよ、まったく。ただ、返事するのでさえ、あの機械使うのは面倒臭ぇってのによぉ。ついてねぇ〜。
我輩は猫である。名前はキャッチなんて付けられたが、後から来た奴にはシャノアールなんて、洒落た名前がついている。黒猫をフランス語で言っただけだから、大した名前じゃないが、俺より響きはいいんじゃねぇかな。 「はぁ〜い、二人とも御飯の時間ですよぉ〜」 なんで、猫を二人って呼ぶんだかな。どうも、近頃の人間はペットを擬人化して考えてないか? それでも、千穂は人間と同じものを出さないだけマシな方かもしれねぇ。人間には喰えても、俺たちには喰えねぇもんだって、あるんだ。だから、素直にペット・フードを出してもらった方が、俺たちにとっても安全ってもんだぜ。 「シャノアールの口にも、合うといいんだけど」 『新入り、旨いかって聞いてるぜ』 『あぁ。適当に返事しといてくれ』 ったぁく、何で俺が返事しなきゃなんねぇんだよ。 「“うまいとよ”」 「ん? うまいとよ…あぁ、美味しいって言ってるのね。もう、キャッチの口調って何とかならない?」 そんな抑揚のつかないオモチャ使ってっから、判り難いんだよな。最近の若い人間どものは、会話の抑揚すら変な奴等が増えたけどな。 「さてと、じゃぁ学校行ってくるからね」 『今日は戸締り、気をつけてくれよなぁ…鍵、変えりゃぁいいのになぁ』 『なんだ、この家、空き巣でも入ったのか?』 『その通り。千穂の親父さんが単身赴任だから、勝手に鍵を変える訳にもいかねぇんだとさ』 まったく、厄介なもんだぜ。 『だったら、変えた後に、鍵を親父さんに送ればいいじゃねぇか』 あ…その手があるか。 『なんだ、その面? もしかして、気がつかなかったのか? ダッせぇなぁ』 『うるせぇ、オカマに言われたかねぇや』 『今、なんつぅた?』 やべぇこと、言っちまったかな。 『人間が勝手に、俺のことを去勢しやがったんだ。誰も好き好んで、オカマになった訳じゃねぇ』 確かに、去勢なんてもんをするのは、人間くらいなもんで、自分たちの都合で、ペットみたいな他の動物にまで、強要するのも、人間くらいなもんだよな。あぁあ、シャノアールの奴、ふて寝かよ。人間にでも感化されてんじゃねぇのか。もっとも、俺たち猫は十八時間くらいは、軽く寝ちまうけどな。人間どもが夜になっても眠れねぇっては判らねぇ。夜行性でもない動物が夜寝ないで、昼間も寝られねぇってのは、体壊して当たり前だよな。千穂のやつも、課題だとか、よく徹夜してっけど、大丈夫なのかねぇ。ま、いいか。俺も一眠りするとするか。
なんだ、ゴソゴソと…また、空き巣か? あ、シャノアールか。何してやがんだ、あいつ? 『いつまで、寝てんだ?』 『手前ぇこそ、俺の縄張りで何してやがんだ』 『出て行こうと思ってな』 はぁ〜野良がホームシックってことも、ねぇだろうし、差し詰め、飼われることが、窮屈になったか。 『残念だが、千穂の作った猫扉は不良品だったんで、外させたから、出らんないぜ』 『ウッソだろぉ〜。お前、猫のくせに一日中、家ん中で満足してんのか? 生まれた時から家ん中の猫ならともかく、元野良だろ?』 言いたいことを、言いやがる。 『誰が好き好んで、家ん中に居るかってんだよ。あんな無用心な猫扉じゃ、危なっかしくて、出歩けるかってんだ』 どっちでも、一緒なんだよな。あっても、無くても、出歩けない猫扉ってのは。 『やっぱり、山ん中が恋しいか?』 『バカ言ってんじゃねぇよ』 まぁ、そうだろうな。何処に住んでいようが、俺たちは、やっていけるから。元住んでいた場所に、どうしても帰らなきゃならねぇ訳は…ねぇよな。 『でも、お前、珍しいよな』 『何が?』 『野郎の三毛なんて、今まで会ったことねぇからさ』 だろうな。獣医、折り紙つきの、珍獣らしいからな。 『で、何で出ていこうなんて思ったんだ?』 俺に気兼ねするような奴じゃ、ねぇだろうしな。何考えてやがんだか。 『あの千穂って子がな。面倒みてもらう気になれねぇんだよ』 ん? 何か訳ありって感じだな。 『似てやがるんだ…俺の昔の飼い主にな』 なんか、ドラも前に似たようなことを言ってたよな。何がいいとか、悪いとか、俺にはよく判らねぇけどさ、千穂ってのは、何をするにも、一所懸命なんだよな。常に、それがペットの為んなってるかって言えば怪しいことも多いけど。でも、俺たちだって、その一所懸命くらいは、判るつもりだ。それだけに、捨てられたりして、傷つくのも、大きいから人間不信になったりもするけどな。 『何してんだ?』 『寝るんだよ。外ん出られないなら、寝るくらいしか、することねぇだろうが』 はぁ…、諦めがいいんだか、気まぐれなんだか。でも、こいつの前の飼い主ってのも、どんな人間だったんだろうな。別に興味がある訳じゃねぇけど、奴が話す気になったら、聞いてやるか。 「ただいま〜。二人共、いい子にしてたかな?」 いい子ってなぁ…確かに生きてきた年数は、千穂の方が長いかも、しれねぇけど、俺たちゃ成猫だぞ。人間の歳にしたら、目上なんだ…って、そもそも、なんで猫の歳を人間に換算しなきゃ、なんねぇんだか、知らねぇけどよ。 『何、ブツクサ言ってんだよ。お前、もうちょっと、愛想ってもんが無ぇのかよ』 「“はらへったってさ”」 「あ、シャノアール、お腹空いてるんですねぇ」 『この野郎、なんで、俺の所為にしやがるんだ』 『文句があるなら、自分で訴えりゃ、いいだろうが』 『出来りゃ、やってる』 千穂の言ってることが、判ってるのは俺で、シャノアールは、言おうとしてることが判るだけだからな。この差は微妙で、大きいし、音の出るオモチャだって、字が読めたり、人間の言葉が、判ってなけりゃ、使うことも出来ねぇ。それが、出来ねぇうちは、ここは俺の縄張りってことなんだよ。 『へん、こんな狭い場所を縄張りだなんて、バカバカしい』 『でもな…』 『でも?』 『いや、何でもねぇ』 でも、千穂ん所は居心地がいいって、言おうと思ったけど、やめておくぜ。野良が人間と安住しちまったら、野良じゃねぇからな。こいつだって、一度は人間に捨てられた身なんだし、まだ、千穂のことも理解っちゃいないだろう。こいつの良さを理解するにゃ、それなりな目に遭わないとな。
シャノアールの野郎が来てから、一週間。特にもめることもない。と言うか、互いに興味がないって云うか…、まぁ無関心なんだよな。 「ジャァ〜ン」 あの、ジャァーンってのは、何とかなんねぇのかね。 「千穂特製キャット・ドア・パァ〜トツゥ〜」 ぱぁとつぅだぁ? 懲りない奴だなぁ。 『今度は、まともな猫扉なんだろうなぁ』 シャノアールの奴、今度こそ出て行こうってのか。 「今回は、キャッチの意見を参考に、シャノアールで採寸して作り上げた、三人の共同作品で〜す」 こいつで採寸した? いつの間にそんなことしてやがったんだ? 「ほら、潜ってみてよ」 『俺で測ったんだ、俺が通る』 ゴンッ! 『大丈夫か?』 「ごめんなさい〜。扉、くっつけちゃったみたいですぅ〜」 くっつけちまったら、扉じゃねぇだろうが… 『どうりで、貴様が先に、通ろうとしねぇ訳だぜ』 『千穂との付き合いは、お前より長いからな』 ざまぁねぇ。でもな、あの手…また慣れない刃物で苦労したってのがミエミエなんだよな。 『確かに、ついていてやりたくなる人間だよな』 『だろう?』 俺とシャノアールは苦笑するしかなかったが、それが千穂には判ってねぇだろうな・・・
|
|